095 2026年5月09日(土)_02 愉悦の一時
東京・港区。
古城を模したカフェ。
重厚な石造りの壁。
アンティーク調のランプが、琥珀色の光を落としている。
田中 恒一は、苛立っていた。
スマートフォンの画面を睨みつける。
父親――既読がつかない。
電話も繋がらない。
秘書は、全員入れ替えた。
忠実な駒だけ残した。
だが。
「……俺には、これがある」
半透明のUSBメモリを、
指先で転がす。
内部で、何かが微かに赤く瞬いているように見える。
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思い出す。
山形。
あの田舎。
片桐一葉。
奥歯が軋む。
「あの女……」
俺に指示をした。
それだけでも屈辱だ。
あの日。
5月7日。
被害者の遺体映像。
あれを見せられ――
嘔吐した。
退席させられた。
田中家の血筋にある俺が。
公衆の面前でだ。
「……恥だ」
拳が震える。
「……あの女は」
「俺を嘲笑ったんじゃない」
拳が震える。
「田中家を、否定した」
歯を噛みしめる。
「祖父が築いたものを」
「父が守ったものを」
「俺が継がなきゃいけないものを」
声が低くなる。
「……あいつは」
「存在ごと、否定した」
歯ぎしりが止まらない。
「歳も変わらない女が……」
「あんな生意気な目で俺をみて……」
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「お待たせしました」
低く、柔らかい声。
顔を上げる。
少し寝ぐせの残る、
三十手前の男。
坂口。
「あなたが坂口さん?」
「はい。田中恒一先生ですね。お噂は……かねがね」
警戒している。
だが、興味も隠せていない。
田中は、笑わない。
「私は、まどろっこしいのが苦手でね」
鞄から、封筒を取り出す。
「まずは、これを見てほしい」
坂口が封筒を開く。
写真。
4月21日。
文翔館前。
戦闘記録。
坂口の手が止まる。
「……これは……」
声が震える。
「どうやって……」
「それはどうだっていい」
田中は、静かに身体を乗り出した。
「ただね……」
唇が歪む。
「一つ、お願いがある」
坂口が息を飲む。
「お願い……?」
田中の顔が――
美しいまま、
醜悪に歪む。
「私に、力を貸してほしい」
「日本……いや」
「世界が隠している秘密を」
「白日の下にさらしたいんですよ」
坂口が固まる。
「……正気ですか?」
田中は即答する。
「ああ。正気さ」
指先でUSBを撫でる。
「世界は今――」
「おかしな連中が暗躍している」
「“会議室”とかな」
口元が吊り上がる。
「そいつらから」
「平和な世界を勝ち取るんだよ」
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少し離れた席。
三人の男。
奈良。
アフリカ系アメリカ人の屈強な青年。
――エイホート。
そして。
神経質そうなビジネスマン。
だが。
口元から、透明な涎が静かに垂れている。
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エイホートが、低く呟く。
「雛を埋め込む」
「それだけでいいのか?道化よ」
奈良は、紅茶をゆっくり回す。
「ええ」
穏やかな微笑。
「今、“会議室”に彼らを邪魔されては」
「つまらなくなるんですよ」
エイホートが首を傾げる。
「そんなものなのか」
奈良は、田中と坂口を見やる。
「そんなものなんです」
楽しそうに。
本当に、楽しそうに。
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奈良は、囁く。
「見てごらんなさい」
「ああやって」
「あんなに希望に満ちた顔で」
「世界を変えようとしている」
「実に――美しい」
エイホートが、薄く笑う。
「壊すのが?」
奈良は、首を振る。
「違いますよ」
「自分で崩させるのが、です」
視線が細まる。
「自分の手で」
「この星の結界を破らせる」
「それを見るのが――」
カップを持ち上げる。
「最高の愉悦の瞬間なんですよ」
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神経質なビジネスマン、
“会議室”のエージェントが、
かすれた声でなにか呟く。
喉の奥から、
何かが蠢く音がした。
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奈良は、楽しそうに付け足す。
「人間ってね」
「自分が正義だと信じているときが」
「一番、崩れやすいんです」




