アビゲイル編1「弥明後日のアビゲイル」
宇宙船は、何の前触れもなく停止した。
白井キャプテン「止まったな」
タルト「はい。現在、航行システムが停止しています」
ジェントル「故障か?」
タルト「いいえ」
ネクタイ「パンは?」
タルト「パンには異常ありません」
ネクタイ「ならいい」
ペリカリノ「よくねえよ!! 宇宙船が止まってんだぞ!!」
ネコさん「まあまあ、ペリカリノくん。パンが無事ならよかったにゃ」
ペリカリノ「ネコさんまで何言ってんですか!?」
白井「タルト、原因は?」
タルト「船の前方に、通常の宇宙空間とは異なる領域があります」
白井「ほう」
タルト「観測不能です」
白井「面白そうだな」
ペリカリノ「絶対行く気だ……」
白井「行くぞ」
ペリカリノ「やっぱり!!」
ジェントル「ガンダで行くぜ!」
ペリカリノ「なんでお前まで乗り気なんだよ!」
ネクタイ「俺は行かない」
白井「置いていくぞ」
ネクタイ「パンがあるなら行く」
ペリカリノ「判断基準がパンしかねえ!!」
白井は操縦席に座った。
そして、迷いなくレバーを倒した。
宇宙船が異常領域へ突入する。
――瞬間。
視界が白くなった。
音が消えた。
時間の感覚も消えた。
そして。
宇宙船は、一軒の古い家の前に着陸していた。
ジェントル「……ここ、どこ?」
タルト「不明です」
白井「別の宇宙だな」
ペリカリノ「なんで分かるんですか!?」
白井「宇宙船に詳しいから」
ペリカリノ「説明になってねえ!!」
白井「よし、突撃するぞ」
ペリカリノ「何に!?」
白井「家に」
ペリカリノ「せめて調査とかしろ!!」
白井「ジェントル」
ジェントル「おう!」
白井「先行してくれ」
ジェントル「ガンダで行くぜ!」
ジェントルは一瞬で玄関まで走った。
ドアを開ける。
ジェントル「こんにちはー!」
返事はない。
ジェントル「誰かいるー?」
奥から、かすかな声がした。
「……何?」
ジェントル「人いた!」
白井「突撃」
ペリカリノ「だから何で!?」
一行は家の中へ入った。
部屋の中央に、アビゲイルが座っていた。
机の上には紙、これから書き始めようとしたのだろうか、空白で埋まっている。
アビゲイルは顔を上げた。
アビゲイル「……誰ですか」
白井「白井キャプテン」
アビゲイル「そうですか」
白井「お前は?」
アビゲイル「アビゲイル」
白井「何してる?」
アビゲイル「何も」
白井「じゃあ宇宙船に乗れ」
アビゲイル「嫌です」
白井「そうか」
白井は振り返った。
白井「連れていくぞ」
アビゲイル「……?」
ペリカリノ「キャプテン!! 本人が嫌だって言ってんだろ!!」
ネコさん「白井キャプテン、それは少し強引にゃ」
白井「そうか?」
ジェントル「じゃあ俺が説得する!」
アビゲイル「結構です」
ジェントル「そうか!」
ペリカリノ「引き下がるの早っ!!」
ネクタイ「パン食べる?」
アビゲイル「……いりません」
ネクタイ「そう」
ネクタイはパンを食べ始めた。
アビゲイルは彼らを眺めた。
騒がしい。
あまりにも騒がしい。
自分とは正反対だった。
誰も彼も勝手に動いている。
勝手に話している。
勝手に笑っている。
変化している。
生きている。
アビゲイル「……あなたたちは、疲れないんですか」
白井「何が?」
アビゲイル「生きること」
一瞬だけ、船内が静かになった。
白井は少し考えた。
そして言った。
白井「知らん」
アビゲイル「……」
白井「でも、面白いからな」
アビゲイル「面白い?」
白井「ああ」
アビゲイル「世界が?」
白井「世界も、宇宙も、人間も」
アビゲイル「私は、もうそういうものを諦めました」
白井「そうか」
アビゲイル「変わらないことにしたんです」
白井「それもいいんじゃないか?」
アビゲイル「……え?」
白井「変わりたくないなら変わらなくていいだろ」
ペリカリノ「珍しくまともなこと言った……」
白井「ただ」
白井は窓の外を指差した。
「宇宙は勝手に変わるぞ」
アビゲイルは窓を見た。
黒い空間。
無数の星。
