058 2026年4月28日(火)_03 陽葵(妹)襲来
19時。
陽葵は、山形市・霞城公園近く。
一葉のアパートの部屋の前で、インターホンを睨んでいた。
もう、強硬手段である。
“あの”姉なら、問い詰めれば、たぶんボロを出す。
根拠はない。
でも、確信はある。
だって、姉だから。
年の離れた姉だが、
あの人は、嘘が下手だ。
母の演じるサンタクロースの正体を、
隠し通せず、
小学一年生の私に、世界の残酷さを教えてしまった、あの姉だ。
陽葵は、呼び鈴を押した。
――ピンポーン。
一拍。
――ガチャリ。
扉が開いた瞬間、
微かに鼻を突く。
蔵王温泉を思い出させる、
どこか硫黄っぽくて、
それでいて卵が“ヤバイ”感じの、謎の匂い。
そこに立っていたのは、
マーモットが叫んでいるプリントのトレーナー。
グレーのスウェット。
そして、湿布だらけの姉。
目は、泣き腫らした後みたいに赤くて、
でも、泣いた形跡は、残っていない。
というか――
目が、死んでいる。
怖っ。
反射的に、陽葵は扉を閉めた。
バタン。
「しーめーるなぁ」
扉の向こうから、語尾を上げた抗議の声。
間違いなく、一葉の声だった。
でも、異臭の主でもある。
いや、怖いって。
結局、押し問答の末、部屋に入る。
やっぱり、酸っぱくて、卵臭い。
玄関を抜けて、リビングを見た瞬間、
陽葵は、足を止めた。
――ない。
あれだけあったはずの、
“混沌 める”のグッズが、影も形もない。
ポスターも。
アクスタも。
棚に並んでいた謎の限定キーホルダーも。
一葉は、ブームに流されない。
一点突破で、推し続けるタイプだ。
それが、全部、消えている。
おかしい。
陽葵は、ゆっくり振り返る。
「……いち姉ぇ。
混沌 めるは?」
一葉は、冷蔵庫から炭酸水を二人分取り出しながら答えた。
「奈良だった」
「奈良?」
「奈良。」
「……大仏?」
一葉の動きが、一瞬、止まる。
「大仏のことは禁則事項です!」
勢いよくこちらを向く。
「動きません!戦いません!」
「いや、大仏が動いて戦うわけないじゃん?」
陽葵は首を傾げる。
「その前に、お寺壊れるし」
「そう!そんなわけはない!」
一葉は、なぜか胸を張る。
「何故なら!私は、お寺を壊しません!」
「……いち姉ぇ」
陽葵は、じっと見る。
「もしかして、文化財、文翔館、壊した?」
「ぶ、文化財に地下室はありません!」
「いや、あるって」
陽葵は即答する。
「明治生命館とか、九段会館とか。
でも文翔館の入り口は実は二階で、地下っぽいのが一階だよ。
映えスポット紹介するインスタグラマーが、
カフェとかのついでになんか色々紹介してたよ?」
「まじか!」
一葉が目を見開く。
「知らんかった!」
「いや、知れよ。
自分の職場、知れよ。」
「人は、知らない方がいいことがあるのだよ」
「京極堂かよ」
「どこそれ?」
「漫画アプリであった。去年アニメしてたじゃん、あと個人的に声が推し。」
一葉は、首を傾げる。
「……陽葵は、たまに難しいことを言う」
陽葵は、ため息をついた。
それから、ソファに座らせて、
炭酸水を飲ませて、
ちゃんと顔を見て、
ゆっくり、丁寧に、聞いた。
最近どうしてるのか。
仕事は。
体は。
ちゃんと寝てるか。
一葉は、少しだけ目を逸らしてから言った。
「……重機、運転してる」
「は?」
「職場で」
「え?」
「運転席が臭くてさ。
匂い、取れないんだよ」
陽葵は、姉を見つめる。
――バカ姉。
数学と暗記以外に取り柄がなかったはずの姉が、
なぜか、重機を運転している。
意味が分からない。
でも、深く突っ込むと、
たぶん、もっと変な答えが返ってくる。
だから、陽葵は、方向を変えた。
「お母さんとお父さん、最近、神経質だからさ」
少し、声を柔らかくする。
「心配かけちゃだめだよ?」
一葉は、何も言わない。
「ちゃんと、ごはん食べてる?」
「今度、作りに来ようか?」
「肉じゃが、好きでしょ?」
その瞬間。
一葉の目が、ほんの一瞬、輝いた。
でも、すぐに、ぐっと、抑える。
「……ん」
小さく、頷く。
「お姉ちゃんは、もう大丈夫だよ」
その顔は、さっきより、ちゃんと“姉”の顔だった。
陽葵は、それを見て、少しだけ、安心する。
「OK」
立ち上がる。
「でも、今度、作るからね。
私の肉じゃが、好きでしょ?」
「ありがと」
玄関で、靴を履く。
「じゃあね」
扉が閉まる。
廊下を歩きながら、
陽葵は、胸の奥に残った、違和感を押さえ込む。
――何かを、我慢してる。
あの目は、そういう目だった。
アパートの階段を下りる。
夜の風が、頬に当たる。
陽葵は、空を見上げる。
自転車に乗って霞城公園を抜けて自宅へ帰る。
無理しないといいな。
いち姉ぇはバカ姉だけど、
いつも誰かのために動くから。




