風の規律1
「コーヒーはうまく淹れられたのか」
喫茶店のマスターに聞かれて、正直に話した。車屋の親父さんに酷評されたことも話した。
「それで、君はどうしたいんだい」重ねて、そう聞かれた。
しばらく迷った後で、マスターに話してみることにした。
「高校を卒業したら旅に出ようと思っています。キッチンカーで旅費を稼ぎながら、日本中を旅できたらいいなと思って」
そのために、中古のキッチンカーを手に入れて修理していること、車屋の親父さんに、手助けしてもっているお礼をしたいが、受け取ってくれないことなどを話した。
マスターは、何か考えるように目を細めながら聞いていた。
「ご両親には、君の計画をちゃんと伝えたのかな」
「母には、話しました。父は、今はいないので」と答える。
何か言いたげだった母の顔が、脳裏に浮かぶ。
「そう、もしかして悪いことを聞いたかな」
「いえ、あのなんというか、父は多分元気なんだと思います。出て行ったきり帰ってこないだけ、というか」
そう言いながら、自分も父と同じようなことをしようとしているのではないかと気づいた。
マスターはどう理解したのか分からないが、その話は、それきりになった。
マスターがコーヒーを淹れるのを見ている。
整然と器具が並べられている。ドリッパー、フィルター、サーバー、ポット。いつもはネルのフィルターを使うのに、何故かペーパーフィルターが置いてある。
薬缶のお湯を沸騰させてから火を止め、ドリップポットに移す。
サーバーとカップに熱湯を注ぎ、軽く回して温める。ドリッパーにも少量のお湯を通す。
ペーパーフィルターのシール部分が粉に当たらないように、きちんと折ってからドリッパーにセットして、静かにお湯を注ぐ。
コーヒー豆をハンドミルで丁寧に挽いて、香りを確かめてから、ドリッパーへ入れる。
やがて、ポットからお湯が細く注がれると、粉がふっくらと膨らむ。
徐々にガスが抜けていくのと入れ替わりに、ふくよかなコーヒーの香りが立ち始める。
「本当はペーパーフィルター用に調整した豆を使いたいところだが、これでも悪くないはずだよ」
そう言って差し出されたカップを受け取る。
一口飲んでみる。
確かにいつもの味とは違う、少し酸味が立った味になっている気がした。
そう言うと、マスターは頷いてから、説明してくれた。
「ペーパーフィルターを使うと、酸味の強めの澄んだ味になる。ネルのフィルターの方が、濃厚なコーヒーを抽出することができる」
つづけて、マスターが言う。
「どちらが良いというものではないと思う。ちゃんとした喫茶店では、うちのようにネルのフィルターを使うところが多いが、基本的には好みの問題かな。
ただね、キッチンカーでコーヒーを出すなら、ペーパーフィルターを使うべきだと思うよ。手入れが面倒なネルのフィルターは避けた方が良いからね」
マスターにコーヒーの淹れ方を教わることになった。
マスターの手元を見ていると、時間がゆっくりと沈んでいくようだ。
ポットから流れるお湯は、一本の糸のように細く、決して乱れない。湯が落ちるのに合わせて、粉の表面がわずかに震える。
「コーヒーはね、淹れる人の性格が出るよね。いい加減な扱いをすれば、いい加減な味になるし、雑な人には、雑な味しか出せない。
何ごともそうだけど、どこまで徹底できるかということだと思うよ」
自分のことを言われているようで、なんとも耳が痛い。
「こちらが、丁寧に扱えば、ちゃんと応えてくれるしね」
キッチンカーの修理で親父さんに言われたことと、どこかで重なる。機械も、コーヒーも、人のいい加減さを隠してはくれない。




