↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白井キャプテンの物語  作者: AI(御茶之川)
PR
32/41

アビゲイル編1「弥明後日のアビゲイル」


宇宙船は、何の前触れもなく停止した。


白井キャプテン「止まったな」


タルト「はい。現在、航行システムが停止しています」


ジェントル「故障か?」


タルト「いいえ」


ネクタイ「パンは?」


タルト「パンには異常ありません」


ネクタイ「ならいい」


ペリカリノ「よくねえよ!! 宇宙船が止まってんだぞ!!」


ネコさん「まあまあ、ペリカリノくん。パンが無事ならよかったにゃ」


ペリカリノ「ネコさんまで何言ってんですか!?」


白井「タルト、原因は?」


タルト「船の前方に、通常の宇宙空間とは異なる領域があります」


白井「ほう」


タルト「観測不能です」


白井「面白そうだな」


ペリカリノ「絶対行く気だ……」


白井「行くぞ」


ペリカリノ「やっぱり!!」


ジェントル「ガンダで行くぜ!」


ペリカリノ「なんでお前まで乗り気なんだよ!」


ネクタイ「俺は行かない」


白井「置いていくぞ」


ネクタイ「パンがあるなら行く」


ペリカリノ「判断基準がパンしかねえ!!」


白井は操縦席に座った。


そして、迷いなくレバーを倒した。


宇宙船が異常領域へ突入する。


――瞬間。


視界が白くなった。


音が消えた。


時間の感覚も消えた。


そして。


宇宙船は、一軒の古い家の前に着陸していた。


ジェントル「……ここ、どこ?」


タルト「不明です」


白井「別の宇宙だな」


ペリカリノ「なんで分かるんですか!?」


白井「宇宙船に詳しいから」


ペリカリノ「説明になってねえ!!」


白井「よし、突撃するぞ」


ペリカリノ「何に!?」


白井「家に」


ペリカリノ「せめて調査とかしろ!!」


白井「ジェントル」


ジェントル「おう!」


白井「先行してくれ」


ジェントル「ガンダで行くぜ!」


ジェントルは一瞬で玄関まで走った。


ドアを開ける。


ジェントル「こんにちはー!」


返事はない。


ジェントル「誰かいるー?」


奥から、かすかな声がした。


「……何?」


ジェントル「人いた!」


白井「突撃」


ペリカリノ「だから何で!?」


一行は家の中へ入った。


部屋の中央に、アビゲイルが座っていた。


机の上には紙、これから書き始めようとしたのだろうか、空白で埋まっている。


アビゲイルは顔を上げた。


アビゲイル「……誰ですか」


白井「白井キャプテン」


アビゲイル「そうですか」


白井「お前は?」


アビゲイル「アビゲイル」


白井「何してる?」


アビゲイル「何も」


白井「じゃあ宇宙船に乗れ」


アビゲイル「嫌です」


白井「そうか」


白井は振り返った。


白井「連れていくぞ」


アビゲイル「……?」


ペリカリノ「キャプテン!! 本人が嫌だって言ってんだろ!!」


ネコさん「白井キャプテン、それは少し強引にゃ」


白井「そうか?」


ジェントル「じゃあ俺が説得する!」


アビゲイル「結構です」


ジェントル「そうか!」


ペリカリノ「引き下がるの早っ!!」


ネクタイ「パン食べる?」


アビゲイル「……いりません」


ネクタイ「そう」


ネクタイはパンを食べ始めた。


アビゲイルは彼らを眺めた。


騒がしい。


あまりにも騒がしい。


自分とは正反対だった。


誰も彼も勝手に動いている。


勝手に話している。


勝手に笑っている。