そして、その向こう側に――
巨大な亀裂があった。
タルト「報告します」
全員がタルトを見る。
タルト「この宇宙は現在、崩壊しています」
ペリカリノ「は?」
タルト「正確には、三日後に崩壊します」
白井「三日後?」
タルト「はい」
ジェントル「じゃあ急がないとな!」
白井「よし」
白井は立ち上がった。
「弥明後日までに、この宇宙をどうにかするぞ」
ペリカリノ「……」
ペリカリノ「弥明後日?」
白井「そう」
ペリカリノ「明々後日じゃなくて?」
タルト「白井キャプテンは現在、明々後日のさらに翌日を意味する言葉として使用しています」
ペリカリノ「なんでそんな微妙にややこしい言葉を使うんだよ!!」
白井「強そうだから」
ペリカリノ「理由が小学生なんだよ!!」
その横で、アビゲイルは静かに紙を見ていた。
この空白で埋まった白い紙に、文字を書き埋める。
弥明後日。
アビゲイル「……変化しないと決めたのに」
白井「ん?」
アビゲイル「どうしてでしょうね」
白井「知らん」
アビゲイル「……」
白井「行くぞ」
ジェントル「ガンダで行くぜ!」
ネクタイ「パン持った」
ペリカリノ「待て待て待て!! 何も解決してないだろ!!」
ネコさん「まあ、行ってみれば何か分かるかもしれないにゃ」
タルト「全員、乗船を確認」
アビゲイルは立ち上がった。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
自分から。
そして宇宙船へ向かって歩き始めた。
世界は、まだ諦める直前にあった。
その三日後に何が起こるのかも。
弥明後日が本当に来るのかも。
誰にも分からなかった。
ただ一つ分かっていたのは――
白井キャプテンが、もうアクセルを踏んでいるということだけだった。
そして、宇宙船は飛び立った。
アビゲイルは窓際の席に座っていた。
隣ではジェントルが窓に張り付いている。
ジェントル「うおおお! すげえ!」
アビゲイル「……」
ジェントル「なあアビゲイル!」
アビゲイル「何ですか」
ジェントル「宇宙ってすげえな!」
アビゲイル「そうですね」
ジェントル「感動しない?」
アビゲイル「しません」
ジェントル「そっか!」
アビゲイル「……」
ジェントル「俺はする!」
アビゲイル「そうですか」
ジェントル「うん!」
アビゲイルは窓の外を見た。
星が流れている。
見慣れない星。
見慣れない宇宙。
見慣れない景色。
それでも、何も思わない。
……はずだった。
白井「タルト!」
タルト「はい」
白井「あとどれくらいだ?」
タルト「目的地まで約三時間です」
白井「三時間か」
ペリカリノ「その前に宇宙船を直せよ」
白井「飛んでるから問題ない」
ペリカリノ「それは直ったとは言わないんだよ!!」
ネコさん「まあまあにゃ」
ネクタイ「パンある?」
タルト「残り七個です」
ネクタイ「よし」
ペリカリノ「なんでそれだけで安心できるんだよ……」
アビゲイルは会話を聞きながら、宇宙の星空を眺めていた。
その瞬間。
「警告」
タルトの声が船内に響いた。
全員が顔を上げた。
タルト「前方に異常な空間歪曲を確認しました」
白井「どんな感じだ?」
タルト「説明できません」
白井「最高だな」
ペリカリノ「最低だよ!!」
白井「突っ込むぞ」
ペリカリノ「待て!!」
ジェントル「ガンダで行くぜ!」
ペリカリノ「船でガンダするな!!」
白井が操縦桿を握る。
アビゲイル「……ちょっと」
白井「ん?」
アビゲイル「大丈夫なんですか?」
白井「分からん」
アビゲイル「……」
白井「でも行く」
アビゲイル「どうして?」
白井「そこにあるから」
あまりにも単純だった。
アビゲイルは何も言わなかった。
宇宙船が加速する。
星が線になる。
空間が歪む。
そして――
世界が裏返った。
アビゲイルは、目を閉じた。
音が消えた。
身体が浮いたような感覚。
時間がなくなる。
何かが遠ざかる。
何かが近づいてくる。
そして。
ドンッ。
宇宙船が停止した。
タルト「到着しました」
