048 2026年4月27日(月)_01 違和感、忍び寄る敵意
一葉は、昨日の騒ぎがまだ街の空気に残っているその翌日、
文翔館地下五十メートル――
山形ロボドックに併設された指令部の天井を見上げて、
静かに絶望していた。
いや、待って。
あの騒ぎの翌日に、筋トレと事務仕事って何。
アホでしょ?
アホでしょ?
というか、アホでしょう?
代休くださいよ!
わたしの人生、なんだと思ってるの。
「ね、児島さん? 児島室長?」
返事はない。
代わりに聞こえてきたのは、紙袋のカサッという音だった。
「児島さんは昨日の報告で、市と警察と自衛隊と消防と県庁と……あと午後は渡部さんに報告。今日はここにいないよ」
若林さんが、モグモグタイムの最中だった。
「ほう」
一葉は間髪入れず、若林さんのお菓子をさっと奪う。
甘い。おいしい。
「こらっ!」
怒られた。
その瞬間、指令部の内線が鳴った。
表示は、地上――生涯学習文化財団の事務局。
最近、あそこからはだいたい“お菓子のおすそ分け”か、“書類の不備”だ。
「はい、こちら――」
途中で、一葉の表情が固まる。
「……え? クレーム?」
受話器の向こうは、妙にそろった声だった。
七十代、八十代のおじいちゃん。
六十代くらいのおばちゃん。
年齢層がやたら高くて、しかもイントネーションが、なぜか山形じゃない。
「山形市青柳の“ハコ”の撤去を求める住民組織、ですって」
一葉がそう言うと、若林さんは肩をすくめた。
「それ、雇われ。住民じゃない。あの団体に、もう本当の住民は残ってないよ」
「……まじで?」
一葉の視線が、頭上、ドック内に佇む20メートルの箱型ロボットに向く
「ここにあるんだけどなぁ……」
今度は、隠すな、という話らしい。
まじか。
うち、一応秘密組織なんじゃないの?
意味ないじゃん、箝口令。
周囲を見渡す。
山倉さんは……室長の護衛で外。
石原さんは……有給。
有給? まじで?
青山さんは……室長と一緒。
三浦さんは……運転手。
残ったのは、新人三人組と、整備班。
「よろしく、先輩!」
「センパイ!」
「パイセン!」
なぜか一斉に敬礼される。
「……ん?」
一葉が視線を向けると、槌谷ちゃんだけ、満面の笑み。
「あなたの笑み、怖いんだけど?」
整備班からは、無言の“NG”ハンドサイン。
こっちに振るな、の合図。
若林さんが、電話口の声を聞きながら、ぼそっと言う。
「内線番号だけ漏れてるわね。
空白の二十六年で、情報の一部が漏れてるのよね。
もう攻めてこないからって……」
「若林さん……」
しばらく怒涛のクレームを電話越しに聞いた一葉は、受話器を持ったまま、天井を仰いだ。
「ヘルプミー……」
その後は、若林さんの独壇場だった。
穏やかに説明し、
やんわりと話題をずらし、
必要なところだけ曖昧にして、
最後はなぜか、受話器の向こうと一緒に――
「おほほほ」
和気あいあいで、通話が終わった。
受話器を置いた一葉は、しばらく黙っていた。
「……ぱねぇ」
若林さんは、何事もなかったように、新しいお菓子の袋を開けた。
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うがぁー!!!!!!!
各方面への説明行脚を終えた児島は、いつもより砕けた雰囲気になっていた。
それだけ「銃を使った」という一点が、想像以上に重かったのだ。
市。警察。消防。県。
そして最後に、自衛隊。
どこでも同じ質問が飛ぶ。
「なぜ発砲に至ったのか」
「代替手段はなかったのか」
答えは一つしかない。
“あれ”に対しては無理!