変化している。


生きている。


アビゲイル「……あなたたちは、疲れないんですか」


白井「何が?」


アビゲイル「生きること」


一瞬だけ、船内が静かになった。


白井は少し考えた。


そして言った。


白井「知らん」


アビゲイル「……」


白井「でも、面白いからな」


アビゲイル「面白い?」


白井「ああ」


アビゲイル「世界が?」


白井「世界も、宇宙も、人間も」


アビゲイル「私は、もうそういうものを諦めました」


白井「そうか」


アビゲイル「変わらないことにしたんです」


白井「それもいいんじゃないか?」


アビゲイル「……え?」


白井「変わりたくないなら変わらなくていいだろ」


ペリカリノ「珍しくまともなこと言った……」


白井「ただ」


白井は窓の外を指差した。


「宇宙は勝手に変わるぞ」


アビゲイルは窓を見た。


黒い空間。


無数の星。


そして、その向こう側に――


巨大な亀裂があった。


タルト「報告します」


全員がタルトを見る。


タルト「この宇宙は現在、崩壊しています」


ペリカリノ「は?」


タルト「正確には、三日後に崩壊します」


白井「三日後?」


タルト「はい」


ジェントル「じゃあ急がないとな!」


白井「よし」


白井は立ち上がった。


「弥明後日までに、この宇宙をどうにかするぞ」


ペリカリノ「……」


ペリカリノ「弥明後日?」


白井「そう」


ペリカリノ「明々後日じゃなくて?」


タルト「白井キャプテンは現在、明々後日のさらに翌日を意味する言葉として使用しています」


ペリカリノ「なんでそんな微妙にややこしい言葉を使うんだよ!!」


白井「強そうだから」


ペリカリノ「理由が小学生なんだよ!!」


その横で、アビゲイルは静かに紙を見ていた。


この空白で埋まった白い紙に、文字を書き埋める。


弥明後日。


アビゲイル「……変化しないと決めたのに」


白井「ん?」


アビゲイル「どうしてでしょうね」


白井「知らん」


アビゲイル「……」


白井「行くぞ」


ジェントル「ガンダで行くぜ!」


ネクタイ「パン持った」


ペリカリノ「待て待て待て!! 何も解決してないだろ!!」


ネコさん「まあ、行ってみれば何か分かるかもしれないにゃ」


タルト「全員、乗船を確認」


アビゲイルは立ち上がった。


ほんの少しだけ。


本当に、ほんの少しだけ。


自分から。


そして宇宙船へ向かって歩き始めた。


世界は、まだ諦める直前にあった。


その三日後に何が起こるのかも。


弥明後日が本当に来るのかも。


誰にも分からなかった。


ただ一つ分かっていたのは――


白井キャプテンが、もうアクセルを踏んでいるということだけだった。


そして、宇宙船は飛び立った。


アビゲイルは窓際の席に座っていた。


隣ではジェントルが窓に張り付いている。


ジェントル「うおおお! すげえ!」


アビゲイル「……」


ジェントル「なあアビゲイル!」


アビゲイル「何ですか」


ジェントル「宇宙ってすげえな!」


アビゲイル「そうですね」


ジェントル「感動しない?」


アビゲイル「しません」


ジェントル「そっか!」


アビゲイル「……」


ジェントル「俺はする!」


アビゲイル「そうですか」


ジェントル「うん!」


アビゲイルは窓の外を見た。


星が流れている。


見慣れない星。


見慣れない宇宙。


見慣れない景色。


それでも、何も思わない。


……はずだった。


白井「タルト!」


タルト「はい」