ペリカリノ「……今度はどこだ?」
タルト「分かりません」
ペリカリノ「またかよ!!」
白井が窓の外を見る。
そこには、巨大な建物があった。
建物というより、都市だった。
空中に道路があり、無数の建物が浮いている。
そしてその中心に、巨大な時計が浮かんでいた。
白井「面白そうだな」
ペリカリノ「嫌な予感しかしない」
タルト「一点、問題があります」
白井「何だ?」
タルト「この都市には、現在時刻が存在しません」
ペリカリノ「……は?」
ネコさん「時計があるのに?」
タルト「はい」
アビゲイルは時計を見た。
針が動いている。
しかし、何時なのか分からない。
数字がない。
ただ針だけが動いている。
ネクタイ「パンは?」
ペリカリノ「今それ聞く!?」
ネクタイ「重要」
ジェントル「確かに」
ペリカリノ「お前もかよ!!」
白井「降りるぞ」
ペリカリノ「嫌な予感しかしないんですけど」
白井「俺もする」
ペリカリノ「じゃあ行くなよ!!」
宇宙船の扉が開く。
全員が外へ出た。
アビゲイルも続く。
都市は静かだった。
人がいる。
たくさんいる。
しかし誰も喋っていない。
誰も歩いていない。
誰も動いていない。
ただ、時計だけが動いている。
アビゲイル「……変ですね」
白井「そうだな」
タルト「解析結果が出ました」
白井「どうだ?」
タルト「この都市では、明日・明後日・明々後日という時間の概念が存在しません」
ペリカリノ「なんだそれ」
タルト「代わりに」
タルトが時計を分析する。
「『弥明後日』という時間だけが存在します」
沈黙。
ペリカリノ「……」
ジェントル「おお」
ネクタイ「パン?」
ペリカリノ「パンじゃねえ!!」
アビゲイルは時計を見上げた。
弥明後日。
意味の分からない言葉。(4日後という意味ではあるだろ!!)
けれど、その言葉だけが、この都市では時間として存在している。
白井「タルト」
タルト「はい」
白井「弥明後日って、いつだ?」
タルト「分かりません」
白井「よし」
ペリカリノ「何が『よし』なんだよ!!」
白井「調べに行くぞ」
ジェントル「ガンダで行くぜ!」
ペリカリノ「だから走る必要ないだろ!!」
ジェントルが走り出す。
ネコさんがゆっくり歩く。
ネクタイはパンを食べながらついていく。
タルトは小型監視カメラを飛ばす。
白井は何も考えず先頭を歩く。
そしてアビゲイルも――
気づけば、その後ろを歩いていた。
彼女はふと立ち止まった。
自分がどうしてここまで来たのか分からない。
帰ることもできる。
宇宙船に戻ればいい。
家に帰ればいい。
静かな部屋もある。
紙もある。
何も変わらない生活に戻れる。
それなのに。
アビゲイルは、歩いた。
都市の奥へ。
巨大な時計の下へ。
そして時計の針が、一度だけ大きく動いた。
カチッ。
その瞬間。
都市中の人間が、一斉にこちらを向いた。
ペリカリノ「……え?」
ジェントル「なんだ?」
ネコさん「みんなこっちを見てるにゃ」
ネクタイ「パン……」
白井「おお」
アビゲイルは、立ち止まった。
無数の視線。
その中で、一人の老人がゆっくりと口を開いた。
「弥明後日が来た」
白井「来たのか?」
老人「来た」
白井「じゃあ、何が起こる?」
老人はアビゲイルを見た。
そして言った。
「彼女が決める」
アビゲイル「……私?」
白井「お前、何か知ってるのか?」
アビゲイル「知りません」
老人「それでいい」
アビゲイル「……」
老人は笑った。
「知らない者だけが、弥明後日を選べる」
アビゲイルは、時計を見上げた。
針は動いている。
けれど、どこへ向かっているのかは分からない。
そのときだった。
アビゲイルの手の中に、いつの間にか紙が一枚握られていた。
白紙だった。
彼女はそれを見つめた。
そして、初めて自分から思った。
――何を書こう。
その問いが浮かんだこと自体が、少しだけ不思議だった。
何を書けばいいのか。
そんなことを考えたのは、久しぶりだった。
いつもなら、頭に浮かんだものをそのまま書く。
意味があってもなくてもいい。
