第三十六話
それは灼熱の太陽が肌を焼くような、雲一つない真夏の日のことだ。しかし風は適度に吹いていて、日陰を選んで歩けばそう辛くはなかった。夏休みも中盤に差し掛かり、駅前は老若男女で溢れ返っていた。皆、徐々に減っていく自由な時間に焦りを覚えつつも、それを忘れる努力をしている頃合いだろう。これからどこへ行くのだろうか。海だろうか。山だろうか。遊園地でもいい。
「お待たせ。早いのね」
目の前に現れたのは八重垣命。逢見学園の擁する、強者の剣士である。望はその剣筋を身を持って知っている。しかし今日の彼女はそんな闘う者としての恰好ではなく、可愛らしく花形のあしらわれたワンピースに麦わら帽子という出で立ちだった。以外にも良く似合っている。
「そういう服も、もっているんだな」
「……あんたねえ」
少し睨まれるが、すぐに笑顔になる。彼女は笑えるようになっていた。それは、心に穿たれた穴が、徐々に塞がり始めている兆しだろう。
二人は前もって交換していた番号で連絡を取り、こうして駅前で待ち合わせたのだった。目的はとある友人の墓参りである。そのきっかけは、この街を脅かしていた連続猟奇殺人犯が逮捕されたという報道からだった。
その報道はあの夜の次の日には、既に流れていた。高坂が言っていたように、やはり吸血鬼狩りと警察庁は繋がっていたのだろう。犯人が人間でないことは勿論、犯人の顔さえ表に出ることはなかった。犯人として出された名前も、望の知らない出鱈目なものだった。こうして、この世界の闇は光を浴びることなくその秘密を日々守られているのだろう。
神器で縛られ、強制的に血を集めさせられていた者達は、高坂が全て捉えて処理したとわざわざ伝えてきた。彼らは自分のしてきたことも忘れ、元の暮らしに戻るのだろう。そこでふと思ったのは、自分が実は人を殺していて、その記憶もまた消されているだけなのかもしれないという笑えない想像だった。
「ちょっと、何怖い顔しているの。そんな顔、栞に見せないでよね」
「わかった。すまない」
やや無理やりに柔らかな表情を心がける。
「本当に、捕まってよかったわね犯人」
二人は目的地までの切符を買い求め、自動改札を通過。階段を上りホームへ上がると、そこはやはり人でごった返していた。よく見ると、既に膨らませた浮き輪をしている気の早い男の子や、テーマパークのキャラクタのカチューシャを身につけている女子高生などがいる。事件の終結を受けて、今まで我慢していた欲求が一気に解放されたのかもしれない。
「ああ。この国の警察も、捨てたものでもないな」
「それで、その鼻はどうしたのよ」
折れた鼻にはガーゼがテープで張ってあり、医師の診断によると全治一か月。ラミアに治してもらうと言う手もあったが、流石に唾液を鼻に塗られることは、望の中の最後の理性が阻止した。
「ちょっと、階段で転んで」
「鈍いのね。もっと鍛えなきゃだめよ」
暫く待つと青色のラインの入った列車がホームに入ってきた。それによって巻き起こる風が、彼女のおろされた黒髪を優しく撫でた。八重垣命という女性は、普通に可愛い。普段の彼女の立居振舞とのギャップは、今の自分だけが味わえるものだ。望はそれが少しだけ誇らしくなった。
徐々に速度を落とし停車した列車に二人は乗り込む。身体を適度に冷やされた空気が包み込み、気持ちが良い。二人は冷房の風が丁度よく当たる扉際の位置を確保。目的の駅前で花を買おうという話になる。
「私、気が付いたの」
八重垣は語る。
「私、あの子を守るなんて言っておいて、逆に依存していたの。いつの間にか、あの子なしではいられなくなっていた。それが、あの子がいなくなってから分かったの。最初は無口で消極的で、絶対仲良くなれないタイプだと思っていたんだけど。それが栞の不思議な所なのよね」
少しだけ、分かる気もする。
「ああ。危なっかしくて、見ていられないんだよな。けれど弱味を見せられると、憎めなくなってしまう。変わったやつだった」
「栞は貴方のことをいつも話していたわ。あの子は、貴方が自分と似ていると言っていた。私がどこがって聞くと、あの子は何となくと言っていたわ。とにかく、そんな時は良く笑っていたわね」
「そうか」
「私、小説を読んでみようと思うの」
「八重垣……」
「私、あの子が読んでいるような本ってよく分からなかったのよね。参考書は読むけど、空想のお伽噺ってどうにも入り込めなくて。国語はあまり好きではないし。それにあの子、結構過激なのを読んでたのよね。今までは修練で忙しいって、言い訳して逃げていたけれど、知りたくなったの。あの子がどんな物語を愛していたのか。それで貴方、私でも読めそうなのを教えてくれないかしら?」
「お安い、御用だ」
彼女も自分なりにけじめをつけようとしているのだろう。それはもしかしたら生涯かかることかもしれない。しかし、それで良い。それで良いのだ。それが生き残った者の責務だ。彼女がそうであるように、自分にも。一生忘れずに生きていく。色々なものを抱えて、進んでいく。時に迷いながらも。回り道をしながらも。
望は、帰りに駅前の書店に寄ることを提案。彼女はそれを快く了承した。
「私達って、不思議な関係よね。別に直接関係があるわけでもないのに。未だにこんなところで一緒にいるし。これから、どうする? 貴方さえ良ければだけれど、これからも……」
「そのことだけど」
望は長らく考えていたことを彼女に相談した。
「生徒会を、手伝う?」
「そうだ。今、副会長もいなくなってしまっただろう。俺はあの人に借りがあったんだ。受けた恩は返さないといけない。しかし俺の力だけでは、心許なくてな。俺としては……先輩が手伝ってくれたら嬉しい」
