036 2026年4月24日(金)_01 エクササイズ開始
翌日。
文翔館地下、地表から約50メートル。
一葉は、エレベーターの窓に映る自分の顔を見ながら、そっとため息をついた。
昨晩の記憶が、ところどころ霧がかかったように抜けている。
——生きてる。
——職もある。
——たぶん、やらかした。
それだけは、確信できた。
扉が開くと、待ち構えていたように、児島と若林。
「早川君と、綾さんから聞いたわ」
「飲むなとは言わない」
若林が腕を組む。
「でもね。節度を知れ」
一葉は、反射的に敬礼しそうになって、昨日の“左手事件”を思い出して、やめた。
「母さんまで……はい……」
観測班の新人三人、
武田、今田、槌谷が、微妙な距離感でこちらを見ている。
同情。
好奇心。
そして、
珍獣を見るような視線。
「二日目でこれか……」
一葉は小さくつぶやいた。
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ドックの端。
浮雲が、床に膝をついて、なにやら低い声で唱えている。
「……がしゃくしょぞうしょあくごう……」
一葉は、目を細める。
「……お経?」
石原が通りがかりに言う。
「修験道だ。結界の“癖”を身体に覚えさせてるらしい」
「……長生きすると、スピリチュアルに目覚めるんですね」
浮雲は無言のまま、ちらっとこっちを見る。
イケメンだった。
——まあ、似合う。
目の保養。大事。
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「ザ・ナインの人たち、いないですね」
「ああ。今朝、東京に向かった」
「観光ですか? 国会議事堂とか」
若林が、即ツッコむ。
「そんなわけあるわけないじゃない」
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デスクに戻ると、
紙の束が、どんと置かれていた。
筋トレメニュー。
「……これ、一週間分ですよね?」
山倉が、静かに首を振る。
「一日だ」
「……あほですか」
めくる。
スクワット。
ランジ。
ロープ。
懸垂。
そして、謎の文字。
CQC / CQB
「……BBQの親戚ですか? 肉、食えます?」
山倉が、無言で符を取り出して、
一葉の額にぺたと貼った。
「……なにこれ」
「ルーン」
「札ハラスメントです」
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悲報。
CQC / CQBは、格闘技だった。
もっと悲報。
午後、人生初の実銃射撃を経験した。
「……公務員って、ここまでやるんですか?」
石原が、遠い目をする。
「ここは“県職員”の範囲外だ」
——察しました。
深く考えないの、大事。
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そして。
午後三時過ぎ。
警察無線が、観測室に流れ込む。
「——新庄市方面、局地的異常気象現象。
上空よりの降下物を確認」
一葉が、椅子から立ち上がる。
「新庄市!?」
地図が、頭に浮かぶ。
山形市から北へ。
最上川沿い。
距離、だいたい70キロ。
車で、1時間半。
電車でも、1時間半前後。
「片道何時間かかると思ってるんですか!」
青山が、淡々と言う。
「山形ロボなら、数分だ」
「比較対象がおかしい!」
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装備室で、若林から黒いタイツのようなものを渡される。
肩周辺が異様にゴツイ。というか多分戦える。銃とか弾く。
背中にも鉄骨みたいなのついてる。
ゴキブリ?
「対Gスーツよ」
「……ゴキブリ対策じゃないんですね」
「ちーがーうー」
「えー、残念」
とりあえず着る
ぴっちり。
乙女の敵だ。
腹筋に力を気持ち入れる。
お腹を可能な限りへこます。
「……ヨガ教室じゃないですよね、
というか、なんで私のサイズ知ってるんですか?
ウエストも、股下の長さも」
「え?あなたの身体情報とか、3月の段階で全部取り寄せたから」
「怖っ!」
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ドックの奥で、
山形ロボのカメラが、淡く光る。
新庄の方向。
一葉は、ヘルメットを抱えたまま、ぽつりと言う。
「……新庄って、カド焼きと、雪と、新庄祭りのとこですよね」
浮雲が、静かに答える。
「人が住んでる場所だ」
それだけで、
意味は、十分だった。
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警報が、低く鳴る。
児島の声が、指令室に響く。
「——出動準備」
一葉は、深く息を吸う。
支給された可愛くない顔に密着する眼鏡をかけ、
ヘルメットを深く被る。
異常にでかい肩パットとがっちり固定される。
……上下に首が動かない。
「……今日、出動二回目なんですけど」
浮雲が、山形ロボの肩部メンテナンス用の手摺に捕まり、少しだけ笑った。
「慣れるな。慣れたら終わりだ」
「ついて来てくれるの嬉しいですけど、そのセリフ、その場所ですと世界一説得力ないです!というか、中入りません?」
文翔館前広場の石畳に偽装したハッチが、開く。
目標、新庄市。
全部、
数分先にある。
一葉は、コックピットに足をかけながら、つぶやいた。
「……転職、考えてたんだけどなあ。ホワイトで土日休める職場」
誰も、否定しなかった。
山形ロボの3つの動力炉が唸りをあげる。
重力制御からなにやらは半分オート、
残りはレバーと私の気合い。
気合いだぁ!