誰かに読ませるつもりもない。
けれど今は違う。
「彼女が決める」
あの老人の言葉が、頭から離れない。
アビゲイル「……私に決めろと言われても」
白井「じゃあ俺が決める」
アビゲイル「……」
白井「この都市を歩き回る」
アビゲイル「それは決めるというより、行動では?」
白井「細かいことはいい」
ペリカリノ「細かいことじゃねえよ!!」
ジェントル「じゃあ、どっちに行く?」
白井「右」
ジェントル「了解!」
ジェントルが右へ走り出す。
ペリカリノ「待て!! 何の根拠もないだろ!!」
白井「ない」
ペリカリノ「認めるな!!」
ネコさん「でも、右に何かあるかもしれないにゃ」
タルト「確認します」
タルトの小型監視カメラが飛び立った。
数秒後。
タルト「右方向、約二百メートル先に建造物があります」
白井「ほらな」
ペリカリノ「たまたまだろ!!」
アビゲイルは、その様子を見ていた。
この人たちは、本当に何も考えていないのか。
いや。
考えている。
ただ、自分とは考え方が違う。
「分からないから動かない」のではない。
「分からないから動いてみる」。
その違いだった。
アビゲイル「……不思議ですね」
白井「何が?」
アビゲイル「あなたたちは、よくそんなに迷わず動けますね」
白井「迷ってるぞ」
アビゲイル「そうは見えません」
白井「迷いながら走ってる」
ジェントル「そうそう!」
ペリカリノ「それを迷ってないって言うんだよ!!」
アビゲイル「……」
少しだけ、口元が緩んだ。
ネコさんは何も言わずに、それをただ見ていた。
そのまま一行は、巨大な建物へ入り込む。
中には、無数の扉が立てられていた。
赤。
青。
白。
黒。
透明。
扉にはそれぞれ文字が書かれている。
「昨日」
「今日」
「明日」
「明後日」
「明々後日」
そして、一番奥。
誰も触れていない扉にだけ、文字がなかった。
白井「タルト」
タルト「はい」
白井「どれが正解?」
タルト「判断できません」
白井「じゃあ全部開けるか」
ペリカリノ「やめろ!!」
ジェントル「ガンダで全部開けよう!」
ペリカリノ「もっとやめろ!!」
ネクタイ「パンの扉は?」
ペリカリノ「そんなものない!!」
ネクタイ「残念」
アビゲイルは、無言で一番奥の扉を見ていた。
文字がない。
なぜか、その扉だけ気になった。
白井「アビゲイル」
アビゲイル「はい」
白井「どれがいい?」
アビゲイル「……」
選ぶ。
まただ。
選ばされる。
今まで、自分から何かを選ぶことを避けてきた。
変化しない。
期待しない。
望まない。
それが一番楽だった。
だから。
「どれでもいい」
そう言えばそれで済む。
のに、口が勝手に動いてしまう。
アビゲイル「……一番奥」
白井「よし」
ペリカリノ「本当にそれでいいのか」
白井「アビゲイルが選んだんだからいいだろ」
ペリカリノ「まあ…そうだけど」
白井が扉に手をかける。
開かない。
白井「ジェントル」
ジェントル「おう!」
白井「開けろ」
ジェントル「ガンダで行くぜ!」
ジェントルが扉へ突進する。
ドゴォン!!
扉が吹き飛んだ。
ペリカリノ「ドアを壊すな!!」
タルト「扉の破損を確認」
白井「問題ない」
ペリカリノ「問題あるだろ!!」
扉の向こうには、何もなかった。
ただ、暗闇だけが広がっている。
タルト「空間を確認できません」
白井「入るぞ」
ペリカリノ「また!?」
ネコさん「気をつけるにゃ」
白井が一歩踏み出す。
ジェントルが続く。
ネコさんも続く。
ネクタイはパンを食べながら続く。
タルトの監視カメラが続く。
そして。
アビゲイルも続いた。
暗闇の中を歩く。
何もない。
音もない。
光もない。
しばらく歩いたところで、アビゲイルが気づいた。
白井たちの姿が消えている。
アビゲイル「……?」
振り返る。
誰もいない。
初めてだった。
この旅で、一人になった。
アビゲイル「……」
静かだった。
自分が慣れ親しんだ静けさ。
これなら帰れる。
そう思った。
その瞬間。
前方から音がした。
