第十三話
「……ううぅんっ、あれ? 叶君?」
「先生大丈夫?」
校舎の屋上から劇的な自由落下を遂げたこの高校の数学教師、水波雪乃は意識を取り戻し、俺の姿をその両の瞳に映し出した。
彼女を受け止めた望の神器、漆黒のペンダントは数十メートルの巨大な蜘蛛の巣状に形態変化していた。彼女は自分の体を受け止めた物体が何なのかに気付き、その事実に戸惑いだす。
「やだあっ、これ何っ?!」
「いろいろ事情があって説明が難しいんだが、……その、」
「……ちょっとまだ受け止めきれないけど、また助けられちゃったみたいね。叶君って一体何者なの?」
「俺自身も最近、よく分からなくなってるよ。それより、先生はなんであんなところから飛び降りたりしたの? まさかとは思うけど」
それはあまり考えたくない想像。
「私が? 飛び降りた? ……ごめん、なんで今ここにいるのかも、正直よく思い出せないの」
彼女は頭を手で押さえながら、目をつぶって過去の記憶をさかのぼっているようだった。どうやら本当に覚えていないらしい。
「……記憶が無くて、体が勝手に」
まさかとは思うが。
また、なのか?
この街に、あの初夏の悪夢が。
魑魅魍魎の悪鬼羅刹。阿鼻叫喚に急転直下に弱肉強食な存在。太陽を忌み嫌い、深淵と人間の血液をこよなく愛する。
吸血鬼。
奴らなら、それくらいのことは察知されずにやってのけるだろう。しかしどうしてこう、いつもトラブルは同時多発的に突撃してくるのだろうか。
「私を呼んだかしら?」
どこからともなく、いや、いつの間にか暮れていた日が生み出した影から、彼女はその姿を生成させた。
それはこの世のものとは思えない、美しい雪女のように絹のような長い白髪だった。
けれどその瞳だけは、血のように深紅だ。
「……お前は誰だ?」
自らの動物性が知らずに備えていた、生存本能が一斉に大音量のアラームを鳴らしだした。声に震えがでないように、声帯に全集中。
「私はトロイア・ルージュ。あなたに逢いに来た。ご想像の通り、血を吸う鬼よ。あなたにどんな価値があるのか、確かめたくなってね。そのために、そこの女にも手伝ってもらったわ」
吸血鬼は水波先生に視線を移した。
「あなた、この学校の人間じゃないわね。警察を呼びますよっ」
「呼んでみなさいな。あなたの目はちゃんと見えているのかしら? 今私が影から出てきたでしょう? 私を捕らえられる者も、縛り付けられる者も、いやしないのよ」
その笑顔は、禍々しいほどに飾り付けられていて、その真っ赤な瞳の奥には強い侮蔑の感情が蠢いているのが分かった。
望月燕と、前生徒会長と、少しだけ似ている。似ているが、発している狂気の濃度が桁違いだ。
「ひっ……」
「俺の価値だって? どうしてそんなものに興味がある?」
「今、この街はあなたを中心に回っている。人間なのに、私たち鬼と繋がろうとする。完全に敵対するならまだしも、隣人として付き合っている。今も明確な敵意を出している私に対して、殺気で跳ね返そうとしない。そんな生き方をしていたら、あなた明日にでも人間ではいられなくなるわよ」
人間では、いられなくなる。
俺は本当に、人間でい続けたいのだろうか?
「吸血鬼に勧誘でもしてくれてるのかい?」
「今のあなたの成り立ち方は、それなりに退屈しない。だからもう少し見ていてあげる。でも私が退屈し始めたら、勧誘なんて生易しいことは言わずに、こちらに引きずり込むことになるでしょうね。あなたがその時どんな能力を発現するのかにも興味があるし」
「……俺にだって後ろ盾は控えてるからな。ただでは血をやらないぜ」
「もう逢ってきたわ。あなたの恋人にはね。けれど私の能力は最強よ。物理的な攻撃では、私を止められない。まあせいぜい足掻いてみることね」
そう言い残して、彼女は足元の影へと姿をくらましていった。
向けられていた濃密な敵意が消え去ったことで、急激にアドレナリン放出が落ちてどっと疲れが出る。その場に膝をついた。
「……一体何なのよ。あの女性は」
「俺もよく分かりませんが、少なくとも学園祭のゲストではないでしょうね」
「ところで叶くんって、恋人いるって本当なの?」
「いや、さっきのは勘違いです。……知り合いの女性のことを言ったんだと思うけど」
「へー。女友達多いのね」
この何とも言えない空気はなんだろう。
ともかく、懸案事項が2つも3つも増えたことは明確だった。
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