060 2026年4月29日(水)_01 サセックス稿本、戦う自治体の長
口約束で許可は得ました。
怒られたら・・・消します。
昭和の日。
世間一般が休日として扱うこの日、山形市役所の地下駐車場には、異様な緊張が漂っていた。
五十代になったばかりの右堂山形市長と、二人いる副市長のうちの一人、四十歳の木下副市長。
随行するのは、秘書課職員、危機管理担当、広報担当、それぞれ一名ずつ。
名目は、
「文化財施設および市民生活に影響を及ぼす事案に関する現地確認」。
実態は、
文翔館地下――
山形県 総務部付属資料管理室(文化財・特殊記録担当)が、ここ二週間で立て続けに処理している“異常気象”案件の実地視察だった。
一昨日、4月27日。
「立谷川交差点付近における複数名死傷を伴う交通事故」
「文翔館付近での白衣を着用した不審者の目撃情報及び観光客の失踪」
行政として秘匿を続けるには、現場の把握が不可欠な段階に入っている。
市長は、移動の途中で、小さな紙袋を取り出した。
中から出てきたのは、市販の白手袋。
甲の部分に、サインペンで幾何学模様が描かれている。
秘書達と副市長に、一双ずつ手渡す。
「念のためです。
簡易的な“お守り”とお考えください」
理由は説明しない。
不思議そうにしながらも、誰も質問はしなかった。
一行は、公用車二台に分乗する。
たとえ距離が三百メートルでも、
公務移動は徒歩ではなく、車両。
それが、市の運用ルールだった。
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文翔館裏手の駐車場。
公用車が停止すると同時に、
敷地内から二人の女性職員が姿を現す。
首に包帯を巻いた若林。
同じく全身に応急処置の跡が目立つ児島。
先日の激戦が伺われる。
二人は、ほぼ同時に一歩前へ出る。
「山形県 総務部付属資料管理室を代表し、
本日のご視察、対応いたします」
児島が、役所仕様の声で言う。
その瞬間。
角を曲がった先から、金切り声が上がった。
一般市民の一団。
数は十名以上。
目は焦点が合っていない。
手には、スコップ、バール、鉄パイプ。
明らかに、凶器。
秘書達が一斉に市長の前に立つ。
児島は、半歩前へ。
ムエタイの構え。重心を落とす。
若林は、半身になる。
合気の構え。視線は、全員の動線を同時に追っている。
拳銃はそう頻繁に使うわけにはいかない。
市長が、声を張り上げた。
「手袋を着用してください!」
自らも、白手袋をはめる。
鞄から取り出したのは、
分厚い、革装丁の書籍。
背表紙には、金文字でこうある。
《サセックス稿本》
秘書達と副市長も、反射的に手袋を装着する。
その間に、児島と若林が前へ出る。
だが、連日の連戦。
動きのキレが、わずかに鈍い。
恐らくカメラ映像で石原が応援を手配するであろう事に淡い期待をする。
持ちこたえねば。
一団のうち数名が、二人の間を抜け、市長と秘書へ向かって突進する。
若林が叫ぶ。
「――下がって!」
児島が走ろうとするが、背後から服を掴まれる。
間に合わない。
その瞬間。
木下副市長が、一歩、前へ出た。
総務省出身。
エリート官僚。
だが、それは、肩書きの一部に過ぎない。
霞が関時代、彼が鍛錬の場に選んだのは、警視庁。
警察柔道。
制圧と現場対応を前提にした、“組めない状況”の実戦体系。
突き出されたバールの先端を、半身でかわす。
同時に、手首を掴む。
外側へ、強く捻り上げる。
関節が、悲鳴を上げる。
次の瞬間。
本来の柔道では禁じ手の技、
掌底。脇腹に一撃。
――光が、走る。
木下の手袋が、白く輝く。
エルダーサイン。
旧神の印。
男の背中に凄まじい衝撃、
打撃と守護防壁の二連撃。
同時に何かが“剥がれる”。
黒い何かは、塵となって散る。
続けざまに、もう一人。
流れる動作で、
大外刈。
地面に叩きつけ、
間髪入れず、腕ひしぎ十字固め。
骨が、軋む音。
市長は、すでに本を開いていた。
慣れた手つきでページをめくりながら、的確に叫ぶ。
「木下さん!
彼らは“操られています”!
背中、衣服の裂け目に棘があるはずです!
それを無効化すれば、支配が解けます!」
言い終わる前に、
市長自身に向かってきた男が、鉄パイプを振り下ろす。
市長は、迷わず、
分厚い本で、それを打ち払った。
――閃光。
本と手袋が、同時に光る。
衝撃波のようなものが走り、
男の背中から、黒い棘が弾き飛ぶ。
男は、その場に崩れ落ちた。
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数分後。
凶器を持った一団は、全員、地面に座らされている。
支配は解け、正気を取り戻した者たちは、震えながら、パトカーに連行されていく。
市長が、静かに言う。
「……気の毒ですが、
こればかりは、やむを得ません」
児島が、深く頷く。
「毒に関しては、此方からも情報提供いたします。」
副市長が、市長に尋ねる。
「市長。
その本は……?」
市長は、穏やかに笑った。
「サセックス稿本。
私物です。
ネクロノミコン・ラテン語版の“誤訳写本”ですよ」
一拍。
「ですが――
効果は、実証できましたね」
白手袋を見る。
すでに、甲の模様焼け焦げ、手袋自体は破れかけている。
「ちなみに、これも手作りです。
ホームセンターで買って、私が書きました。
……一度きりの消耗品ですね」
そう言って、笑う。
そして、表情を切り替えた。
公務の顔になる。
「それでは――」
若林と児島の方を見る。
「山形県 総務部付属資料管理室。
現地視察を開始しましょうか」