音楽だった。
アビゲイルは立ち止まった。
聞いたことのない曲。
けれど、不思議と嫌ではない。
一歩。
また一歩。
音のするほうへ歩く。
やがて、暗闇の中に小さな光が見えた。
そこには、一台の古い蓄音機が置かれていた。
誰もいない。
ただ音楽だけが流れている。
アビゲイルは、その場に座った。
音楽を聴く。
胸の奥が、少しだけ動く。
悲しい。嬉しい。寂しい。懐かしい。
名前のつけられない感情。
いくつも混ざっている。
アビゲイル「……嫌だな」
そう言いながら。
彼女は音楽を止めなかった。
しばらくして。
後ろから声がした。
白井「いた」
アビゲイル「……どうしてここに?」
白井「迷った」
アビゲイル「あなたでも?」
白井「俺でも」
アビゲイル「……」
白井は蓄音機を見た。
白井「これ、何?」
アビゲイル「音楽です」
白井「知ってる」
アビゲイル「……」
白井「そうか」
白井は隣に座った。
…
ジェントルたちも、しばらくして戻ってきた。
ジェントル「いた!」
ペリカリノ「やっと見つけた……」
ネコさん「ここ、落ち着くにゃ」
ネクタイ「パン食べる?」
アビゲイル「……いりません」
ネクタイ「そう」
誰も音楽を止めなかった。
誰もアビゲイルに何かを求めなかった。
誰も「変わったほうがいい」と言わなかった。
ただ、そこにいた。
アビゲイルは目を閉じた。
そして、ほんの少しだけ思った。
――こういう時間なら、悪くない。
その瞬間。
蓄音機の音が止まった。
タルト「警告」
全員が顔を上げる。
タルト「都市全体で、時間の流れが変化しています」
白井「どうなった?」
タルト「弥明後日が終了します」
ペリカリノ「……は?」
タルト「現在、この都市から『弥明後日』という時間が消えようとしています」
白井「じゃあどうなる?」
タルト「分かりません」
白井「よし」
ペリカリノ「その『よし』何なんだよ!!」
白井は立ち上がった。
「じゃあ、見に行こう」
アビゲイルも立ち上がった。
今度は、誰かに言われる前に。
彼女自身の足で。
暗闇の向こうへ。
そして都市の巨大な時計が、最後の一秒を刻み始めた。
カチ。
カチ。
カチ。
その音を聞きながら、アビゲイルはふと思った。
弥明後日の次には――
何があるのだろう。
彼女はまだ、その答えを知らなかった。
巨大な時計は、ゆっくりと最後の一秒を刻み続けている。
アビゲイルは白紙の紙を持ったまま、それを見上げていた。
何を書けばいい。
そんなことを考えている間にも、時間は進んでいく。
白井「タルト!」
タルト「はい」
白井「時計を止められるか?」
タルト「可能です」
ペリカリノ「できるの!?」
タルト「ただし、停止すると都市全体の時間が停止する可能性があります」
ペリカリノ「じゃあやめろ!!」
白井「やってみよう」
ペリカリノ「話を聞け!!」
タルト「了解しました」
ペリカリノ「お前も従うな!!」
タルトの小型監視カメラが時計へ向かって飛んでいく。
アビゲイル「……」
ジェントル「どうなるかな!」
ネコさん「ちょっと心配にゃ」
ネクタイ「パン食べる?」
アビゲイル「……」
ネクタイ「いる?」
アビゲイル「いりません」
ネクタイ「そう」
ネクタイはパンを食べた。
時計が動く。
カチ。
カチ。
カチ。
そのとき。
都市の奥から、巨大な音が響いた。
ゴォォォォン!!
地面が揺れる。
建物が傾く。
ペリカリノ「うわっ!」
ジェントル「走るぞ!」
ペリカリノ「どこに!?」
ジェントル「分からん!」
ペリカリノ「お前ら本当に何なんだよ!!」
ジェントルが走る。
ペリカリノが追う。
ネコさんがゆっくり走る。
ネクタイがパンを持って走る。
白井は一人、時計へ向かって走っていた。
アビゲイル「……白井さん!」
白井「何だ!」
アビゲイル「そっちは危ないですよ!」
白井「知ってる!」
アビゲイル「なら、なぜ行くんですか!」
白井「危ないから!」
アビゲイル「……」
意味が分からない。
危険だから避けるのではない。
危険だから近づく?
