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黒鷲の皇太子は拾った猫を溺愛する~冷徹な彼はキス魔でした~  作者: はるてん


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8話 図書棟


 貴族学院の図書棟はドーム型のガラス天井を持ち、中は迷路のような書棚と広い閲覧スペースが備えてある。

 その書棚の前で、アマリエは午後の追加授業開始の鐘の音を聞いていた。成績優秀で午後の授業は免除されてるアマリエだったが、今日はその鐘の音が体に重く響いた。


 ――お昼休みが、終わってしまった。


 まだ昼食を食べていないアマリエのお腹が軽く鳴る。早く食堂に行かないと、厨房が閉まってしまうが、彼女の足は動こうとはしない。


 ――行、けない。


 顔を真っ赤にして、アマリエは持っていた本に顔を埋める。食堂に行かなければいけないことも、ローグヴァルトが待っているだろうことも分かっていた。それでも、彼女は動けない。

 先日、突然自室に現れたローグヴァルトとのあれこれを思い出して、アマリエはずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

 あれから二日、高熱からは回復したが、アマリエの心の整理はまだついていない。


 ――だって、どうしたって恥ずかしい。なにを、どこまで、聞かれてしまったの。


 ローグヴァルトの夢を見て、普段言えないことを夢の中で話していたと思ったら、いつの間にか本物のローグヴァルトが枕元にいてアマリエは心臓が止まった。

 たくさん恥ずかしいことを言ってしまった気がして、でもどこから聞いていたのかなんて確認もできなくて、アマリエは今も羞恥の渦の中にいる。


 ――会いに行かないと、きっと殿下は怒る。心配もさせちゃうって、わかってるけど。でもどんな顔をして会いに行けばいいか、わからないんだもの。


 婚約者からは逃げられないとわかっているのに、勇気が出なくて顔を赤くしたアマリエは図書棟の隅にうずくまったまま動けない。

 書棚の奥、一目につかないところで一人しゃがみ込む少女には暗い影がかかっていた。


「大丈夫、ですか?」


 とある貴族令息に声を掛けられたのはそんな時。知らない声に、アマリエは本を抱えて飛び上がった。

 振り返ると、驚いた顔をする茶色い髪の少年がそこにいた。


「あ、すみません。具合が悪いのかと思って声をお掛けしたのですが」

「だ、大丈夫です! ありがとうごさいます!」


 アマリエは慌てて頭を下げる。


「大事ないのでしたら、よかったです」


 温和な少年だった。優しく微笑みかけられて、アマリエも照れる。


「俺の婚約者に何か用か」


 それは、足元から這い上がってくるような低い声。

 アマリエが反射的に顔を向ければ、書棚の先に酷く不機嫌そうなローグヴァルトが立っていた。その視線の鋭さに、二人は震えあがる。

 素早く、貴族令息はアマリエから離れた。


「体調が悪いわけではないなら、僕はこれで」


 彼は気まずそうにローグヴァルトの横をすり抜けていく。それを見送ると、ローグヴァルトは書棚の間を進み始めた。アマリエとの距離を、一歩一歩ゆっくりと詰めていく。

 それを、アマリエは顔を真っ青にしながら見ていた。


「こんなところで、何をしている? アマリエ」


 静かな問いかけだった。紅い瞳がアマリエだけを映している。口元だけ笑っているところに、とんでもない恐怖を彼女は感じながら、後ずさる。


「あ、あの」

「もう熱は下がったんだろう? 朝登校したと報告があったから、食堂で待っていたのに。どうして貴女はここにいる?」

「その、えっと」

「俺を放置しながら、他の男と密会だなんて」


 アマリエはじりじりと追いつめられる。背中が書棚にぶつかる。一本道はローグヴァルトに塞がれていて、逃げ場はない。


「酷いことをするな、俺の婚約者は」

「ご、ごめんなさいっ」


 密会ではなかったが、彼女の口からは反射的に謝罪が飛び出た。その行動は、彼の怒りに油を注ぐ。その瞳から、温度が消えた。


「密会、本当にしていたのか」

「え? あ。ちが、違います!」


 慌てて否定しても、時既に遅く。アマリエの体は二本の腕によって書棚に押さえつけられた。

 ローグヴァルトの顔が近づいてきて、アマリエは目をつぶる。が、彼の口が向かったのは、唇ではなく、首筋だった。


「いっ!」


 ローグヴァルトは本気でアマリエの首筋を噛んでいた。口を離せば、白い首筋にくっきり歯形が残っている。一拍遅れて、それは赤く色づいた。

