041 2026年4月24日(金)_05 スマホ教室
マイケル、アレクセイ、クレール、ルーカス、エリザベス、ヨナス、リン、タボ。
八人は、都内某所の地下会議室に集められていた。
場所の名は、誰にも知らされていない。
地上に出ると、ただの官庁ビルの裏口。
地下に降りると、空気の質が変わる。
同席しているのは、
SPに囲まれた渡部。
外務省の幹部。
自衛隊の制服組。
警察庁の警備担当。
神社本庁の白装束の神職。
そして、金剛峯寺から来た僧。
国家と宗教と武装が、
一つのテーブルを囲んでいる。
その光景に、
ザ・ナインは、思わず息をのんだ。
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「基本行動方針は、ツーマンセル」
渡部が、淡々と告げる。
「表向きは、観光客です。
あと、パスポート。日本国の。
日本を、好きになってもらいたい」
一瞬、
八人の誰かが、笑いそうになる。
だが、続く言葉で、空気が締まる。
「ただし、お目付け役がつきます」
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前に出てきたのは、
背筋の伸びた、四人の若者。
男女二人ずつ。
スーツと作務衣と、私服が、奇妙に混ざっている。
だが、立ち方が違う。
重心の置き方。
視線の運び。
呼吸の間。
——戦場の人間だ。
ザ・ナインは、
無意識に、間合いを測っていた。
虚空召喚後なら、造作もない。
影の機体を呼べば、一瞬で終わる。
だが、
今は人の身体だ。
この四人。
おそらく、
戦闘技術に、魔術が混じっている。
いや、
“能力”と呼ぶべきものが、含まれている。
アレクセイが、低くつぶやく。
「……日本は、
最初から、備えていたな」
マイケルが、苦笑する。
「受け入れるってのは、
“対抗できる”って意味か」
クレールは、肩をすくめた。
「公平で、厄介ね」
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渡部が、
テーブルの上に、八つの端末を並べる。
薄く、黒い。
ガラスの板。
タボが、手に取って、裏返す。
「……板?」
「いや、モニターか。
入力デバイスが、見当たらないが?」
沈黙。
四人の若者が、
顔を見合わせる。
外務省の一人が、
咳払いをした。
「……それが、スマートフォンです」
ザ・ナイン、全員が、固まる。
リンが、恐る恐る、画面を指で突く。
——光る。
「……反応した」
ヨナスが、眉をひそめる。
「これが、通信機?」
ルーカスが、感心したように言う。
「小さいな。
だが、情報密度は、異常だ」
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渡部は、こめかみを押さえながら、苦笑した。
「すまなかった、皆さんが日本に滞在中、こちらで生活は全面的にフォローしていたので、逆に見落としていた」
「というわけで」
「本日の後半は——」
一拍置く。
「スマホ教室です」
場の空気が、
一気に、崩れた。
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神社本庁の神職が、
操作方法を説明している。
「こちらが、地図アプリです。
迷った場合は——」
エリザベスが、真顔で聞く。
「……この小さな板が、
“道”を知っているの?」
僧が、横から補足する。
「衛星と、通信網と、
まあ……現代の“結界”ですな」
アレクセイが、低く笑う。
「なるほど」
「人間も、
見えない網に守られているわけか」
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四人の若者は、
ザ・ナインの後ろに、自然と立った。
監視。
護衛。
それとも、
抑止。
マイケルが、スマホのカメラを起動する。
画面に映る、
八人と、四人と、
国家と宗教と武装の混成チーム。
「……なあ」
「これ、
どこの観光写真だよ」
タボが、ぽつりと呟く。
「少なくとも、
地球の、裏側だな」
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渡部は、端末を操作しながら、静かに言った。
「歓迎します」
「そして——」
一瞬だけ、
政治家の顔ではなくなる。
「警戒も、します」
ザ・ナインは、
誰も、異議を唱えなかった。
それが、
“同盟”というものだと
全員、よく知っていたからだ。
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母親は、無事を確認すると地上へ戻っていった。
ここにとどまるのは、どうにも辛いらしい。
——しゃーなし。正直、分かる。
一葉は医務室のベッドに横になりながら、
スマホでニュースを流し見していた。
片手間に、推しの配信予定とグッズ情報をチェックする。
いつもの日常。いつもの逃避。
画面の隅に、見慣れない見出しが滑り込んでくる。
「オーストリアで、慈善家として知られる旧貴族の高齢男性が自殺。動機は不明」
「アメリカ・メトロポリタン歌劇場、主演テノールが突然の声帯損傷で休演」
——ふうん。
興味はない。
ない、はずなのに。
なぜか、指が止まる。
胸の奥で、
小さく、何かが引っかかった。
その様子を、
ドックの壁にもたれていた浮雲が、じっと見ていた。
「それ、何を見ている?」
「ん?これ?スマホ」
一葉は画面を軽く振る。
「ニュースと、推しの情報。あと、どうでもいい海外の事故とか」
浮雲は、覗き込んで、目を見開いた。
「……それが、通信端末?」
「そうだけど」
「高速通信?
