069 2026年5月01日(金)_06 蔵王温泉、変わってしまった、変わらない二人
深夜9時45分
若林は、浮雲をホンダのフリードの助手席に乗せて、蔵王温泉へ向かっていた。
ナビの画面には、
くねくねと続く山道の青い線。
街の灯りは、すでに遠い。
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目的地は、
蔵王温泉 下湯共同浴場に併設されている、足湯。
無料なのが魅力。
浮雲の右腕。
ナイアルラトホテップとの接合部。
背中に刻まれた、羽の生える器官。
そこは、黒く変色していて、
下手な全身タトゥーより、よほど目を引く。
正直、
服を脱げば、一般人は引く。
だから、
“脱がなくていい場所”。
それが、
若林が温泉好きの浮雲の為に、
足湯を選んだ理由だった。
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湯に、足を沈める。
じんわりと、
熱が、骨に染みていく。
硫黄の、微かな香り。
山形ロボのコックピット。
血と汗と、
鉄と霊子と、
あらゆるものが混じった、あの“すえた匂い”とは、まるで違う。
情緒がある。
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「平輔」
若林が、湯気の向こうから言う。
「一葉ちゃん」
浮雲は、目を閉じたまま、耳を傾ける。
「……あの記録、見ちゃったって」
一拍。
「端末のバッファ、軽くハックしたみたい」
「そういうとこ、早川君の娘よね」
浮雲は、短く答える。
「そうか」
湯の中で、指先が、わずかに動く。
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「でもね」
「続けるみたい」
若林は、夜空を見上げる。
星は、ほとんど見えない。
雲が低い。
「綾から、“頼む”ってラインが来た」
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しばらく、沈黙。
湯が、ちゃぷり、と小さく音を立てる。
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「山形ロボさ」
若林が、ぽつりと言う。
「一葉ちゃんの霊子の形、もう登録されてるのよ」
浮雲の目が、少しだけ開く。
「いまは、現状、彼女専用機」
「きっかけは、ただ“守れる”って意思の強さで、うちの部署にスカウトされて」
「奈良のアホタレの手引きとはいえ」
小さく、笑う。
「霊体認証、全部、クリアしちゃってる」
「“正しき願い”の持ち主ってやつ?」
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「運用側としては、頼もしい人材よ」
若林は、足の指をほぐす。
「でもね」
一瞬、言葉を探す。
「どこかで、彼女には」
「普通でいてほしくも、あった」
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湯煙に、浮雲の輪郭が、ぼやける。
「俺が、乗れれば」
「良かったんだが」
若林は、すぐには答えなかった。
湯気の向こうで、指先が、わずかに震えた。
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若林は、鼻で、ふっと笑う。
「平輔」
「200万年経ってるのに」
「ほんと、変わらないわね」
湯気越しに、目を細める。
「もう、休んでもいいのに」
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浮雲は、少し、間を置いて言う。
「……悠」
若林の動きが、止まる。
「あら」
くるりと、顔を向ける。
「あんたに、名前で呼ばれるの」
「何十年ぶりかしら」
優しく、微笑む。
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浮雲は、足湯から、立ち上がる。
夜風が、湯気を押し流す。
「俺は」
「お前が、さえ、良ければ」
言葉が、少し、詰まる。
「……もう一度」
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「嫌よ」
若林は、即答する。
でも、声は、柔らかい。
優しく、微笑む。
「27年も放置する男より」
「もっと、いい男、見つけたの」
「子どもも、三人生んだ」
少しだけ、目を伏せる。
「そんな男でもね」
「一度、歪んだ世界を知った私とは、無理だったのよ」
「だから、男は、もう、懲りたわ」
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一拍。
「それに」
にやり、とする。
「再会の第一声、覚えてる?」
「元カノに、“太った”とか言うアホタレは、論外」
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浮雲が、固まる。
「あ、う……済まん」
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若林は、肩をすくめる。
「平輔」
「あんたも、いいひと、探しなさい」
「いまはね、マチアプってのがあるのよ」
「若作りの50代、需要あるかもよ?」
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「……まち、あぷ?」
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若林は、立ち上がる。
「ほら」
「帰るわ」
「湯冷めするでしょ」
慌てて古びた地図に印を書き込む浮雲。
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二人は、足湯を離れる。
夜の蔵王は、静かだ。
遠くで、風が、木を鳴らす。
今はただ、
古い友人同士が、
夜道を、並んで歩いていた。




