054 2026年4月27日(月)_07 守られた日常
【2年3組】
陽葵は机に突っ伏したまま、スマホを指先でくるくる回していた。
「ねぇさ……聞いてよ……」
星奈が顔を上げる。
「またお姉ちゃん?」
「そう!一葉!
既読つくのに返事こないんだよ?
前は“うるさい”って即レスだったのにさ」
瑠羽が笑う。
「それ、平和な証拠じゃない?」
「違うってば。
たまにさ、家帰るとお母さん、めっちゃ深刻な顔してるの。
で、離婚したお父さんからは、やたら電話くるし。
“体調どうだ?”とか、“最近変わったことないか?”とか」
心愛が小さく首をかしげる。
「それ、普通に心配されてるだけじゃ……」
陽葵は、ぶんぶん首を振る。
「違うんだって!
“なんかあったらすぐ言え”とか、
“変なもの見てないか”とか言うんだよ?
なにそれ、ホラーじゃん」
そこに、後ろの席から声が飛んでくる。
「……ホラーなのは、俺のアカウントだわ」
振り返ると、男子が机に突っ伏していた。
髪ぐしゃぐしゃ。
「先週さ、例の動画上げたんだよ。
文翔館の前でさ、なんかデカい影映ってたやつ」
星奈が目を見開く。
「え、あれマジで載せたの?」
「載せた。
そしたらさ、夜のうちにアカウント消えた。
ログインできねぇの。
“このユーザーは存在しません”だってよ」
瑠羽が引き気味に言う。
「それ、BANとかじゃなくて?」
「違う。
別垢から見ても、俺のページ、丸ごと“なかったこと”になってる」
教室が、ほんの一瞬、静かになる。
心愛が小さく言う。
「最近、そういう話、多いよね。
動画消えるとか、写真バグるとか」
陽葵は、窓の外を見る。
春の空。
いつもの山形の街。
「……箱大仏がいなくなってからだよ」
誰かが、息を呑む音がした。
星奈が、冗談っぽく笑う。
「なにそれ。
あれって、ただのオブジェでしょ?」
陽葵は、笑わない。
「うん。
ただの“箱”だったはずなんだけどさ」
スマホが、ぶるっと震える。
通知。
陽葵は画面を見る。
――一葉から、未読。
一瞬だけ、ほっとした顔になる。
でも、次の瞬間、表示されたのは。
“圏外です”
陽葵は、ぽつりと呟いた。
「……やっぱ、なんか変だよ。この街」
チャイムが鳴って、
四時限目の授業が始まる。
彼女たちのはるか頭上を山形ロボが通過する。
―――
山形市役所、都市整備部。
電話が鳴る。
三度目だ。
担当者は、受話器を取る前に、一度だけ深呼吸した。
「はい、都市整備部でございます」
受話器の向こうは、興奮気味の声。
「青柳のオブジェ、あれ、どこ行ったんですか?」
担当者は、机の上のメモを一瞥する。
赤ペンで書かれた文字。
“県の管轄”
「恐れ入りますが、あれは県の所管でして……」
食い気味に返ってくる。
「いや、先週、突然消えたんですよ!
朝は、あったんです。
夕方、帰ると、もう“なかった”!」
担当者は、喉を鳴らす。
「……状況は、把握しております。
現在、関係部署と確認を――」
窓の外。
文翔館の前に、規制線。
パトカー。救急車。
警備員。
さっきまで、
“不審者が出た”という通報が入っていた。
机の端に置かれた、もう一枚のメモ。
“立谷川交差点 事故 原因不明”
担当者は、受話器を持つ手に、汗を感じる。
「……ご不安をおかけして、申し訳ありません」
向こうは、ため息混じりに言う。
「最近、物騒でねぇ。
あっちで変な事故、こっちで変な騒ぎ。
なんか、いやな感じがするんですよ」
担当者は、思わず、窓の外を見る。
晴れた空。
いつもの街。
だけど、どこか“薄い”。
「……こちらでも、状況の確認を続けております。
何か分かり次第、ご連絡いたしますので」
通話が、切れる。
担当者は、受話器を戻して、椅子にもたれた。
机のメモを、そっと裏返す。
裏には、小さく書いてあった。
“青柳オブジェ:現地確認済み/痕跡なし”
担当者は、独り言のように呟く。
「……朝は、あったのに、か」
電話が、また鳴り始めた。
――――
都内、雑居ビルの一室。
蛍光灯の白い光が、床のワックスに反射している。
窓の外は、雨。
ネオンが滲んで、にじんで、街の輪郭が溶けていた。
週刊誌の編集フロアは、まだ起きている。
空き缶。
冷めたカップ麺。
キーボードの音が、まばらに響く。
若手記者の坂口は、モニターにかじりついていた。
画面には、
日々、増えては、消えていく投稿のログ。
山形。
七日町。
文翔館。
そして、何度も、何度も――
「箱大仏」
文字だけが、幽霊みたいに残る。
リンクは死んでいる。
動画は再生されない。
アカウントは、存在しない。
坂口は、椅子を蹴って立ち上がった。
「……編集長」
奥のデスクにいる、田所の背中に声を投げる。
「これ、もう偶然じゃないですよ。
毎日ですよ?
