風の手応え
車屋の事務所の隅にある古い流しで、紙のフィルターを広げた。
接着された継ぎ目のところを指で折ってから、ドリッパーにセットして、ケトルの湯で紙を湿らせる。
湯の温度、挽き目、蒸らしの時間、注ぐ位置、注ぐ速さ。
今の自分にできる最良のコーヒーを淹れる。そんな思いで、粉の中央に、細く湯を落とす。
事務机の前に置かれた椅子では、親父さんが雑誌を読んでいる。姿勢を変えるたびに、盛大に椅子が軋む。
窓の外では、午後の風がトタンを鳴らしている。
最初にここで淹れた一杯を思い出す。
あのときは、一口すすって顔をしかめ、「コーヒー屋だけはやめとけ」と言われてしまった。
あれから、ずいぶん練習した。
マスターに教わったことを、ただ真似するだけではなく、自分なりにいろいろと試してみた。
まだマスターには及ばないが、それなりに美味いコーヒーを淹れる自信もある。
最初は、喫茶店のマスターに飲んでもらうつもりだった。
しかし、マスターには、
「僕は、コーヒーの淹れ方はいくらでも教えてあげるつもりだよ。
でも、君が工夫したものに対して、それを良いとか、悪いとか言うのは僕の役目じゃないと思う」
そう言われてしまったのだ。
カップに注いだコーヒーを、親父さんの前に置く。
親父さんは雑誌を置いて、油で黒ずんだ指でカップの取っ手をつまんだ。
一口すすって、何も言わない。
カップをもう一度持ち上げ、今度はゆっくり口に含んだ。
「前より、随分よくなったよ。ちゃんと飲める」
褒められたと思って、良いのだろうか?
「ペーパーフィルターの使い方も上手くなった。マスターのところはネルだから、自分で工夫したんだろ。まずまずだな」
コーヒーの良し悪しなんて気にしなさそうな見た目なのに、驚くほど鋭いことを言う。
「まったく、見かけによらず、うるさいですね」
「見かけで言うな。俺はもともと、マスターの店の客だからな、不味いもんには口が慣れん」
「春までには、美味いと言わせてみせますよ」
外に出ると、風が少し冷たくなっていた。夏の終わりとも、秋の始まりとも言い切れない匂いがする。風にあおられた雑草が倒れては戻る。
敷地の隅には、塗装の剥げたままのキッチンカーが止まっている。
キッチンカーのドアに手をかけると、金属のひんやりとした感触が手のひらに心地いい。
事務所の窓の中から、「内装材、明日届くぞ」と、親父さんが言った。




