風の規律2
「なぜ、コーヒーを売ることを勧めたか分かるかい」
ある日、マスターに聞かれた。
昼の混雑が過ぎた店内は、静かだった。
窓際の席には、薄い陽光が落ちている。
何と答えていいか分からず黙っていると、マスターはそれ以上何も言わず、豆を挽き始めた。
ハンドミルの回る音が、一定のリズムで店内に響く。
挽き終えた豆をドリッパーに落とし、表面を軽く整える。
マスターの動きには、無駄も迷いもない。
湯を細く落とすと、粉がふくらむ。
そのふくらみを見守りながら、マスターが口を開いた。
「商売はね、味が良いだけじゃ続かないんだよ」
湯を止めて、ふくらみが落ち着くのを、静かに待つ。
再び湯が落ち始めると、粉の表面にわずかな震えが広がり、すぐに静まる。
「本当は、僕が言うのも口幅ったいんだけどね。
でも、今のうちに理解しておいた方がいいと思うから、二つだけしゃべらせてもらうね」
マスターが続ける。
「一つは、それが例え、小さなキッチンカーだとしても、商売として始める以上、そこには責任が生じるということだ。それを、ちゃんと理解しておかないと、いけない。
もう一つは、知識だ。
物事を始めるには、勢いとか、思い付きとか、それも大事だよね。そこが無いと何も始まらないから。
でも、知識がないことは不誠実だと思う。正確には、無いままにしておくことは、かな。
それは、お客さんに対してというだけではなく、自分に対して、自分の人生に対して、不誠実ということだ。責任を持つためには、知識が必要なんだよ。
だから、まずは自分でよく考えて、自分で勉強してごらん」
話し終わると、お説教じみたことを言ってしまったと誤りながら、淹れたてのコーヒーを注いだカップを差し出した。
白い磁器のなかで、窓からの光を帯びたコーヒーが、薄い琥珀色に揺れている。
鼻を近づけると、湯気がゆっくりと立ち上り、いい香りが広がった。