山形の怪奇現象。
事故、通報、動画、消失。
その中に、必ず“箱大仏”って単語が混ざる」
田所は、ゆっくりと振り返る。
コーヒーの紙コップを、机に置く。
坂口は、勢いのまま続ける。
「俺たち、週刊誌ですよね?
こういうの、すっぱ抜くのが仕事じゃないんですか」
田所は、目を細めた。
「……すっぱ抜いて、会社ごと消えた雑誌、あっただろ」
坂口の喉が、鳴る。
「あれ、忘れたのか?」
フロアの空気が、ひやりと冷える。
坂口は、言葉を探す。
「……あれは、噂で……
経営が、炎上して……」
田所は、首を振る。
「違う」
椅子から立ち上がり、坂口の机まで歩いてくる。
「“炎上”じゃない。
“消えた”んだ」
モニターを指で叩く。
「このログと同じだ。
記事も、バックナンバーも、社名も、
まるで最初から“存在しなかった”みたいにな」
坂口は、画面を見る。
確かに、ログの空白は、削除された跡じゃない。
最初から、何もなかったみたいに、綺麗だ。
「……でも」
坂口は、食い下がる。
「じゃあ、なんで俺たちは、覚えてるんですか」
田所は、少しだけ、黙った。
それから、低い声で言う。
「たぶん、俺たちは“内側”にいるからだ」
「線の、こっち側だ」
坂口は、眉をひそめる。
「……線?」
田所は、窓の外を指す。
雨に滲んだ東京の街。
「世界にはな、
“触っていい現実”と、
“触っちゃいけない現実”がある」
坂口は、笑おうとして、失敗した。
「……オカルトですか」
田所は、笑わない。
「仕事の話だ」
ポケットから、紙を一枚出す。
赤いスタンプ。
《取材・掲載・接触 一切不可》
坂口は、それを見つめる。
「またですか?本当は田所さんだって!」
田所は、答えない。
次はない、
そういう意思表示だ。
ただ、背を向けて言う。
「山形の件は、本当にもう追うな。
七日町も、文翔館も、箱大仏も――」
一瞬、言葉を切る。
「最初から、知らなかったことにしろ」
ガラス張りの編集長室に、田所が戻っていく。
ドアが、静かに閉まる。
フロアには、キーボードの音も、話し声も、戻らない。
坂口は、椅子に座り込む。
モニターには、
“箱大仏”の文字だけが、検索履歴として残っている。
坂口は、そっと、ノートPCを閉じた。
そして、思う。
――ああ。
――これ、怪異の話じゃない。
世界そのものが、編集されてる。
その向こう側に、
きっと、
あの箱が、
まだ、立っている。
――――
夜。
都内、永田町に近い、名前の出ない小さなバー。
看板は出ていない。
入口の明かりも、半分切れている。
政治家と秘書と、たまに“違う種類の人間”だけが知っている場所だ。
三世議員、田中 恒一は、カウンターの端に座っていた。
グラスの水面に、自分の顔が歪んで映る。
ここ数日で、
何度、あの田舎ジジィの名前を飲み込んだか。
――渡部。
ドアが、静かに開いた。
音もなく、男が入ってくる。
背広は、少し古い型。
だが、靴だけが、妙に新しい。
奈良だった。
田中は、顔を上げる。
「……誰だ」
奈良は、隣に座らず、
一つ席を空けて、カウンターに小さなUSBメモリを置いた。
「あなたが、先日、会議室で“観光資源”と呼んだものです」
田中の眉が動く。
奈良は、数枚の紙を差し出した。
白黒の写真。
山形ロボ。
文翔館前での怪物との戦闘の瞬間。
歪んだ空気。
見切れた群衆のスマホ。
田中は、息を呑む。
「……これ、どこから」
奈良は、肩をすくめる。
「“残った”ものの中からです。
消えなかったもの。
正確には、消される“前”に、こちら側に来たもの」