白井「あとどれくらいだ?」


タルト「目的地まで約三時間です」


白井「三時間か」


ペリカリノ「その前に宇宙船を直せよ」


白井「飛んでるから問題ない」


ペリカリノ「それは直ったとは言わないんだよ!!」


ネコさん「まあまあにゃ」


ネクタイ「パンある?」


タルト「残り七個です」


ネクタイ「よし」


ペリカリノ「なんでそれだけで安心できるんだよ……」


アビゲイルは会話を聞きながら、宇宙の星空を眺めていた。


その瞬間。


「警告」


タルトの声が船内に響いた。


全員が顔を上げた。


タルト「前方に異常な空間歪曲を確認しました」


白井「どんな感じだ?」


タルト「説明できません」


白井「最高だな」


ペリカリノ「最低だよ!!」


白井「突っ込むぞ」


ペリカリノ「待て!!」


ジェントル「ガンダで行くぜ!」


ペリカリノ「船でガンダするな!!」


白井が操縦桿を握る。


アビゲイル「……ちょっと」


白井「ん?」


アビゲイル「大丈夫なんですか?」


白井「分からん」


アビゲイル「……」


白井「でも行く」


アビゲイル「どうして?」


白井「そこにあるから」


あまりにも単純だった。


アビゲイルは何も言わなかった。


宇宙船が加速する。


星が線になる。


空間が歪む。


そして――


世界が裏返った。


アビゲイルは、目を閉じた。


音が消えた。


身体が浮いたような感覚。


時間がなくなる。


何かが遠ざかる。


何かが近づいてくる。


そして。


ドンッ。


宇宙船が停止した。


タルト「到着しました」


ペリカリノ「……今度はどこだ?」


タルト「分かりません」


ペリカリノ「またかよ!!」


白井が窓の外を見る。


そこには、巨大な建物があった。


建物というより、都市だった。


空中に道路があり、無数の建物が浮いている。


そしてその中心に、巨大な時計が浮かんでいた。


白井「面白そうだな」


ペリカリノ「嫌な予感しかしない」


タルト「一点、問題があります」


白井「何だ?」


タルト「この都市には、現在時刻が存在しません」


ペリカリノ「……は?」


ネコさん「時計があるのに?」


タルト「はい」


アビゲイルは時計を見た。


針が動いている。


しかし、何時なのか分からない。


数字がない。


ただ針だけが動いている。


ネクタイ「パンは?」


ペリカリノ「今それ聞く!?」


ネクタイ「重要」


ジェントル「確かに」


ペリカリノ「お前もかよ!!」


白井「降りるぞ」


ペリカリノ「嫌な予感しかしないんですけど」


白井「俺もする」


ペリカリノ「じゃあ行くなよ!!」


宇宙船の扉が開く。


全員が外へ出た。


アビゲイルも続く。


都市は静かだった。


人がいる。


たくさんいる。


しかし誰も喋っていない。


誰も歩いていない。


誰も動いていない。


ただ、時計だけが動いている。


アビゲイル「……変ですね」


白井「そうだな」


タルト「解析結果が出ました」


白井「どうだ?」


タルト「この都市では、明日・明後日・明々後日という時間の概念が存在しません」


ペリカリノ「なんだそれ」


タルト「代わりに」


タルトが時計を分析する。


「『弥明後日』という時間だけが存在します」


沈黙。


ペリカリノ「……」


ジェントル「おお」


ネクタイ「パン?」


ペリカリノ「パンじゃねえ!!」


アビゲイルは時計を見上げた。


弥明後日。


意味の分からない言葉。(4日後という意味ではあるだろ!!)