逢見学園に在籍する二人の生徒が、現在行方不明で捜索中となっている。しかしどこを探したところで見つかるはずがないことは、他ならぬ望が知っている。八重垣は暫く手を口に当てて考える仕草をした後、こう返事した。
「しょうがないわね。まあいいわ。部活が無いときで良いのなら、できる範囲で手伝ってあげる」
「ありがとう」
「別に良いのよ。貴方には、私も、みっともない所を見せたからね。その口止め料ってことでやってあげるわ」
電車が到着すると、直射日光で温められた空気に再び迎え入れられる。シャツをつまんで掌を仰ぎつつ生温い風を送り込みながら、ホームを抜けて改札へ。駅前に花屋を見つけて向かうことにする。
「それで、だったら私からもお願いがあるんだけれど」
「ん?」
彼女が自分に頼むこと。それは一体なんだろう。
「今度、剣道部の全国大会があるの。それで、本当なら栞に応援に来てもらうつもりだったんだけど、あの子は来れなくなってしまったわ。誰かが来るつもりでいたから、これでは本番で剣筋が乱れてしまうかもしれない。それで……できたらなんだけど、代わりに貴方が来てくれたら、私は嬉しい」
「……俺で良ければ、お安い御用だ」
彼女はそれを聞いて無邪気に破顔した。自分などがその役目を受けて良いのだろうかという疑問は、それを見て程なくして消え去った。その理由は定かではないが、今は黙っておくことにしよう。秘密とは、誰の胸にも秘められているものだ。
自分はこれからもこの世界の闇と対峙していくことになるだろう。もう元の世界には戻れない。自分は知ってしまったのだ。夜の世界には、誰も知らない闇があることを。しかし、光もまた存在している。例えば、今目の前で笑っている少女のように。ならば、それを守りたいと感じる。
これから忙しくなりそうだと、望は思う。しかしまずはこの夏を学生らしく満喫するくらいは許されるだろう。一人で遊びに行くのもいいが、八重垣を誘っても良いかもしれない。ようやく望の中で止まっていた時間が動き出し、彼の夏休みが始まったのだ。夏はまだまだ終わらない。
彼女が走る。彼は追う。彼女は去り、彼らは行ってしまった。
自分もその内そこへ行くのだろうか。しかし暫くはこちらで頑張ろうと思う。この光と闇の共存する世界で。時に挫折しながらも、何とかやっていこうと思う。
花屋で購入したのは白のガーベラだった。
花言葉は、希望である。
ここまでお読み頂いた方へ、絶大なる感謝を。そしてお疲れ様でした。如月睦月@前睦月と申します。相当なページとそれ以上の時間をかけて、本作品はようやく第三章完結となりました。三章を書き始めたのが2013年となっているので、ほぼ二年かかっていることになります。かかりすぎですね。
本作品は人の心に入り込み悪さをする吸血鬼と人間の闘争をテーマに描かれています。そんな中、愛という成分も多分に含まれております。二章に続いて本章はその傾向がより強かったのではないでしょうか。吸血鬼も人間に恋するし、人間も吸血鬼に恋するのです。そして愛情は時に狂気に変貌し得ます。耐え忍ぶ愛もあります。それを、命を懸けられるような愛に昇華させた彼は、本当に大したやつです。
本章はミステリ風味にしようと書き始めたのですが、本格派ミステリでは決してないのでご勘弁を。吸血鬼が出てきたら、そりゃあもう何でもありです。しかし書き始めた当初はこのラストは想定していませんでいた。しかし二十六話を書いた辺りからそれ以降の展開が天から降ってきてしまって、こうならざるを得なくなってしまいました。しかし納得いく締め方にはなっていると思います。
本章で初めて挑戦したことは、主人公と親しい存在を途中で物語から消すことでした(二章でも最後に死人は出ましたが)。自分の中の、ある一定の部分を占める存在の死とは辛いものです。それは自分の体の一部を失ったのと同じ位の苦しみをその人間に与えます。そんな試練を今回、主人公には与えました。しかし二章とは対照的に、最後には誰もが報われるように希望を持たせたつもりです。彼も、彼女も、これから頑張って生徒会を影から支えたり色々したりしていくことでしょう。
次章ですが、やりたいことは何となく決まっています。伏線は本章にも散りばめられているので、分かる人には分かるでしょう。本章以上の絶望が、そこにはあるに違いありません。しかし希望もまた、ちゃんとあるはずです。
きりが良いので別タイトルのスタートも考えていますが、こちらの更新頻度が落ちそうなのが気がかりです。何しろ就活生で院生でもあるので、お約束はできません。しかし最近筆の進みは良いので、何かしら活動はしていこうと思っています。これからもお付き合いいただければ幸いです。
ここで一応宣伝しておきますが、本作の番外編に当たる『She is a vampire ◆Spinoff』なる短編小説が存在しています。三万文字くらいですぐに読めると思います。こちらでは今まで謎の存在として描かれてきた吸血鬼狩りにスポットを当てたお話となっております。本章でちらっとでてきた鬼頭や白夜一族の内情が一部明らかになりますので、こちらも是非よろしくお願いします。
本作は第二回ライト文芸賞に応募しています。なろうコンはあぶれてしまったので、三章完結させてリベンジと思い投稿させていただきました。より多くの読者の方々の目に触れてもらえたら、嬉しいですね。ひと段落したので感想も絶賛募集中でございます。一言だけでもいいんですよ? きっと次章執筆の速度が倍加することでしょう。
それではここまで残ってくださった方々へ、改めて感謝を。これからも、是非よろしくお願い致します。本当にありがとうございました。




