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第8話

「何を思い出している」

 千富屋から戻った月島が、己の顔を見たとたんにふわりと笑って、それがどうにも気になって我慢できずに問いただした。

「いいえ」

 それでもこぼれる笑みに変わりはなく、千富屋から渡されたという包みを大事そうにもって側にいるのが訝しくて仕方がない。手にした刀の刃を見るためかざした先に、その顔があるとわかると落ち着かなくて、返した刃に曇りのないのを見て取るとするりと鞘に収めて右に置いた。

「何があった」

 きつく問いただすつもりはない。だが昔馴染みのところから帰った月島が、自分に何かを言いたげだということはわかった。元々余り口を多く挟むほうではない月島が、思うところがあるときはこうして己に向き合うのだとわかったのは共に暮らし始めてからのことだ。

「帰り道で私のことを町のものが噂しておりました」

「噂?」

「はい、私・・・いえ、如月は禁裏に召し上げられたそうでございます」

「・・・・・ほう」

 なんのことか、と我は関せずという顔で横を向いた。

「面白いものですね、それを聞いて懐かしくも嬉しくもありました」

「嬉しいと」

「はい、是で私は本当に、如月ではなく月島としてここにいてもよいと世間より言われたように思いました」

 まっすぐこちらを見ているその顔が、昔の顔を思い出したように柔らかく微笑んだ。

「月島」

「はい」

 こちらへ来いと手招きして、すぐ傍まで来たその手を掴んで引き寄せる。

「某にとってそなたは元から月島だ」

 一瞬目を見開き驚いた顔を、逃さぬとわからせるために懐に抱き込んだ。

「それ以外何者でもない」

「河合さま」

 きつく胸に寄せた口元から、名前を呼ぶのが聞こえてなおさら手放せずにそのまま畳に伏せようとして、「今はまだお許しを」と小さく諭された。

「まだ陽が高うございます、それに・・・」

 手から離した包みを見やると、またふわりと笑いかけた。

「大事な伝言がまだでございました」



 包みを開けると、中から四角い黒塗りの箱が出てきた。

「これを、千富屋は河合様にお使いいただきたいと伝えてくれと、申しておりました」

 差し出された箱を受け取っても、はたして何に使うものかさっぱり見当がつかない。外側を手で叩いてみても、コンコンと小気味のいい音がするだけで、中は空洞らしいとわかっただけだ。

「これは何だ」

 先ほどの千富屋との会話を思い出して、月島は一言一句間違えないように気をつけながら説明をし始めた。

「これは写真機といって、千富屋が出島の商人から買い付けたものだそうでございます。なんでも『カメラ』と呼ぶとか。こうして持って、しばらく動かずにおりますと前にあるものがこの中の紙に写るのだそうで」

 よく見ると、抱えた前には小さな穴が開いており、それをさえぎるための蓋が上下するようについていた。

「これで、欧州で見聞きしたものをお写しになって、お役に立てていただきたいと申しておりました」

 傍で話をする月島は、真剣なまなざしで河合が手にした箱を見、そして河合自身の顔を見るために面を上げた。

「どうかこれがわたくしに代わってあなた様のお役に立つよう、お帰りまでお祈りいたしております」

 畳についた指がまっすぐで綺麗だと、そう思った先で、月島はゆっくりと頭を下げた。

 ロシア訪問団へ随行するまでもう幾日もない。あれこれとその支度を進める中、月島がそれをどう思っているのかあえて聞くことはしなかった。新しい世界を見るという期待とそこにある不安、それは河合だけが抱えるものと考えていたが、ここ何日かそれを思い悩んでいた。

「月島」

右に置いた刀に目を置いて、次に月島が持ってきた『カメラ』を見た。

「某にはこの使い方がよくわからぬ」

「いいえ、ですからわたくしがお教えいたしましょう」

「いや」

 すっ、と月島の前に箱を差し出して、驚いて上げた顔に向かってにこりと笑いかける。そう心配な顔をするでない、と心の内が表に出たのか、ふと和らいだ表情に月島が尚更気がかりな顔をする。

「そなたは知っておるのだろう、ではそなたが扱えばよいのだ」

「河合さま・・・」

 今なんと、と問いただす言葉を攫って河合は続けた。

「これは、祖父が殿より拝領した当家の家宝だ。某にお譲りくださるとき、肌身離さず持つようにと言われたもの」

 言いながら手にしたのは今ほど手入れをしていた会津虎徹で、緩やかに弧を描く姿はさすが名刀と常に思っていたものだった。その一部をなす鍔がまたすばらしく、満月の下で大きく羽を広げて自由に空を舞う時鳥が描かれている。表には素銅蒔絵、裏にはそれに呼応するように岩と根笹で静寂を表していた。

「これをそなたに預けよう、これはわが命、わが心」

 ずいと差し出した刀に月島が驚き動けずにいるのを笑って、左手でその右手を取ってやり刀の鞘に触れさせた。

「一緒に行こう」

 肌身離さずと言うのなら、そなたが持っていても同じではないか。

 笑って話す河合に「いいえ」と首を振り続けたが、一度決めると頑としてその考えを変えないのは月島もわかっていた。わかっていたので、その気持ちがあまりにも大きくて嬉しすぎた。

「河合さま」

「泣くな、そなたは笑った顔のほうがいいぞ」

 ほろりとこぼれた涙を拭って、手渡された刀を大事に抱え直した。

 この先の世がどう変わろうとも、そなたと一緒なら何も怖いものなどない。

 大事に抱えた刀ごと月島を抱き寄せて、死ぬまで一緒だと河合はその愛しい身体に誓ったのだった。



 まだ桜の咲ききらぬ、春の日のことであった。





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