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She is a vampire【挿絵あり】  作者: べなお
◆Ⅲ Awakening

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第二十八話

挿絵(By みてみん)

 あの夜のことは誰にも話してはいない。それどころか、三日たった今まで自宅から一歩も足を踏み出さずに引きこもり、誰一人として顔を合わせていないのだからそれも当然のことである。神器のことをラミアに話そうか迷ったが、それもまだできないでいる。最近の彼女は平日に廃工場を訪れても表に出てくることはなく、どうやら最奥部で何やらやっているらしいのだ。


 危うく被害者になりかけた女性はあの後、近くを通りかかった人に助けを求め、警察に通報したらしい。足の震えが収まった後帰り際にパトカーから降りてくる刑事の姿を確認した。その中にあの三島という刑事の顔もあったため、逃げるように帰宅したのだ。翌々日の朝刊を確認してみれば、”連続殺人の被害者生き残り”というそこそこ大きな見出しの記事が掲載されていた。記事には生き残った学生が市内の病院で保護されているとだけ書いてあった。


 望は部屋に閉じこもっている間ずっと考えを巡らせていた。犯人の男の顔は見たが、それはあの女性が既に警察に話しているだろう。しかし奴は神器を持っていた。故にこの事件は、明らかに人間の手には負えない。自ら決着をつけるなら、やはりラミアの手を借りるしかないだろう。今更で寝覚めが悪いが、彼女も吸血鬼に関わる事件ならば協力をしてくれるとは思う。


 しかしあの男は一体どうなるのだろうか。体の一部が既に怪異と化しているのだ。通常の方法で裁くことは出来そうもない。ラミアに聞いたことがあるが、そういう表に出してはならない者は、吸血鬼狩りが裏から手を回して抹殺するらしい。彼らは世界のあらゆる警察機関とつながっているのだ。もう自分ができることはないかもしれない。


 しかしこれで事件が解決するのなら、それで良いのかもしれないとも思う。望があの夜、神器のプシュケーを察知してあの場にたどり着き止めに入らなければ、犠牲者が増えていたのかもしれないのだ。自分の介入によって彼女が生き残り、そしてそこから情報が得られて犯人が捕まるのなら、当初期待していた目的としては十分すぎるほどの成果だ。奇跡といっても良い。


 事件が終われば八重垣も多少は報われるはずだ。すぐには難しいかもしれないが、それは時間の流れが解決してくれるだろう。そうだ。きっとそうにきまっている。これで浅間も――。


 その時電話の着信を知らせる音が部屋中に鳴り響いた。その音は望にとって嫌な記憶を喚起させるものだった。深呼吸を一つ置き、受話器のもとへと脚早に向かう。相手は意外な人物だった。


「もしもし、こちら叶ですが」


「もしもし、叶か。染谷だ」


 染谷明。その声を聴くのもしばらく振りのことだった。気のせいかその声からは本人の疲弊を感じさせた。夏休みも無休で生徒会業務に勤しんでいるのかもしれない。


「失礼かと思ったが、お前の担任教師から連絡先を聞いて今かけている。許せ。そして要件なのだが、先日の連続殺人の続報を見ただろうか? 生き残った被害者が我が校の生徒だったのだ。今その対応に職員のみならず生徒会までも駆り出されている状況でな。それで悪いんだが」


 それは知らない情報だった。あのままでは逢見学園から二人目の犠牲者が出ていたことになる。


「この前の願い出、やはり頼んでしまっても良いか? 今は一人でも多く人手が欲しい。勿論ただでとは言わん。それ相応の礼をしよう」


 生徒会の手伝いの頼み。以前に自分から願い出たものだ。ああ言っていた染谷がこうしてわざわざ電話でまで頼まなければならない状況。少し思考し、快く引き受けることを決定。あの事件を追っていた身としては、事後処理は義務の内。落としどころとしては悪くないだろう。何よりも染谷には借りがある。


「すまんな。恩に着る。それで早速なんだが、今から出ては来られないか? 少し遅いが、皆に君のことを紹介したい。今後のこともあるしな」


「わかった。別段忙しくもないし、今から出ます」


「悪いな」


 通話が途切れてから、部屋の時計を確認すると午後五時を回ったところ。現場は相当煮詰まっているのだろう。暇を持て余していた望としては、不都合もない。どうせラミアに話せるのは週末からだ。望は制服に着替えて軽い食事を取り、家を出た。























 たどり着いた校舎は夕暮れに包まれ、今にも夏の長い日が落ちようとしている所だった。そんな時間に学校から自宅に向かうのではなく、今から入っていくというのはどうにも違和感を感じてならない。生徒会室に向かう道すがら武道館の近くを通ると、いつもの怒号のような練習音は聞こえてはこなかった。今日は休みなのだろう。