映像と文字と音声が、同時に……?」
一葉は肩をすくめる。
「まあ、普通だよ?」
浮雲は、しばらく黙ったあと、ぽつりと言う。
「俺の、昔使ってたハイエンドPCより……
いや、基地の通信端末より高性能じゃないか」
そして、何か思いついたように続ける。
「一葉は、金持ちの娘だったのか?」
「は?」
「早川の娘だろ。
あいつ、そんな甲斐性あったか?」
——軽く、父親をディスられた。
一葉は、ベッドの上で上体を起こす。
「……動けるようになったら、言葉で締めるから覚悟しといてくださいね。
物理では勝てないから、精神でいきます」
浮雲は、なぜか少し、笑った。
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壁の時計が、21時を回る。
一葉は、ゆっくりと足を床につける。
「……よし」
ふらつきながら立ち上がる。
「帰る。
今日も稼いだ。生きた。守った。えらい、私」
ドアの前で、振り返る。
「——報告書は……」
一瞬、視線を逸らす。
「……明日……いや、すみません、今日書きます」
浮雲は、腕を組んだまま言った。
「それが、君の戦い方か」
「そうです。
敵は、怪物じゃなくて、Excelと様式第17号なんで」
廊下に出ると、
地下ドックの照明が、いつも通りの白さで灯っている。
非日常のど真ん中に、
異様なほど、日常が戻ってきていた。
一葉は、スマホをポケットにしまいながら、つぶやく。
「……世界、ほんと、忙しいな」
その画面の向こうで、
“どうでもいい海外ニュース”が、
静かに、次のページへと更新されていた。
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深夜。
一葉が、デスクに向かってキーボードを叩いている。
「……えーと、“当該事案は地域住民の安全確保を最優先として実施され……”
もうちょい、やわらかく書いたほうがいいかな……」
画面の端には、様式第17号。
セルの色分けと、意味の分からない注釈欄。
彼女の戦場は、静かだ。
その背後。
指令室の奥、ガラスで仕切られた会議スペースでは、
児島、若林と顧問たちが、無言でモニターを見つめていた。
ニュース映像。
「オーストリア、ウィーン。慈善活動で知られた旧貴族の男性が、自宅で死亡。警察は自殺とみて捜査を——」
「ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場。主演テノールが原因不明の声帯損傷により、当面の休演を発表——」
画面が切り替わるたび、
誰も、何も言わない。
石原は、腕を組んだまま、視線を落とす。
青山は、コーヒーに口をつけるが、ほとんど減らない。
大沼は、癖のように、ペンを指先で回している。
児島が、低い声で言う。
「……話には聞いていたげど。
だが、こうして“ニュース”になると、別物ね」
若林が、かすかに鼻で息を吐く。
「世界にとっては、ただの事故。
私たちにとっては——」
言葉を探して、やめる。
三浦は、モニターから目を離さないまま、静かに言った。
「……戦友の、最期か」
沈黙が、落ちる。
ガラス越しに聞こえるのは、
一葉のキーボードの音だけ。
「……“現地対応においては、関係機関と連携し——”
あ、字数足りない……」
その、あまりにも日常的な声が、
この部屋がまだ“人の世界”にあることを、かろうじて証明していた。
石原は、画面を消す。
暗くなったモニターに、
自分たちの顔が、うっすらと映る。
「……伯爵は、もう、帰れない場所へ行った。
だが、我々は、ここに残った」
青山が、ゆっくりとうなずく。
「残った以上、
見なかったことには、できませんな」
そのとき。
一葉が、振り返る。
「すみません、誰か、“被害状況の総括”の言い回し、もうちょいマイルドなのありません?
“壊滅的”って書いたら、怒られますよね?」
一瞬。
誰かが、吹き出しそうになって、必死でこらえた。
児島が、苦笑しながら言う。
「……“重大な影響が確認されたが、人的被害は回避された”でいいわ」
「さすが室長。日本語が公務員です」
一葉は、何も知らずに、またキーボードを叩き始める。
その背中を見ながら、
顧問たちは、同じことを思っていた。
——この子が、こうして報告書を書いている限り、
世界は、まだ“守られている側”にいる。
ニュースは、次の話題へと切り替わる。




