第六話
瞼を開くと天井が見えた。目が覚めるときに最初に目にする光景。そうして彼は一日の始まりを悟るのだ。長い人生の内の一日である。こんな日常が積み重なっていって、自分もいつかは年老いてゆくのだろうかと望は思う。眩しい朝日を浴びながら。
物音一つしない部屋の中で、叶望はベッドから起き上がる。軽く伸びをし、欠伸が出た。それを条件反射で覆いながら、ベッドから這い出て洗面所に向かい、冷たい水を出して顔を洗った。夏の熱気に部屋内は既に蒸し暑く、その冷たさは心地よく望の目を覚ました。既に頭の中は朝食をどうするかという思考に切り替わっていた。
テーブルに置かれたテレビのリモコンを手に取り、無意識に電源を入れる。デジタルハイビジョンの液晶に映し出されたのはニュース番組だった。画面の中のキャスターが淡々と朝のニュースを読み上げている。
映っているのは驚くべきことに、逢見市内の映像だった。直接いったことはないが、映っている駅の名前には見覚えがあった。駅周辺のビル街の路地裏をどうやら映しているようだ。そこにはたくさんの恐らくは警察関係者と思われる者達が現場検証らしきことをしている光景があった。
「今、逢見市内で起きている猟奇殺人事件について続報です。昨日深夜にて、新たな犠牲者がでたとのことです」
キャスターは淡々と述べる。
「この事件は先日同市内で起きた殺人事件で、被害者は首を鋭利な刃物で引き裂かれて死亡しています。犯人は未だ見つかっておらず、警察の捜査が今も続いている状況です。そして今回、起きた殺人事件の死体の状況証拠から、警察は本件を連続殺人事件と断定。本日の昼に記者会見を開く予定となっています」
朝から気が滅入るようなニュースだった。自分の暮らしている街で、殺人を犯す人間がいるということに、その現実に打ちのめされそうになる。これではラミアの言うことが正しいようではないか。人間は勝手に殺し合う。生物種として何か致命的な欠陥を抱えているかのようだ。
暗くなってから表に出るのはやめた方が良いだろう。当分はすぐに家に帰った方が良いかもしれない。もうこの前のような目に遭うのは御免である。自ら頭を突っ込むなどもっての外。
しかし学校の件もそうだが、今この街は何かがおかしい。まるで巨大な何かが蠢いていてでもいるかのようだ。嫌な予感がする。
悪い予感というものは、大抵の場合当たっているものだ。
一抹の不安を心の隅に一旦追いやり、望はいつも通り学校へ行く準備を始めた。
その悪い予感は、すぐに現実のものとなった。昼休みに弁当を食べる場所を探して校内を彷徨っていた望は、屋上への階段の前で立ち止まり、今日の天気の良さを考慮して屋上へ出ることを決めた。普段屋上は鍵がかかっていることもなく、生徒が自由に利用できる。階段を一段ずつ登り、外への扉を開くとそこには先客がいた。
「おい。てめえ女のくせに何眼つけてくれとんじゃ。ぶち殺すぞ」
「ハァ? 何それ意味わかんない。そっちが先に変な目でこっち見てきたんでしょこの変態」
先客は複数人いた。どうやら穏やかな雰囲気ではなさそうだ。その騒ぎの中心にいるのは二人の高学年の男子生徒と、一人の女子生徒だった。他には屋上の隅に三人の女子生徒が集まっていて、皆怯えている様子でその三人を見ている。望の姿にはその三人の女子達のみが気付いたようだった。
「てめえ女なら、泣いて許してもらえるとでも思ってんじゃねえだろうな。俺はそういう女って奴が大嫌いなんだ。ここなら誰もいない、誰も助けちゃくれねえぜ。その体にわからせてやろうか」
下卑た笑いを、その二人は洩らす。望は冷静に判断した結果、生徒会室へ走るかどうか迷った。しかし。
「生憎こちとら助けなんていらないのよね。あんたらみたいな未熟者、これ一本あれば十分」
そういうと女子生徒は足元に置いてあった竹刀入れを手に取り、中身を抜いた。長い髪の毛をポニーテールにし、整った顔立ちに大きな瞳。セーラー服に身を包んだ凛々しい姿。竹刀を持ったその構えは、素人目から見ても非常に様になっていた。剣道経験者だ。
「そんな棒切れで何ができる。おいお前はそっちからまわりこめ」