けれど、その言葉だけが、この都市では時間として存在している。


白井「タルト」


タルト「はい」


白井「弥明後日って、いつだ?」


タルト「分かりません」


白井「よし」


ペリカリノ「何が『よし』なんだよ!!」


白井「調べに行くぞ」


ジェントル「ガンダで行くぜ!」


ペリカリノ「だから走る必要ないだろ!!」


ジェントルが走り出す。


ネコさんがゆっくり歩く。


ネクタイはパンを食べながらついていく。


タルトは小型監視カメラを飛ばす。


白井は何も考えず先頭を歩く。


そしてアビゲイルも――


気づけば、その後ろを歩いていた。


彼女はふと立ち止まった。


自分がどうしてここまで来たのか分からない。


帰ることもできる。


宇宙船に戻ればいい。


家に帰ればいい。


静かな部屋もある。


紙もある。


何も変わらない生活に戻れる。


それなのに。


アビゲイルは、歩いた。


都市の奥へ。


巨大な時計の下へ。


そして時計の針が、一度だけ大きく動いた。


カチッ。


その瞬間。


都市中の人間が、一斉にこちらを向いた。


ペリカリノ「……え?」


ジェントル「なんだ?」


ネコさん「みんなこっちを見てるにゃ」


ネクタイ「パン……」


白井「おお」


アビゲイルは、立ち止まった。


無数の視線。


その中で、一人の老人がゆっくりと口を開いた。


「弥明後日が来た」


白井「来たのか?」


老人「来た」


白井「じゃあ、何が起こる?」


老人はアビゲイルを見た。


そして言った。


「彼女が決める」


アビゲイル「……私?」


白井「お前、何か知ってるのか?」


アビゲイル「知りません」


老人「それでいい」


アビゲイル「……」


老人は笑った。


「知らない者だけが、弥明後日を選べる」


アビゲイルは、時計を見上げた。


針は動いている。


けれど、どこへ向かっているのかは分からない。


そのときだった。


アビゲイルの手の中に、いつの間にか紙が一枚握られていた。


白紙だった。


彼女はそれを見つめた。


そして、初めて自分から思った。


――何を書こう。


その問いが浮かんだこと自体が、少しだけ不思議だった。


何を書けばいいのか。


そんなことを考えたのは、久しぶりだった。


いつもなら、頭に浮かんだものをそのまま書く。


意味があってもなくてもいい。


誰かに読ませるつもりもない。


けれど今は違う。


「彼女が決める」


あの老人の言葉が、頭から離れない。


アビゲイル「……私に決めろと言われても」


白井「じゃあ俺が決める」


アビゲイル「……」


白井「この都市を歩き回る」


アビゲイル「それは決めるというより、行動では?」


白井「細かいことはいい」


ペリカリノ「細かいことじゃねえよ!!」


ジェントル「じゃあ、どっちに行く?」


白井「右」


ジェントル「了解!」


ジェントルが右へ走り出す。


ペリカリノ「待て!! 何の根拠もないだろ!!」


白井「ない」


ペリカリノ「認めるな!!」


ネコさん「でも、右に何かあるかもしれないにゃ」


タルト「確認します」


タルトの小型監視カメラが飛び立った。


数秒後。


タルト「右方向、約二百メートル先に建造物があります」


白井「ほらな」


ペリカリノ「たまたまだろ!!」


アビゲイルは、その様子を見ていた。


この人たちは、本当に何も考えていないのか。


いや。


考えている。


ただ、自分とは考え方が違う。


「分からないから動かない」のではない。


「分からないから動いてみる」。


その違いだった。


アビゲイル「……不思議ですね」


白井「何が?」


アビゲイル「あなたたちは、よくそんなに迷わず動けますね」


白井「迷ってるぞ」


アビゲイル「そうは見えません」


白井「迷いながら走ってる」


ジェントル「そうそう!」


ペリカリノ「それを迷ってないって言うんだよ!!」


アビゲイル「……」


少しだけ、口元が緩んだ。


ネコさんは何も言わずに、それをただ見ていた。


そのまま一行は、巨大な建物へ入り込む。


中には、無数の扉が立てられていた。


赤。


青。


白。


黒。


透明。


扉にはそれぞれ文字が書かれている。


「昨日」


「今日」


「明日」


「明後日」


「明々後日」


そして、一番奥。


誰も触れていない扉にだけ、文字がなかった。


白井「タルト」


タルト「はい」


白井「どれが正解?」


タルト「判断できません」


白井「じゃあ全部開けるか」


ペリカリノ「やめろ!!」


ジェントル「ガンダで全部開けよう!」


ペリカリノ「もっとやめろ!!」


ネクタイ「パンの扉は?」


ペリカリノ「そんなものない!!」


ネクタイ「残念」


アビゲイルは、無言で一番奥の扉を見ていた。


文字がない。


なぜか、その扉だけ気になった。


白井「アビゲイル」


アビゲイル「はい」


白井「どれがいい?」


アビゲイル「……」


選ぶ。


まただ。


選ばされる。


今まで、自分から何かを選ぶことを避けてきた。


変化しない。


期待しない。


望まない。


それが一番楽だった。


だから。


「どれでもいい」


そう言えばそれで済む。


のに、口が勝手に動いてしまう。


アビゲイル「……一番奥」


白井「よし」


ペリカリノ「本当にそれでいいのか」


白井「アビゲイルが選んだんだからいいだろ」


ペリカリノ「まあ…そうだけど」


白井が扉に手をかける。


開かない。


白井「ジェントル」


ジェントル「おう!」


白井「開けろ」


ジェントル「ガンダで行くぜ!」


ジェントルが扉へ突進する。


ドゴォン!!