田中は、写真を掴む。
紙が、わずかに震える。
奈良は、低い声で言う。
「渡部さんは、これを“災害救助重機”と呼びました」
一拍。
「便利な言い方ですね。
責任の所在が、空に消える」
田中は、歯を噛みしめる。
「……あいつは、俺を会議で笑い者にした」
奈良は、頷いた。
「ええ。
あなたを“部外者”にした」
言葉が、静かに刺さる。
奈良は、紙を指で叩く。
「本当は、あなたの席に、これが置かれるはずだった」
「“窓口”ではなく、“指揮者”として」
田中は、目を細める。
「……何が言いたい」
奈良は、ようやく、彼を見る。
「あなたは、
名前を残したい人だ」
否定しない。
田中の沈黙が、答えだった。
奈良は、続ける。
「渡部さんの名前は、もう、裏側の記録に書かれています」
「公式の議事録には、載らない場所に」
「でも、あなたは――
まだ、“何者”でもないだ」
田中の指が、写真の端を強く掴む。
「……欲しいんだろう?」
奈良は、微笑んだ。
「“最初に気づいた人”として」
「“止めようとした人”として」
「あるいは――“秘密を暴いた人”として」
田中の喉が、ごくりと動く。
奈良は、USBを、指先で押し出した。
写真の横に、止まる。
「ここには、
ロボの“仕様”と、
“会議室”のログの断片が入っています」
「全部じゃない。
でも――火をつけるには、十分です」
田中は、USBを見る。
まるで、爆薬の起爆装置みたいに。
「……俺に、何をさせたい」
奈良は、グラスの水を一口飲む。
「何もしなくていい」
一拍。
「“見せる”だけでいい」
「正しい場所に」
「正しい人に」
田中は、苦く笑う。
「それで、何が起きる」
奈良は、立ち上がる。
「混乱です」
コートを羽織る。
「混乱は、
真実と嘘の区別を、曖昧にします」
「その隙間に、
新しい“あなたの正義”が入る」
田中は、声を荒げる。
「……あんたは、何者だ」
奈良は、ドアの前で振り返る。
「ただの、
道化です」
ベルが、鳴る。
ドアが、閉まる。
田中の前には、
写真と、USBだけが残った。
指先が、伸びる。
一度、止まる。
それでも――
USBを、掴んだ。
遠くで、サイレンの音がする。
田中は、気づかない。
その夜、
東京の“情報の水位”が、
ほんの少しだけ、上がったことを。
――――
田中は、その夜、なかなか眠れなかった。
目を閉じるたびに、
奈良の言葉が、頭の奥で反芻される。
「あなたは、名前を残したい人だ」
そして、あの眼。
感情があるようで、
どこにも属していない、
観測者の眼。
グラスの水面に映った自分の顔を、ふと見て、
田中は眉をひそめる。
——いつからだ。
胸の奥にあるこのざわつきが、
“正義”なのか、
“功名心”なのか、
それとも、もっと別のものなのか。
USBを、机の上に置く。
触れていないのに、そこに“重さ”を感じる。
奈良の声が、また、よみがえる。
「最初に気づいた人として」
「止めようとした人として」
「秘密を暴いた人として」
田中は、喉を鳴らした。
窓の外。
夜の東京が、静かに光っている。
その光の中に、
自分の“名前”が、浮かんで見える気がした。
そして、気づく。
あの眼が、
まだ、こちらを見ている気がすることに。
知らぬ間に、
田中の視線の“向き”が、変わっていた。
世界を見る目が、
真実ではなく、
盲目の正義を信じる目に、変わり始めている。
その一歩目が、
いわゆる「狂信者」と呼ばれる者たちの、
歩き出し方と、
あまりにも、よく似ていることに――
三世議員、田中 恒一は、まだ、気づいていなかった。




