風の始まり1
7月のあの日から、毎日のように車屋へ通った。
3年生の夏休みを過ぎると高校の授業もあまりない。進学する気もなかったから、時間はあった。
喫茶店のアルバイトがある日は、それが終ってから車屋へ顔を出した。
最初は、本当に自分で直すつもりでいた。ウェブサイトでマニュアルを見たり、動画で勉強すれば何とかなるだろうと思っていたのだ。
当然すぐに行き詰った。
車屋の親父さんは、最初は黙って見ていたが、そのうち、少しずつ口を出すようになった。
親父さんにしてみれば、素人の修理がすぐに行き詰ることは、当然分かっていたのだろう。
そもそも、買うときに「週末は、手伝いに来い」と言ったのは、「仕方ないから教えてやるよ」という意味だったのじゃないかと思う。
親父さんは、認めないだろうが、最初から手伝うつもりだったに違いない。
作業を始めてみて分かったのだが、キッチンカーの状態は、最初の印象よりも、はるかに良かった。
エンジンは、バッテリーとオイル、それと点火プラグを交換して、ついでにエアクリーナーのエレメントを掃除しただけで、すんなりと始動した。
駆動系や足回りも、親父さんに教わって、オイルや消耗品の交換、基本的な整備をすれば問題なさそうだった。
それに、オイルまみれになりながら車を修理するのは、思った以上に楽しかった。機械は適切な作業をしてやれば、ちゃんと答えてくれる。
夏休みが終わるころには、店の敷地の中を動かせるようになっていた。
ブレーキのオーバーホールは、結局、親父さんがやった。固着したブレーキキャリパーを分解して、シール類も全て取り換えた。おかげで、ブレーキだけは新品のようになった。
「エンジンが壊れても車は走らないだけだが、ブレーキが壊れたら大事故になる。自分だけでなく他人を危険にさらす可能性もある」そう言われた。
だから責任を持てないことはしてはいけない、ということだ。
車という、1トン近くある鉄の塊を動かすことの意味が、少し分かった気がした。
逆に、キッチンボックス側の作業は、手を出す気は無さそうだった。
「キッチンボックスの底が抜けても、事故にはならないからな。せいぜいお前の足が折れるくらいだろ」そう言われて、苦笑した。
そう言いながらも、基本的な溶接のやり方は教えてくれたし、必要な鉄板は廃車から外して使っていいとも言われた。