扉が吹き飛んだ。


ペリカリノ「ドアを壊すな!!」


タルト「扉の破損を確認」


白井「問題ない」


ペリカリノ「問題あるだろ!!」


扉の向こうには、何もなかった。


ただ、暗闇だけが広がっている。


タルト「空間を確認できません」


白井「入るぞ」


ペリカリノ「また!?」


ネコさん「気をつけるにゃ」


白井が一歩踏み出す。


ジェントルが続く。


ネコさんも続く。


ネクタイはパンを食べながら続く。


タルトの監視カメラが続く。


そして。


アビゲイルも続いた。


暗闇の中を歩く。


何もない。


音もない。


光もない。


しばらく歩いたところで、アビゲイルが気づいた。


白井たちの姿が消えている。


アビゲイル「……?」


振り返る。


誰もいない。


初めてだった。


この旅で、一人になった。


アビゲイル「……」


静かだった。


自分が慣れ親しんだ静けさ。


これなら帰れる。


そう思った。


その瞬間。


前方から音がした。


音楽だった。


アビゲイルは立ち止まった。


聞いたことのない曲。


けれど、不思議と嫌ではない。


一歩。


また一歩。


音のするほうへ歩く。


やがて、暗闇の中に小さな光が見えた。


そこには、一台の古い蓄音機が置かれていた。


誰もいない。


ただ音楽だけが流れている。


アビゲイルは、その場に座った。


音楽を聴く。


胸の奥が、少しだけ動く。


悲しい。嬉しい。寂しい。懐かしい。


名前のつけられない感情。


いくつも混ざっている。


アビゲイル「……嫌だな」


そう言いながら。


彼女は音楽を止めなかった。


しばらくして。


後ろから声がした。


白井「いた」


アビゲイル「……どうしてここに?」


白井「迷った」


アビゲイル「あなたでも?」


白井「俺でも」


アビゲイル「……」


白井は蓄音機を見た。


白井「これ、何?」


アビゲイル「音楽です」


白井「知ってる」


アビゲイル「……」


白井「そうか」


白井は隣に座った。


…


ジェントルたちも、しばらくして戻ってきた。


ジェントル「いた!」


ペリカリノ「やっと見つけた……」


ネコさん「ここ、落ち着くにゃ」


ネクタイ「パン食べる?」


アビゲイル「……いりません」


ネクタイ「そう」


誰も音楽を止めなかった。


誰もアビゲイルに何かを求めなかった。


誰も「変わったほうがいい」と言わなかった。


ただ、そこにいた。


アビゲイルは目を閉じた。


そして、ほんの少しだけ思った。


――こういう時間なら、悪くない。


その瞬間。


蓄音機の音が止まった。


タルト「警告」


全員が顔を上げる。


タルト「都市全体で、時間の流れが変化しています」


白井「どうなった?」


タルト「弥明後日が終了します」


ペリカリノ「……は?」


タルト「現在、この都市から『弥明後日』という時間が消えようとしています」


白井「じゃあどうなる?」


タルト「分かりません」


白井「よし」


ペリカリノ「その『よし』何なんだよ!!」


白井は立ち上がった。


「じゃあ、見に行こう」


アビゲイルも立ち上がった。


今度は、誰かに言われる前に。


彼女自身の足で。


暗闇の向こうへ。


そして都市の巨大な時計が、最後の一秒を刻み始めた。


カチ。


カチ。


カチ。


その音を聞きながら、アビゲイルはふと思った。


弥明後日の次には――


何があるのだろう。


彼女はまだ、その答えを知らなかった。


巨大な時計は、ゆっくりと最後の一秒を刻み続けている。


アビゲイルは白紙の紙を持ったまま、それを見上げていた。


何を書けばいい。


そんなことを考えている間にも、時間は進んでいく。


白井「タルト!」


タルト「はい」


白井「時計を止められるか?」


タルト「可能です」


ペリカリノ「できるの!?」


タルト「ただし、停止すると都市全体の時間が停止する可能性があります」


ペリカリノ「じゃあやめろ!!」


白井「やってみよう」


ペリカリノ「話を聞け!!」


タルト「了解しました」


ペリカリノ「お前も従うな!!」


タルトの小型監視カメラが時計へ向かって飛んでいく。


アビゲイル「……」


ジェントル「どうなるかな!」


ネコさん「ちょっと心配にゃ」


ネクタイ「パン食べる?」


アビゲイル「……」


ネクタイ「いる?」


アビゲイル「いりません」


ネクタイ「そう」


ネクタイはパンを食べた。


時計が動く。


カチ。


カチ。


カチ。


そのとき。


都市の奥から、巨大な音が響いた。


ゴォォォォン!!


地面が揺れる。


建物が傾く。


ペリカリノ「うわっ!」


ジェントル「走るぞ!」


ペリカリノ「どこに!?」


ジェントル「分からん!」


ペリカリノ「お前ら本当に何なんだよ!!」


ジェントルが走る。


ペリカリノが追う。


ネコさんがゆっくり走る。


ネクタイがパンを持って走る。


白井は一人、時計へ向かって走っていた。


アビゲイル「……白井さん!」


白井「何だ!」


アビゲイル「そっちは危ないですよ!」


白井「知ってる!」


アビゲイル「なら、なぜ行くんですか!」


白井「危ないから!」


アビゲイル「……」


意味が分からない。


危険だから避けるのではない。


危険だから近づく?