 それにしてもやけに静かだ。


 聞こえてくるのは遠くの方で油蝉が立てる羽音のみ。学校中が対応に追われているにしては、妙に静まり返っている。会議でも開かれているのだろうか。


 生徒会室の前に到着すると一息おいてノック。すると間髪入れずに扉が開き、逢見学園生徒会副会長染谷明のマスクをつけたやつれた顔が目に飛び込んできた。


「よく来たな。早速で悪いが、ついてきてくれ」


 彼に付き従っていくと、どうやら上の階に向かっているらしい。上に生徒会役員が集まっているのだろうか。外を窓から見渡すと、漆黒のキャンパスに鮮やかなオレンジの塗料を塗りたくったかのような見事な夕焼けが広がっていた。もう間もなく日没となるだろう。もうすぐ夜の街を心置きなく歩けるような日常が戻ってくるのだろうか。


「ここだ」


「ここ、って」


 誘われるがままに通されたそこは、校舎の屋上だった。高い柵に四方を囲まれ、灯りは出入り口の上方に一つ。日の沈みかけた夜空には雲がかかり、今宵は星や月は窺えそうにない。


「どうしてこんなところへ」


 ガチャリと、屋上への出入り口を施錠される音が確かに聞こえた。校舎との接続を立たれ、こう暗くては外からもこちらは視認できそうもない。校舎中は不気味なほどに静まり返っている。当然、沸き起こる疑問。


「染谷、さ――」


 望の感覚が異変を再び察知した。プシュケーの異常な奔流がこの場所に近い。まただ。またあの”流れ”。世界の違和感。物理法則の乱れ。あってはならない禁忌。非常に近いところで、――まさかまた奴が。


「いや、待て」


 待ってくれ。


 待ってくれ。


 待ってくれ。


「そのマスクはなんだ」


 染谷明の顔下半分を覆う白いマスク。今は夏だ。風邪にしては季節外れ過ぎる。風邪をひいていない時、マスクをする理由とは何か。風邪ウイルスを貰わないためか、あるいはその下の見られたくない何かを隠すため。


「やけに静かなようだが、事件の対応に追われているんじゃないのか」


「ああそのことだが」


 望はその先をあまり聞きたくなかった。今自分の想像していることが真実なら、それはこの世の終わりである。世界の終焉である。


「被害者の女性がうちの生徒というのは嘘だ。今は学校も落ち着いてきていて、この時間は教職員も皆いない。お前にここまで来てもらうためだ」


 それは一見するとまともな言い訳に聞こえた。しかし望はその文章の中に取り返しのつかない致命的な矛盾が孕んでいることに気が付いてしまう。


「…………なぜ、被害者が女性だと知っている?」


 世界の時間が静止した。かのような数秒だった。自分の意識を常日頃保っている常識や倫理というものが脆く儚く崩れ去っていく。足元に無限に落下していくような錯覚。世界は、やはりどうしようもなく救えない。一体いつになったら悪夢は覚めるのだろう?


「お前も見たんだろう。今日の新聞を。それに連続殺人の被害者は皆女性だ」


「恐らく同じものだろうが、今日のには細かいことは載っちゃいない。女性だったなんて書いてなかったんだよ。それに被害者のうち五人は女性だが、一人だけ男もいた。あんたらしくもない。そんなミス」


 信じたくなかった。


 しかしどうやらこれが現実らしい。確かにそうだ。いつでもそうだった。いつだって現実というものは、手の届かないところからこちらを見下し、嘲笑ってくるのだ。そして何もかもを奪い去ってゆく。絶望だけを残して。


「確かにそうだ。俺らしくもない。どうやら疲れが来たらしい」


 染谷明はその身に植え付けられた異物を覆い隠す粗末な仮面を自ら外し、闇へと投げ捨てた。そこにはやはりあの夜の男と同じように、不気味な器官が存在していた。髭のようにも見える荒々しい縫い目が、染谷の歪んだ表情を不細工に飾り付けていた。今にして思えば、あの日。浅間のことが発覚したあの日、染谷はやはりマスクを着けていた。そしてその時に気が付けなかったのは、プシュケーに対する感覚がまだ未熟であり、そして恐らく神器がプシュケーの流れを乱すのはそれに力、即ち使用者のプシュケーが流しこまれた時であり、そうでない時にはたとえ感覚が在ったとしても察知することは出来ない。