 じんじんとした痛みが彼の怒りの強さをアマリエに伝えてくる。出会った時から紳士だったローグヴァルトに、始めて与えられた痛みだった。


「痛い、です」


 痛みのせいか、彼を怒らせたことに対する後悔からか。涙をにじませるアマリエに、ローグヴァルトは低く応える。


「貴女が悪い」


 ローグヴァルトの少し硬い指がアマリエの首筋を撫でる。歯型の凹凸を指で確かめながら、まだ怒りの残る目で彼は問いかけた。


「言い訳があるなら、聞くが?」

「ご、めんなさ、い」


 緑の瞳から涙が零れた。婚約者の涙にローグヴァルトは少したじろぐ。


「……それは、なにに対する謝罪だ」

「すぐに、会いに行かなくて、ごめんなさい」


 本格的に泣き始めたアマリエを彼は抱きしめた。アマリエは大人しく彼の腕に包まれる。


「分かっているなら、何故すぐに来ないんだ」

「……恥ず、かしく、て」


 今は、恥ずかしさよりも、彼を怒らせたままなのが嫌だった。止まらない涙がローグヴァルトの制服を濡らす。


「ごめん、なさい」

「……すぐに謝るところは貴女の利点でもあり、欠点でもあるな」


 一つ、ローグヴァルトはため息をつく。その瞳からはもう怒りが抜けていた。


「あの男は?」

「ここで、座り込んでたら、具合悪いのかって声をかけてくれただけ、です」


 婚約者が少し落ち着いたのを感じて、ローグヴァルトは体を離した。アマリエの涙を拭う。その優しい手つきに彼女は顔を上げた。

 潤んだ瞳で見上げられて、一度は落ち着いたローグヴァルトの中の獣がまた顔を上げる。

 彼は額を彼女の額に合わせて静かに尋ねた。


「口づけても?」


 その一言に、アマリエの顔は瞬時に真っ赤になった。婚約者の困り果てた顔に、ローグヴァルトは懐かしさと寂しさを覚える。


 ――この顔を見るのも久しぶりだな。


 舞踏会でぎこちなくなり、彼女が体調を崩していた間は我慢していたから、待ち望んでいた甘い時間だった。


「嫌なら、しない」


 アマリエが震えた。小さく首を振る。

 意地の悪いことを言っている自覚はあった。それでも、少しでもいいからアマリエから求めて欲しくて、ローグヴァルトは彼女を腕の中に閉じ込めたまま待つ。


 ――恥ずかしい。恥ずかしい……でも、今、嫌って言ったら、もう二度としてくれないかもしれない。


 長い時間をかけて、アマリエは迷った。迷いに迷った末、彼女はおずおずと手を伸ばす。震える手を、ローグヴァルトの首に回した。紅い瞳を見ていられなくて、目を伏せる。


「……して」


 小さな声をローグヴァルトは聞き逃さない。彼は自分の理性が崩壊する音を聞きながらアマリエの唇を奪った。

 方向を変え角度を変え、より深い柔らかさを求めて貪る。首に回された手の感覚が新鮮で、ローグヴァルトは必死に彼女を求めた。

 アマリエも今日は自分から彼を求めた。彼の手に包まれて貪られる度に感じるのは、疑う余地のない深い愛。


 ――恥ずかしいのに。安心してる私がいる。こうやって求めてもらえるなら。私、代役でも、構わない。


 積極的に答えてくるアマリエに、ローグヴァルトはもう脳がとろけそうになっていた。息をする暇もないぐらい、夢中で隙間を塞いでいく。彼女の苦悩など、想像もしていなかった。


 ――例え貴女が無能になっても。


 数日前に聞いた幼い声はまだアマリエの心に深く刺さっている。


 ――私が、役に立つ人間でいればいいでしょう?


 アマリエは心に残るもやもやを舌に感じる快楽で無理やり押し流した。




 どれだけそうしていたのか。鐘の音を合図に二人の唇は離れた。

 くう、とアマリエの体が空腹を訴えた。先ほどとは別の意味で真っ赤になる彼女に、ローグヴァルトは笑う。


「そうだな。俺も腹が空いた。食べに行くぞ」

「? どこに、ですか?」


 お昼の時間から既に鐘が二つ鳴った。もうさすがに厨房はしまっているだろう、というアマリエの考えは、ローグヴァルトに覆される。


「食堂だ。厨房は待たせてある」


 言葉の意味を理解すると、彼女は息を呑んだ。現在進行形でどれだけの人に迷惑をかけているか、想像するだけで意識が飛びそうになる。


「な、なんてことしてるんですか殿下!」

「仕方ないだろう、貴女が来ないのが悪い」


 悪びれもしない婚約者の横でアマリエは顔を覆う。

 二度と、お昼に遅刻はしないと心に決めた。

9話は本日6月13日(土)21時投稿予定。次話で一旦完結になります。


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