第三十五話
後日、望は事の真相を知る為に外れの廃工場に訪れた。その手に持った学生鞄の中には、短く形態変化させた漆黒の剣が入っていた。これをいつまでも持っているのが、落ち着かなかったからでもあった。
本日は土曜日。普段通り金網の密林を掻き分け、中へ入ると彼女の名を呼び掛けた。暫くして、どこからともなく見知った吸血鬼の姿が眼前に現れる。
「やあ、よく来たな。私の望」
「……ああ。何とかもどってこれたよ。こいつのお陰でな」
望は鞄を開けて中の剣を取り出し、彼女へ差し出した。
「それは君が持っておくと良い。そこまで操れるのなら、隠し場所にも困らないだろう。何よりそいつが、君を所有者と認めている」
「しかし、ラミアも気が付いていると思うが、俺の高校に吸血鬼狩りがいたんだ。もう知られてしまったが、これをいつまでも持っているのは、ラミアが面倒なことに」
吸血鬼ラミアは漆黒の短剣に右手で触れると、目を瞑った。すると短剣は突如として凝集を始め、その柄と剣先が輪のように繋がり、細い糸状に変化した。鍔が黒いパールの如く滑らかな形状となり光沢を発し、最後にそれはシックなペンダントへと変貌した。
「こんなものはプシュケーを流さなければ、ただの物でしかない。これからは君も力を持った方が良い。そう私の直感が告げている」
彼女はそのペンダントを望の首にかけてくれた。
「これを私だと思って大切にしてくれ」
「……そんな、もういなくなるみたいに言うんじゃねえよ」
「ふふ」
話題はそして、事件の話へ。
「あんたは分かっていたのか? この事件にやはり吸血鬼が絡んでいたことを」
「……そうだな。この街に吸血鬼の気配は微かに感じていた。しかしそれは、望と出逢う少し前の事でな。恐らくは彼女の血を吸った吸血鬼だろう。そいつの気配は、しかし今は無い。吸血鬼になったばかりの人間の気配は、少し不安定になる。私も油断していた。それに彼女自身は動かずに、神器を使って人間に動かせていたのなら尚更だ。してやられたよ」
「そうか」
もう一人の吸血鬼の存在。それは当然だ。望月燕の血を吸い、異形の存在へとならしめた鬼が、どこかにいるはずなのだ。しかしこの街にはもういないという。そいつは今後も今回の様なことを繰り返していくのだろうか。そう思うと、腸が煮えくり返る思いに駆られる。
「あいつ、交叉禍と言っていた。吸血鬼狩りにはあんなに若い奴もいるのか。やけに体のでかい奴が一緒にいたが」
「交叉禍は日本の吸血鬼狩りの一族の名だ。白夜、鬼頭に並ぶ勢力を持っていて、特に警察や国家との繋がりが根深い。この国の吸血鬼に関わる事件を、裏からもみ消しているのは殆どそいつらだな。相手にするのは少々厄介な連中だ」
「あんた、そんな奴らが近くにいて、本当に大丈夫なのか?」
彼女は、妖艶な笑みを浮かべて、言った。
「私を誰だと思ってる?」
彼女は、彼女のままだった。自分がそうだと信じていた物が皆まやかしだと知らされた後でも、彼女だけは、変わらなかった。そんなことが、心の底に、温かいものを流し込んでくれるのだ。望は今、確かに救われていた。
「しかし、もう暫くは動かないでいるべきだろうな。この地はどうやら奴らの縄張りだったらしい。大変な所へ迷い込んでしまったものだ。君も、毎週末ここへくるのはもう止めるんだ。行くときはこちらから君の方へ行く」
ずっと、聞きたかったことがある。口にして、声に出して、聞かなければと思っていたことがある。確かめたかった。今まではそれができなかったが、今ならば言える気がする。彼女はその身を賭した勇気を示した。ならば男の自分が、ここで引き下がるわけにはいかないだろう。
「ラミア、あんたはどこかへいってしまうのか」
言った。
口に出して、声に出した。
確かめたかったことを。聞きたかったことを。
彼女は一瞬無表情になり、そしてそれを優しく、崩した。
「……どこかへなんて、行くわけがないだろう。君はあの約束を忘れたのか? もしそうだとしたら私は悲しいな。泣いてしまうかもしれない」
泣きそうになった。その言葉が、ずっと聞きたかった。
必死に温かいものが込み上げてくるのを堪えようとするが、身体が言うことを聞かない。これは一体なんだ。この気持ちは一体何なんだ。
こんなにも
温かくて、嬉しい。
こんなにも、安心、するなんて。
「……それは、本当、だろうな。プシュケーを操って忘れさせる手ならもう聞かないぞ。精神干渉にも、あんたのおかげで、抵抗できるようになってきた。俺は忘れないからな。その言葉を、絶対に」
「ああ。一生覚えておけ」
彼女がこれからも傍にいてくれる。それならこれからも機会はあるだろう。このどうしようもない気持ちを彼女に伝える機会はいずれ訪れるはずだ。時間はここから無限に続いていくのだ。この長い物語は、まだまだ途中。終演までは程遠い。
その時が来るまで、この気持ちは大事に温めておくことにしよう。言える時が来るまで、心の奥底に大事にしまっておこう。
「ところで、君は今回だいぶ良い思いをしたようだな。学園一の女と仲睦まじくする記憶を体験した感想は? さぞかし気持ちが良かっただろうな? それに現実の女にも、想いを寄せられてあわよくばその気にさせておいて振るとはな。君は悪い男の素質があるのではないか?」
彼女の顔が変わった。それは初めて見る表情。この顔はなんだろう。どうやら腹を立てているようだが、その理由は定かではない。何はともあれ、また一つ彼女の顔を知れた。それはどちらかといえば、間違いなく幸福なことだろう。
この世に不幸なことはたくさんある。しかし、幸福もまた、確かに存在している。ここにひっそりと、確かにある。それは時に見つけづらく、大変な困難の先に待っていることもあるだろう。しかしそれを見つけられたときの喜びは格別だ。これからも自分はそれを探していこうと思う。挫けるときも恐らくたくさんあるだろうけれど、そうしてなんとかやっていこうと思う。
そしてまずは、目の前の彼女の機嫌を取ることにする。
差当たり、今晩のメニューを彼女の好きな物にするというのはどうだろうか。自分にしては中々良い考え。望は彼女への言い訳を考えながら、足りない食材を頭の中で数え始めた。