 独りでに踊りだす脚を抑え付けながら、望は聞く。


「そいつを植えつけられているのは、後何人いるんだ。この分だと三人や四人ではなさそうだが」


 逢見市連続猟奇殺人の真実。


 それは同一の殺害方法による同一の人物による”連続”殺人だと思われていた。しかし真実はこうだ。同種の神器による、多数の人間による犯行。殺害場所がバラバラなのは当然である。


「それは俺の預かり知らぬところだ。しかしこの間、お前が出逢ったのは確かにその一人。よくも出逢えたものだな。妙な動きをしていたのは聞いていたが、ここまで真実に接近するとは」


「聞いていた? ……あんたらは組織なのか?」


「…………やはりお前は本当は、頭が良い。だから生徒会に加えたかった。しかしそれは叶わない。お前は妙なことを知っているそうだな。そして知り過ぎた」


 神器。それは吸血鬼の遺骸を基に錬成される、異なる理のうえに成り立つ物。使用者のプシュケーを喰らい、異能を行使することのできる禁忌の武具。染谷が唇を痙攣させながら広げると、口の両端から鋭利な八重歯が覗いた。まるで吸血鬼だ。しかし本体の方は人間のままである。これ即ち、人間を人間のままに吸血鬼の力を与えそして縛る神器と見た。ならば、染谷もまた何者かに支配されているということか?


「そいつで今まで血液を奪って殺してきたってのか。お前も……殺したのか。どうして、血液なんか」


「それも想像くらいはついているのだろう? それで合っているよ」


 逢見連続猟奇殺人実行犯が一人、染谷明。


「その神器は血を溜める為のものだな。そうして多くの人間にたくさんの血を集めさせ、主犯の吸血鬼に献上する。そうだな?」


「ここまで欠片が揃えば、その真実にたどり着くのも至極当然というものか。ああ、その通りだ。これは両面宿難(シレウェ・ナザラタ)という多頭の吸血鬼に由来するものらしい。今更隠すこともないだろう。お前はここで終わりなのだからな」


 ……まあ、そうなるか。


「俺をここに誘き寄せたのは、神器の秘密を知って核心に近づいた俺を始末する為。あんたがその処刑人ってわけか。まさか学校でとは思わなかったよ。盲点だった」


「ああ、そうだろうな。盲点だっただろう。俺がその役目を直々に仰せつかった。お前には七人目の犠牲者になってもらおう。悪く思うな」


 染谷を流れるプシュケーの奔流が、いっそう過激なものとなる。恐らく、身体能力は常人の数倍へと上昇しているだろう。ただでさえあの染谷明だ。鬼に金棒とはまさにこのこと。このままでは自分が処刑されることは明らか。しかし、望にはまだ奴に聞きたいことが在った。否、それは本当は知りたくないことだ。それを知ってしまったら、自分は――叶望は叶望でいられなくなってしまうかもしれない。しかし聞かなければならない。俺は真実を知るために今までやってきた。


 ――俺に勇気を貸してくれ。


「…………浅間を、殺したのは、あんたか」


「ああそうだ。俺が彼女を殺した」


 噛み締めすぎた奥歯が欠けた音がした。握りしめた右手の爪が掌に突き刺さり、流血がポタポタと屋上の床へ流れ落ちる。どこかで考えないようにしていた。犯人が複数いるのなら、目の前のこの男が浅間を殺した犯人とは限らない。どこかで期待していた。染谷はまだ殺人を犯していないと。それならばまだ引き返せた。しかし……これはもう戻れない。


 怒りと憎しみが体中を奔流し、プシュケーがその勢いを業火のごとく増していく。足の震えはない。望は悔しかった。自分が悔しかった。そして目の前の男が、そうするしかなかった現実に、理不尽な世界に失望した。胸の内に秘めたものが、ここから出せと言わんばかりに独りでに吐き出されてゆく。


「それが、あんたの思う”正しいこと”だっていうのか。あんたは前に言ったな。自分の正しいと思うことをしろ。大抵の場合はそれで間違いない、と。浅間を殺すことがそうだったっていうのかッ」


 染谷明はこちらを平然と眺めながら、それでいてどこか遠い所を見ているような面持ちでいた。


「そうだ。俺にはこれ以外の選択肢は取れなかった。これが俺の正義だ。何と罵られようとも結構。罵倒も甘んじて受けよう。しかしその行為自体に後悔や逡巡は一切ない」


「一体……どうして」


 望には分からなかった。どうしてもわからなかった。染谷明がそうしなければならなかった理由。他者の命を奪ってまで、貫き通さなければならない正義などあるのか。


「お前は俺が許せないだろう。そうだろうな。それが正常だ。俺は異常になってしまったのかもしれない。しかしそれでいい。そうでなければならない。俺がどうしても許せないのなら、今ここで俺をお前が止めて見せろ。叶望」

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