059 2026年4月28日(火)_04 三瀬沖、漆黒の山形ロボの剣舞
20時過ぎ。
湾岸警備隊の業務無線が、低く割り込んできた。
「こちら、鶴岡湾岸。
三瀬海岸沖で異常気象を観測。
位置、鶴岡市三瀬海岸沖、およそ12キロ。
漁船一隻、座礁および操船不能との通報あり」
一拍。
ノイズが混じる。
「……乗組員から“海面下から複数の手が出た”との発言あり。
その後、通信途絶。現在、応答なし」
児島は、即座に端末を耳に当てた。
「了解。こちら資料管理室。
現地対応、こちらで引き継ぐ。
海上保安部には“原因不明の気象擾乱と漂流事故”で統一を」
短く切る。
振り返る。
「観測班、出動準備。
浮雲さん、同行お願いします」
浮雲は、無言で立ち上がった。
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現地まで、車両移動で約二時間。
夜の月山道の山道を、ハイエース二台が連なって走る。
無線は、沈黙しがちになると、誰かが意図的に話題を投げる。
槌谷が、ぽつりとマップを指さし切り出した。
「……三瀬海岸、この辺、ラーメン屋ありますよね。
昼、すごい行列できるとこ」
今田が、少し明るい声で返す。
「ああ、あそこの限定カップ麺、前にコンビニで見かけました」
武田が、すぐに被せる。
「インスタントとは、味の次元が違うのよ」
助手席から、浮雲。
「……え?
あそこ、旅館しかなかったよな?」
一瞬、無線が止まる。
槌谷と今田と武田、ほぼ同時。
「え?」
「え?」
「え?」
微妙な沈黙。
誰かが、短く笑う。
ジェネレーションギャップ、という言葉が、誰の口にも出ないまま、車は走り続ける。
沈黙は、恐怖を増幅する。
だから、どうでもいい話をする。
脳を、日常につなぎ止めておかないと、
現場に着く前に、精神が焼き切れてしまう。
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深夜。
山形県湾岸部。
鶴岡市・三瀬海岸。
砂浜を見下ろす、小さな駐車場に、ハイエース二台が滑り込む。
車体の側面には、小さく、
山形県 総務部付属資料管理室
(文化財・特殊記録担当)
とだけ書かれている。
一台目の運転席から今田、助手席から、浮雲平輔が降りた。
二台目には、武田、槌谷。
後部ドアが開き、携帯用結界発生アンテナと解析端末が展開される。
風が、海の匂いを運んでくる。
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無線で、児島。
「説明するわ。
機材制限の関係で、結界展開は半径200メートル。
維持時間は、最大2分」
少し遅れて、若林の声が入る。
掠れている。
「望遠解析した。
影と動線、通報の内容、それと……海という環境。
恐らく、“深きもの”系統だと思う」
浮雲は、肩を回す。
「了解」
観測班が、アンテナの向きを沖へ。
「通信・映像、確保。
隠蔽処理、こちらで引き受けます」
浮雲は、砂浜を見渡す。
人影はない。
静かに、息を吸う。
念を込める。
右腕が、異様に肥大する。
背中から、黒い羽が展開。
額に、赤く燃える第三の眼が開く。
これが、浮雲平輔の“本来の姿”。
存在そのものを対価に、
戦う意思を、現実へ引きずり出す。
虚空が、歪む。
武田たちが、ここ数日、ドックで見慣れた構造体が、
空間から“生まれる”。
――精神投影型戦闘構造体。
通称、PPCF。
大沼が、そう名付けた。
高さ、20メートル。
漆黒の箱。
背中には、黒い羽。
山形ロボ<影>
二つの眼が、赤く燃える。
漆黒の箱が、浮雲の声で話す。
「……行ってくる。
その……ラジコン、使えるのか?」
一台目の後部に積んであった機材、高速ドローンをセットアップしながら、
槌谷が、端末越しに笑う。
「お気遣いなく」
黒い山形ロボは、音もなく浮上。
次の瞬間、亜音速へ。
遅れて、高速ドローンが追従し、映像を送る。