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遡ること午前10時。
山形県庁、本館五階・大会議室。
窓の外には、まだ春の名残を引きずった蔵王連峰。
遠くの稜線に、うっすらと雪が残っている。
長机がコの字型に並べられ、
その内側に、県知事、山形市長、主要市町村長、県議会議員、山形市議会の代表、消防本部、県警本部、自衛隊山形地方協力本部の顔がそろっていた。
議題名は、無機質にこう書かれている。
「特殊事案対応に関する広域連携確認」
表向きは、防災と危機管理の延長線。
だが、この部屋にいる全員が、
“先日の七日町”を知っている。
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児島裕子は、立った。
スーツのポケットには、
文翔館地下の認証カード。
そして、27年前の名簿のコピー。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
一礼。
「本来なら48時間以内にご報告すべきでしたが、結論から申し上げます。
21日、山形市中心部で発生した事案は、自然災害ではありません」
ざわり、と空気が揺れる。
山形市長が、低く言う。
「……報道は、突風と局地的気圧変動で押し切ると聞いています」
「ええ。そう処理しています」
児島は、うなずく。
「ただし、次が来た場合、押し切れません」
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スクリーンに、地図が映る。
山形県全域。
村山地方。
最上地方。
置賜地方。
庄内地方。
内陸と沿岸。
赤い円が、酒田港沖に打たれる。
「酒田港沖、水深およそ百数十メートル地点」
消防本部の幹部が、眉をひそめる。
「そこは、航路から外れた……」
「ええ。
意図的に外した場所です」
児島は、言葉を選ぶ。
「そこには現在、
“使用不能として封印された構造物”が沈んでいます」
知事が、ゆっくりと口を開く。
「……120メートル級、ですか」
一瞬、沈黙。
誰も名称を口にしない。
だが、全員が同じものを思い浮かべている。
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「仮に、昨日と同規模、もしくはそれ以上の事案が発生した場合」
児島は、まっすぐに言った。
「山形ロボ単体では、対応できない可能性があります」
市町村長の一人が、思わず声を出す。
「それを……使うつもりですか」
「“使う許可”を、事前にいただきたい」
児島は、はっきりと答えた。
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スクリーンが切り替わる。
月山。
山形県の中央にそびえる霊峰。
「もう一つ。
月山山系に設置されている、高圧水脈制御施設について」
県土整備部の職員が、息をのむ。
「月山湖大噴水……?」
「正式には、
農業用水圧調整兼・治水放流設備です」
児島は、淡々と続ける。
「ですが、1999年案件では
大規模な水圧エネルギー放出装置として転用した実績があります」
自衛隊の幹部が、低くつぶやく。
「……兵器扱いだな」
「ええ」
児島は、うなずいた。
「だからこそ、
事後承認ではなく、事前合意が必要なんです」
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会議室の空気が、重く沈む。
山形市長が、腕を組んだ。
「市街地で、昨日のような事態が起きた場合、
我々は、何を優先する?」
児島は、即答した。
「人命です」
「建物は?」
「後で直せます」
「経済は?」
「……生きていれば、再建できます」
その言葉に、
誰も、反論しなかった。
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知事が、静かに言う。
「要するに、こういうことですね」
「県境も、市町村の線引きも、関係なく動く権限をよこせ、と」
児島は、目を逸らさない。
「はい」
「責任は?」
「私が取ります」
一瞬、部屋の空気が張り詰める。
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消防本部長が、口を開く。
「……現場は、うちが守る。
警察が、避難を回す。
自衛隊が、後方支援に入る」
県警本部長が、続ける。
「情報は、一本化する。
勝手な発信はさせない」
市町村長の一人が、苦笑する。
「まるで、有事対応だな」
児島は、小さく言った。
「有事です」
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最後に、知事が立つ。
「分かりました」
「正式な議事録には残しません」
「だが、ここにいる全員の“了解事項”として扱う」
一人ずつ、うなずきが返る。
---
児島は、深く一礼した。
「ありがとうございます」
一瞬、ためらってから、付け加える。
「……昨日、山形市で、
一人の職員が、
理由もなく、他人をかばいました」
市長が、眉を上げる。
「それが?」
「その“理由のなさ”が、
この県を、救うかもしれません」
誰も、笑わなかった。
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会議が終わる。
廊下に出た児島は、スマホを取り出す。
文翔館地下へ。
《根回し完了。
“使うな”とは言われなかった》
数秒後、若林から返事。
《それが一番怖わよね》
児島は、小さく息を吐いた。
窓の外には、
山に残雪が残る山形。
何も知らない街が、
今日も、普通に動いていた。




