第四話
学校で生徒会の重労働が課された哀れなる男、望は一人帰路についていた。バスに乗ってじぐざぐの山道に揺られる。運よく椅子に座れれば良いが、椅子取りゲームに敗北すると途端にやたら手の疲れるバランスゲームに強制参加だ。全部リモート授業になれば良いのに。
「……ちょっと、やめてください」
囁くような声が聞こえた。声の主に目を向けると、20代前半の黒髪ロングのOL風の女性が椅子に座っていた。
隣にサラリーマン風の中年男性が座っていた。OL風女性の顔に見覚えがある。学校の新任教師だ。丁度、彼女と目が合う。
助けを求めるような、藁をも掴むような、涙ぐんだ瞳。望はそれまでの経験から、悪意に関して敏感になっていた。彼は考える前に動いていた。
「先生、今度数学教えてよ。テスト厳しめなんだよね」
「……あなたは」
「ちっ……」
男は窓の方を向いた。バスがバス停に停まると、居所無さげに行ってしまった。恥を知れ。
「大丈夫?」
「……ありがとう」
彼女はこちらを見上げると、気が抜けたように背もたれに背中をがくりと預けた。
「あなた1-Dの叶くん? 君数学の成績そんなに悪くなかったわよね?」
「さっきのはでまかせですよ」
「そう……。助けられちゃったわね。情けないなあ」
彼女は表情を暗くして窓の方に向く。自分にはよくわからないが、色々大変なこともあるのかもしれない。
「今度テストの範囲を教えてくれれば黙っておきますよ」
「助けてくれたのは感謝してるけど、そんな手を今のうちから覚えたらだめ。後で困るのは自分なんだから」
正論だ。
「はは、冗談です。先生こそ気を付けてくださいよ。綺麗な人なんだから、足出してバスなんか乗ったらその気がなくても男は気がおかしくなりますからね」
「……そう。そうね。今度から注意してみるわ」
「ええ」
「ところで今度生徒会に手伝いに来る一年って君たちのこと? 私生徒会の担当にもなってるから。ほとんど押し付けられたようなものだけど……」
「ええ。そうだったんですね。いきなり食品衛生担当を押し付けられて絶望してるとこです」
「安西さんに気に入られてるようね。あの子、気に入った子はとことん使い倒すから覚悟しておきなさいよ」
「怖いこと言わないでください」
自然なやり取りが続く。教師とこんな風にコミュニケーションが取れたことが今まであっただろうか。教師は何となく上から目線で語りかけてくるような、一枚壁を挟んだような感覚を覚えてどうにも慣れなかった。彼女はまだ新任だから、学校の文化に染まりすぎていないところが良いのかもしれない。
「先生こそ無理してません? なんか顔に疲れが出てる気がしますけど」
「……若いのにませた子ね。あんまり休みがないから少しね。でもまだ始まったばかりなんだからこんなところで弱音を吐いてなんかいられないわ。でもありがとうね」
バスが駅前に着くと、二人で降車。駅前は人込みに包まれ始めている。まだ日は明るい。辟易するような暑さを肌に感じることはもうない。そんな季節だ。
「生徒と一緒に電車に乗るのは避けてるの。また明日学校でね。叶くん!」
「はい。また明日」
七月のあの地獄のような試練を乗り越えた先には、あまりにも普通過ぎる日常が待っていた。まだ幸せになれていない自分は、どうにも居心地が悪い。こんな幸せなことがいつまでも続くはずがないと思ってしまうからだ。
けれど背負うものが増えていく度に、自分の背中が前に向かって押されていくのを感じる。鍛錬もより一層重要になってくるだろう。またいつこの街が、逢見が吸血鬼に襲われるかは誰にもわからないのだ。