実際かすり傷つけるのがやっとだった。
後部座席で青山と山倉が、懐かしさの混じった表情で児島を見る。
運転席の三浦も、ミラー越しに小さく笑った。
二十六年前。
元気いっぱいで走り回っていた娘が、いまは山形ロボを運用する資料管理室の室長だ。
「たまには、息抜きさせないとな」
三浦の声が、少しだけ柔らかくなる。
だが次の瞬間、その空気が切り替わった。
自衛隊への説明を終え、東根市から山形市へ戻る道。
国道13号線を南下し、天童市を抜けて、山形市に入ってすぐ。
三浦の視線が鋭くなる。
「……事故か?」
前方で、車が横倒しになっている。
その周囲に、炎と人影。
いや、違う。
燃えている“人”が、複数いる。
だが様子がおかしい。
人の上に――いや、“宙に”、何かが浮いている。
痩せた、ヨーロッパ系の若い男の姿。
腕には点滴スタンド、正式名称イルリガードル台。チューブが宙を這っている。
意味不明。
理解が追いつく前に、結論だけが先に出る。
怪異案件。
待ち伏せだ。
三浦が低く言う。
渋いテノールの声。
「シートベルト、してるよな?」
確認した、その瞬間。
白い公用車――見た目はどこにでもあるトヨタ・ヤリス。
その挙動が変わる。
外装はノーマルと同じデザイン。
市街地に溶け込む、ただの白い公用車。
だが中身は、GRヤリス“MORIZO RR”仕様。
ボンネットなどは、カーボンで組み直されている。
剛性を残し、余分な質量だけを削ぎ落とすための、実戦用の軽量化。
トランスミッションは6速マニュアル。
ドライバーの意思が、歯車を一枚ずつ噛み合わせる。
1.6リッター直列3気筒。
インタークーラーターボに、さらにスーパーチャージャを重ねる。
点火の瞬間、甲高い駆動音が路面を引っかく。
悲鳴のような吸気音が、車内に獣の息づかいを叩きつける。
低速域では、スーパーチャージャが即応する。
アクセルを踏み込んだ“その瞬間”に、背中を殴るようなトルク。
高速域に入ると、ターボが息を引き継ぐ。
回転数が跳ね上がり、景色が一段、奥へ引き伸ばされる。
1.6リッターの枠を、明らかに踏み越えた加速。
野生じみた力が、タイヤ越しに路面へ噛みつく。
白線が、流れるのではなく、引きちぎられていく。
三浦はシフトレバーを叩き込む。
金属の感触が、掌に正確な抵抗として返る。
ミスは許されない。
ここで抜けなければ、死ぬ。
ここで迷えば、人が死ぬ。
前方は塞がれている。
炎と、横倒しの車と、宙に浮く“人の形”。
迂回路はない。
なら――強行突破。
アクセルを床まで踏み抜く。
回転計の針が跳ね上がり、エンジンが咆哮する。
白い公用車は、もはや“車”の挙動をやめ、
ただの質量と速度の塊になって、怪異の間へ突っ込んでいった。
青山と児島が、無言でバッグを開く。
取り出すのは、S&W M360J SAKURA。
.357マグナム弾が五発。
対怪異ように弾頭は特注。
威嚇はしない。
おおよそ空飛ぶ点滴男などという存在は、九割が人外。
残り一割の可能性を考えた瞬間、こちらが死ぬ。
車は一気にトップスピードへ。
怪異の横を抜ける、その刹那。
点滴男の背中から、触手が弾けるように伸びる。
空気を裂く音。
三浦は、迷わない。
ハンドルを切る。
ブレーキとアクセルを同時に踏み込み、路面にタイヤ跡が刻まれる。
眼前をかすめる触手を、スピンでかわす。
車体が横を向いた、その瞬間。
青山と児島が発砲。
乾いた銃声が二発。
同時に、山倉が符を放つ。
符は空中で黒い羽へと変わり、カラスの群れとなって点滴男に襲いかかる。
その全てを触手が叩き落とす。
体勢を立て直し、三浦はアクセルを踏み抜く。
「文翔館、緊急回線!」
青山が通信を入れる。
山倉は、歯を食いしばる。
今日は単独対応では、正直、厳しい。
あれは――
確実に、神性存在、邪神、しかもネームド級のプレッシャーだ。