もう一人にそう指示を出し、二人は女子生徒に接近。徐々に距離を詰め、どちらかが羽交い絞めにするつもりなのだろう。隙を伺っていた。しかし女子生徒は怯むことなく、竹刀の切っ先でそれを牽制。すり足で間合いをとる。しかしまるで隙が無い。それは歴戦の猛者を思わせる立ち回りだった。一歩も引かないのは、一部の疑いも無く自分の強さを信じている証拠。
「おらあぁっ」
もう一人の男子生徒が、女子生徒に飛び掛かる。あまりにも体格の違いすぎる組み合いだ。このままでは不味い。望は加勢するつもりで走った。
しかし。
「はあぁぁぁぁぁぁぁ、やあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
女子生徒はそれを受けて気合を叫び、男子生徒の体を竹刀で薙いだ。男子生徒はわけもわからず横に倒れ、地を這って呻く。
「なあっ?」
先ほどまで強気でいた男は、その様子を見て表情を一変させる。目の前の光景が、あまりにも信じられないものだったからだ。望でさえも足を止め、彼女の剣技に見惚れた。その一挙手一投足は美しく劇的で、まるで芸術のようでさえあった。
「つきいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっっっっっっ!!!!」
貫くような気合と共に、強烈な突きが男の喉元に放たれた。男は奇声と共に目を見開いて倒れ、尻餅をついた。そこへ彼女は近づいてゆき、真上から見下ろし、言う。
「あがあ、がはぁ……ひぃ」
「これがあんたが馬鹿にする女の力よ。わかったら、二度とそんな妄言を垂れ流すな。そして私の前から去れ。永久に」
「ひいいいいぃぃぃ」
男たちはこちらには目もくれずに逃げ出していった。むしろあちらが不憫に思えるかのような哀れさであった。恐るべき女子高生もいたものである。そこで彼女がようやくこちらに気が付く。
「貴方……そこで何を」
「あ……」
その声を発したのは三人の女子生徒の中の一人だった。その女子生徒には見覚えがあった。
「あんた図書室の……」
「また会いましたね。こんなところで会うなんて、なんて奇遇なんでしょう」
昨日図書室で会った、図書委員の女子生徒。他の二人が泣き出してしまっているのを、彼女は必死になだめていた。
「ここで何があったんだ?」
「……はい、実は私達ここで昼食をとっていたんですが、さっきの二人が途中で現れたんです。そして私たちがいるにも関わらず煙草を吸い始めて、そしてこちらに言いがかりをつけてきて、それで命ちゃんが……」
命と呼ばれた女子生徒は、竹刀入れを拾い上げてその中に竹刀を収めていた、そしてこちらに向き直る。
「栞の知り合いだったの? 私は八重垣命、栞の親友よ」
「命ちゃん……親友って、ちょっと」
「何よ、間違ってないでしょ」
栞と呼ばれた彼女は、赤面して命を制止しようとする。そのやりとりだけで、この二人が気心の知れた中ということが窺えた。見ているこちらが気恥ずかしくなりそうである。
「私は浅間栞、みんな二年生です。君の名前、聞いてなかったよね」
「俺は、叶望。一年生」
「何よ名前知らないんじゃないの。あんた達結局なんなわけ」
八重垣は二人の仲を訝しげに窺う。その鋭い眼光がこちらへ向かう。
「ええと、ちょっとね」
そんな意味ありげな顔でこちらを見られても、一体どうすれば良いというのだ。
「……なんか怪しい。おい一年、あんたなんかに栞は渡さないわよ」
「だからそんなんじゃないって命ちゃん!」
「なんでもいいけど、さっきのこと先生に伝えた方がいいんじゃないのか」
彼女がいたからよかったものの、そうでなければ大変なことになっていた。これは立派な暴行未遂事件である。とりあえず染谷には伝えた方が良いだろう。
「私が言っとくわ。担任が生徒指導で、剣道部の顧問だから。……多分あいつら二年生よ。見たことあるもの」
「最近こういうの多いよね。なんか、怖いね」
浅間は不安さを顔に出して、そう洩らした。確かに最近の学校の治安は悪い。どこかにその原因があるのだろうか。立て続けにこんなことが起こるのは、果たしてただの偶然なのか。
「栞は私が守るわ」
彼女はそう言った。浅間は、良い友達を持っているのだなと思った。自分にはいるか? そう考えて頭の中を探すと連想するのは赤髪で、八重歯の女性だった。しかし友達、とは少し違う気もした。