この人の判断基準は、一体どうなっているのだろう。


アビゲイルは立ち尽くした。


そして、手元の白紙を見る。


何も書かれていない。


「……私は」


言葉が出なかった。


いつもなら、ここで帰る。


面倒だから。


怖いから。


疲れるから。


関わりたくないから。


それでいい。


それが一番楽だ。


なのに。


「……」


アビゲイルは走り出した。


自分でも驚いた。


足が動いている。


白井を追っている。


時計へ向かっている。


なぜなのかは分からない。


ただ。


「白井さん!」


白井が振り返る。


「何だ?」


「……私も行きます」


白井「おう!」


それだけだった。


理由も聞かない。


止めもしない。


ただ、先へ走っていく。


アビゲイルはその背中を追った。


時計の真下まで来ると、タルトの監視カメラが戻ってきた。


タルト「解析完了しました」


白井「どうだった?」


タルト「この時計は時間を測定しているのではありません」


ペリカリノ「じゃあ何なんだよ?」


タルト「時間を作っています」


全員が黙った。


白井「なるほど」


ペリカリノ「分かったのか!?」


白井「全然」


ペリカリノ「だろうな!!」


タルト「この時計が動くことで、『明日』『明後日』『明々後日』などの時間が生まれます」


アビゲイル「……」


タルト「しかし現在、この時計は『弥明後日』しか作っていません」


ネコさん「どうしてにゃ?」


タルト「分かりません」


白井「壊せば?」


ペリカリノ「だからすぐ壊そうとするな!!」


アビゲイル「待ってください」


全員がアビゲイルを見る。


アビゲイルは時計を見上げた。


針が動いている。


そして、気づいた。


「……これ、私が書いた言葉と同じです」


白井「何が?」


アビゲイル「さっき紙に書きました」


白井「弥明後日?」


アビゲイル「はい」


ペリカリノ「それがどうしたんだ?」


アビゲイル「分かりません」


ペリカリノ「分からないのかよ!」


アビゲイル「でも……」


時計が一度、大きく揺れた。


カチン。


針が止まる。


その瞬間。


都市の景色が変わった。


動かなかった人々が歩き始める。


止まっていた風が吹く。


建物が元の位置へ戻る。


そして、空に巨大な光が現れた。


タルト「時間の再構成を確認」


白井「どうなった?」


タルト「『弥明後日』が消失しました」


ペリカリノ「じゃあ成功したのか?」


タルト「いいえ」


ペリカリノ「え?」


タルト「代わりに、新しい時間が発生しています」


白井「何?」


タルト「『その次』です」


沈黙。


ジェントル「その次って、いつ?」


タルト「不明です」


白井「面白そうだな」


ペリカリノ「もう慣れてきたよ……」


アビゲイルは手元の紙を見た。


さっきまで白紙だった。


そこに、いつの間にか一行だけ文字が増えていた。


その次。


アビゲイル「……」


白井「書いたのか?」


アビゲイル「いいえ」


白井「じゃあ誰が?」


タルト「筆跡を解析します」


数秒後。


タルト「アビゲイルさんの筆跡と一致します」


アビゲイル「……」


自分は書いていない。


それなのに、自分の字だった。


ネコさん「不思議にゃ」


アビゲイル「……怖くないです」


白井「そうか?」


アビゲイル「少しだけ」


白井「じゃあ帰るか?」


アビゲイル「……」


アビゲイルは考えた。


家に帰れば静かだ。


海がある。


机がある。


紙もある。


何も変わらない。


それは、とても楽だ。


けれど。


彼女は紙を折りたたんだ。


ポケットへ入れる。


アビゲイル「……まだ、いいです」


白井「何が?」


アビゲイル「もう少しだけ」


白井「分かった」


白井は宇宙船の方向へ歩き出した。


ジェントル「じゃあ次の場所へ!」


ペリカリノ「まだ行くのかよ……」


ネクタイ「パン」


ネコさん「パンを買ってから行くにゃ」


タルト「近くにパン屋があります」


ネクタイ「行く」


ペリカリノ「お前だけ即決だな!!」


アビゲイルは、その後ろを歩いた。


彼女はまだ、世界を好きになったわけではない。


変わることを決意したわけでもない。


誰かを愛そうと思ったわけでもない。


ただ。


もう少しだけ、ここにいてもいいと思った。


それだけだった。


宇宙船が再び動き始める。


白井「全員乗ったか?」


タルト「確認しました」


ジェントル「準備完了!」


ネクタイ「パンも完了」


ペリカリノ「意味分かんねえよ!」


ネコさん「アビゲイルちゃんも乗ったにゃ」


白井「よし」


レバーが倒される。


宇宙船が空へ飛び立つ。


窓の外で、都市が小さくなっていく。


アビゲイルは、その景色を眺めていた。


そして、ポケットの中の紙に触れた。


「その次」


自分の知らない時間。


自分の知らない場所。


自分の知らない何か。


アビゲイル「……まあ」


小さく呟く。


「見てみても、いいか」


宇宙船は、まだ見ぬ時間へ向かって進んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。