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数十秒後。
今田が、画面をカーソルでなぞる。
「通報位置より、北東に流されてます。
結界、展開準備」
海面すれすれに浮かぶ黒い山形ロボ。
その下から、
巨大な人型の魚影。
無数の、小型の人型の影。
群がる。
左手側。
漂流する漁船。
望遠映像に、破損痕と、血痕。
熱源、反応なし。
児島が、低く言う。
「……片桐さん、一葉ちゃん。今日は退勤で正解ね。
これは、見せられない」
若林の声が、続く。
「あの子……しばらく、引きずるタイプみたいだしね」
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黒い山形ロボの前に、空間が歪む。
畳まれていた巨大な刀身が、透明な日本刀として展開される。
本来、都道府県ロボは、
銃器も刀剣も持たない。
つまり――このイミテーションは、異端。
ドローンが計測したGPS座標を基点に、
海域が、円状に光る。
結界、展開。
そこからは、一方的だった。
黒い山形ロボが、無線越しに呟く。
「……月山おろし」
前腕装甲は、回転しない。
展開もしない。
ペンチのような拳で、日本刀を、静かに海面へ突き立てる。
結界内部が、瞬時に凍結する。
海中の小型の影――深き者たちは、
悲鳴を上げる暇もなく、止まる。
だが。
氷上に、
全長20メートル級の個体が、8体、跳ね上がる。
黒い箱の氷の剣舞が、始まる。
踏み込みは、ほとんど見えなかった。
氷結した海面に、足が触れる前に、距離が消える。
一太刀目。
上段からの袈裟懸け。
刀身が、斜めに光り、
一匹目の肩口から胴体までを、音もなく切り下ろす。
切断面に冷気が走り、遅れて、ずれる。
返す刃。
身体を半歩だけ回し、逆袈裟。
二匹目の脇腹を、下から掬い上げるように裂く。
氷上に、暗い影が、線を引く。
止まらない。
横薙ぎ。
振り向きもせず、
背後に回り込もうとした三匹目が、
腰から胸まで、上下に泣き別れる。
そのまま、回転。
遠心力を帯びた、悪魔のような黒い羽が、
風を切る音すら置き去りにして、
四匹目と五匹目を、同時に薙ぎ払う。
二つの影が、別々の方向へ、弾き飛ぶ。
武田の声が、無線に滲む。
「……一方的な……虐殺……」
児島は、山形市の司令室から送られてくるドローン映像を見ながら言う。
「装備こそ違うけど……
あれが、浮雲よ」
一拍、記憶をなぞるように。
「1999年の記録では、
“月山おろし”二回分の稼働時間で、
ティンダロスの猟犬を十二体、沈黙させている。
先週の個体より、少し小さいけどね」
寂しそうに若林が、
「ただし、速度と殺意はあの頃の比じゃないけどね」
そう呟く。
六匹目が、動いた。
他の個体より、明らかに太い腕。
黒い羽の軌道を読み、
防御のように、前へ突き出す。
ガン、と、鈍い衝撃。
羽が、止められる。
その瞬間。
深紅の両眼が、魚人の眼前に。
次の瞬間、
“拳”と呼ぶには、あまりに不格好な塊が、
六匹目の顔面に、叩き込まれる。
衝撃で、頭部が、内側に潰れる。
氷の上に、重い影が、崩れ落ちる。
間を、与えない。
七匹目が、横から飛び込む。
黒い箱は、踏み込みながら、刀を下段に引く。
――切り上げ。
股間から、頭上へ。
胴体が、真っ二つに割れ、
二つの影が、別々の方向へ滑る。
踵を返す。
上段。
最後の一体。
八匹目を、真上から、両断。
刃が、氷面に触れた瞬間、
ひび割れが、円状に、走る。
結界の内側が、
冷気と、血風で、満たされる。
黒い箱は、ゆっくりと、刀を下ろす。
無線に、低い声。
「……状況、終了」
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帰還。
砂浜に、静かに降り立つ。
浮雲は、膝をつく。
観測班が、誰も言葉を出せない。
槌谷が、ぽつりと呟く。
「片桐先輩が、弱いわけじゃない」
誰も、否定しない。
「経験値が、違いすぎるだけ」
――200万年、戦い続けた戦鬼。
彼が、異常なのだ。