この人の判断基準は、一体どうなっているのだろう。
アビゲイルは立ち尽くした。
そして、手元の白紙を見る。
何も書かれていない。
「……私は」
言葉が出なかった。
いつもなら、ここで帰る。
面倒だから。
怖いから。
疲れるから。
関わりたくないから。
それでいい。
それが一番楽だ。
なのに。
「……」
アビゲイルは走り出した。
自分でも驚いた。
足が動いている。
白井を追っている。
時計へ向かっている。
なぜなのかは分からない。
ただ。
「白井さん!」
白井が振り返る。
「何だ?」
「……私も行きます」
白井「おう!」
それだけだった。
理由も聞かない。
止めもしない。
ただ、先へ走っていく。
アビゲイルはその背中を追った。
時計の真下まで来ると、タルトの監視カメラが戻ってきた。
タルト「解析完了しました」
白井「どうだった?」
タルト「この時計は時間を測定しているのではありません」
ペリカリノ「じゃあ何なんだよ?」
タルト「時間を作っています」
全員が黙った。
白井「なるほど」
ペリカリノ「分かったのか!?」
白井「全然」
ペリカリノ「だろうな!!」
タルト「この時計が動くことで、『明日』『明後日』『明々後日』などの時間が生まれます」
アビゲイル「……」
タルト「しかし現在、この時計は『弥明後日』しか作っていません」
ネコさん「どうしてにゃ?」
タルト「分かりません」
白井「壊せば?」
ペリカリノ「だからすぐ壊そうとするな!!」
アビゲイル「待ってください」
全員がアビゲイルを見る。
アビゲイルは時計を見上げた。
針が動いている。
そして、気づいた。
「……これ、私が書いた言葉と同じです」
白井「何が?」
アビゲイル「さっき紙に書きました」
白井「弥明後日?」
アビゲイル「はい」
ペリカリノ「それがどうしたんだ?」
アビゲイル「分かりません」
ペリカリノ「分からないのかよ!」
アビゲイル「でも……」
時計が一度、大きく揺れた。
カチン。
針が止まる。
その瞬間。
都市の景色が変わった。
動かなかった人々が歩き始める。
止まっていた風が吹く。
建物が元の位置へ戻る。
そして、空に巨大な光が現れた。
タルト「時間の再構成を確認」
白井「どうなった?」
タルト「『弥明後日』が消失しました」
ペリカリノ「じゃあ成功したのか?」
タルト「いいえ」
ペリカリノ「え?」
タルト「代わりに、新しい時間が発生しています」
白井「何?」
タルト「『その次』です」
沈黙。
ジェントル「その次って、いつ?」
タルト「不明です」
白井「面白そうだな」
ペリカリノ「もう慣れてきたよ……」
アビゲイルは手元の紙を見た。
さっきまで白紙だった。
そこに、いつの間にか一行だけ文字が増えていた。
その次。
アビゲイル「……」
白井「書いたのか?」
アビゲイル「いいえ」
白井「じゃあ誰が?」
タルト「筆跡を解析します」
数秒後。
タルト「アビゲイルさんの筆跡と一致します」
アビゲイル「……」
自分は書いていない。
それなのに、自分の字だった。
ネコさん「不思議にゃ」
アビゲイル「……怖くないです」
白井「そうか?」
アビゲイル「少しだけ」
白井「じゃあ帰るか?」
アビゲイル「……」
アビゲイルは考えた。
家に帰れば静かだ。
海がある。
机がある。
紙もある。
何も変わらない。
それは、とても楽だ。
けれど。
彼女は紙を折りたたんだ。
ポケットへ入れる。
アビゲイル「……まだ、いいです」
白井「何が?」
アビゲイル「もう少しだけ」
白井「分かった」
白井は宇宙船の方向へ歩き出した。
ジェントル「じゃあ次の場所へ!」
ペリカリノ「まだ行くのかよ……」
ネクタイ「パン」
ネコさん「パンを買ってから行くにゃ」
タルト「近くにパン屋があります」
ネクタイ「行く」
ペリカリノ「お前だけ即決だな!!」
アビゲイルは、その後ろを歩いた。
彼女はまだ、世界を好きになったわけではない。
変わることを決意したわけでもない。
誰かを愛そうと思ったわけでもない。
ただ。
もう少しだけ、ここにいてもいいと思った。
それだけだった。
宇宙船が再び動き始める。
白井「全員乗ったか?」
タルト「確認しました」
ジェントル「準備完了!」
ネクタイ「パンも完了」
ペリカリノ「意味分かんねえよ!」
ネコさん「アビゲイルちゃんも乗ったにゃ」
白井「よし」
レバーが倒される。
宇宙船が空へ飛び立つ。
窓の外で、都市が小さくなっていく。
アビゲイルは、その景色を眺めていた。
そして、ポケットの中の紙に触れた。
「その次」
自分の知らない時間。
自分の知らない場所。
自分の知らない何か。
アビゲイル「……まあ」
小さく呟く。
「見てみても、いいか」
宇宙船は、まだ見ぬ時間へ向かって進んでいった。




