033 2026年4月23日(木)_02 飲み会お代わり、惨劇を添えて
地下ドック。
宴会は、完全に“戦場”になっていた。
誰かが山形弁でラジオ体操を熱唱し始め、
八人の元パイロットがそれぞれの母国語で割り込む。
日本酒、ワイン、ビール、謎のエナジードリンクがテーブルに混在し、
一葉は椅子の上に正座して、
「世界の平和は税金で買えるのか問題!」
という、誰も頼んでいない討論を始めている。
若林は頭を抱え、
児島は静かに天井を見上げていた。
その少し離れたところで。
早川 真は、スマホを手にして、ため息をつく。
画面には、
「片桐 綾」
の名前。
一瞬、親指が止まる。
——今さら、連絡する理由なんて、なかったはずだ。
——でも。
背後から、一葉の声が響く。
「浮雲さん!その“二百万年”って、労災降ります!?」
早川は、目を閉じた。
そして、打つ。
---
<早川 真>
今日は、そっち寒くないか。
体調、崩してないか。
送信。
数秒。
十秒。
一分。
その間にも、一葉は誰かの肩を叩きながら、
「ねえねえ、あたし公務員的に言っていい?世界、めんどくさくない?」
と絡んでいる。
スマホが震えた。
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<片桐 綾>
相変わらず、唐突ね。
私は元気よ。
あなたは?
早川は、小さく笑う。
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<早川 真>
まあ、それなりに。
……それでな。
一葉の酒癖、知ってるか。
送ってから、後悔する。
話題の選び方が、あまりに不器用だ。
少し間があって、返信。
---
<片桐 綾>
知ってる。
だから、家ではあまり飲ませなかった。
早川は、視線を上げる。
ちょうど一葉が、
「税金ってロマンだよね!」
と、渡部議員に絡んでいるところだった。
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<早川 真>
今日、初めて知った。
結果、今、地獄だ。
すぐに返ってくる。
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<片桐 綾>
……ご愁傷さま。
あの子、酔うと“本音と正論と爆弾”を全部投げるから。
早川は、思わず、声を出さずに笑った。
---
<早川 真>
変わってないな。
少し間が空く。
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<片桐 綾>
あなたもね。
連絡してくる時は、
だいたい、何かあった時だけ。
胸の奥が、ちくりとする。
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<早川 真>
……悪い。
一昨日、一葉がちゃんと、誰かを守った。
送信したあと、
自分で、自分の言葉の重さに気づく。
少し、時間がかかってから。
---
片桐 綾:
聞いた。
あの子、ちゃんと大人になってるのね。
早川は、地下ドックの喧騒を見る。
一葉は今、
アレクセイに向かって、
「ロシアって寒いんでしょ?じゃあ税金も凍るの?」
と、意味不明な絡み方をしている。
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<早川 真>
……大人かどうかは、保留だ。
すぐに返ってきた。
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<片桐 綾>
それでいいわ。
あの子は、昔から
“誰かの前に立つ癖”だけは、直らなかったもの。
早川は、指を止める。
——記録映像でみた。
——怪物の前に、立った愛娘の背中。
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<早川 真>
ああ。
それだけは、確かに。
しばらくして、最後のメッセージが届く。
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<片桐 綾>
無理、させないで。
あなたが昔、無理しすぎたみたいに。
早川は、スマホを見つめたまま、深く息を吐く。
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<早川 真>
……努力する。
送信。
それ以上、続けなかった。
続けたら、きっと、
“昔”の話になるから。
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その瞬間。
背後から、一葉の声。
「ねえお父さん!
お母さんに、変なこと言ってないですよね!?」
早川は、びくっと肩を跳ねさせる。
児島と若林が、同時に吹き出した。
早川は、スマホをポケットにしまい、
苦笑いで言う。
「……体調の話だけだ」
一葉は、じっと睨んでから、
ふっと笑った。
「なら、合格」
そして、またコップを持ち上げる。
地下ドックの空気は、
騒がしくて、
あたたかくて、
どこか、懐かしかった。
誰も口にしないけれど。
——それぞれが、
“戻れなかった場所”と、
“まだ残っている場所”の、
ちょうど真ん中に、立っていた。
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地下ドックの隅。
少しだけ喧騒から外れた場所で、八人は並んで腰を下ろしていた。
煮物の出汁匂い。
湯気の立つお吸い物。
紙コップのビールの泡。
——夢みたいだな。
アレクセイが、ぼそりとロシア語で呟く。
マイケルが、ローストビーフを食べながら肩をすくめる。
「夢でもいいさ。腹が減らない夢ならな」
クレールは、ワインの香りを確かめるように目を閉じた。
ルーカスは、米の一粒一粒を、指先で確かめるようにすくう。
エリザベスは、漬物をゆっくりと噛みしめる。
リンは、湯気の向こうで、静かに笑った。
ヨナスは、箸の持ち方を一葉に教わりながら、何度も頷いている。
二百万年。
戦って、
守って、
削れて、
名前も、国も、役割も、
ただの“影”になっていった時間。
人間をやめたと思っていた。
やめるしかなかったと思っていた。
忘れられていることにも、
怒る気力すら、もうなかった。
それでも。
豪勢な弁当箱のふたを開けた瞬間。
湯気が、顔に当たった瞬間。
何かが、胸の奥で、ほどけた。
「……あったかいな」
誰が言ったのか、分からない。
でも、その言葉に、全員が、少しだけうなずいた。
利用されているのかもしれない。
都合よく、引き戻されただけなのかもしれない。
それでも、今この瞬間だけは。
名前で呼ばれている。
席があって、
食べ物があって、
「どうだ、足りてるか?」と、声をかけられる。
アレクセイは、ビールを一口飲んで、低く笑った。
「……戦鬼の飯にしちゃ、うますぎる」
マイケルが、吸い物の椀を掲げる。
「二百万年ぶりの豪勢な食事だ。
せめて、うまいって言わせてくれ」
クレールは、紙コップを軽く持ち上げた。
「人間に戻る乾杯、ってところかしら」
椀が、紙コップが、缶が、
小さく、触れ合う。
その音は、戦場の金属音より、ずっと、やさしかった。
八人の戦鬼は、
その夜だけは、
ただの“腹を満たす人間”に、戻っていた。
そして、そのことが、
何よりも、
胸に、重く、あたたかく、残った。
---
東京・丸の内。
夜景を切り取るようなガラス張りの高級レストラン。
磨き上げられたカトラリーと、静かすぎるほど行儀のいい照明。
ここでは、料理よりも「席に誰が座っているか」のほうが価値を持つ。
奈良 透は、窓際のテーブルでワイングラスを傾けながら、
指先で小さなUSBメモリを転がしていた。
黒い樹脂のボディ。
中には、山形ロボの画像データと、
いくつかの“説明できないログ”が収められている。
向かいに座るのは、
二十代後半の若い財界人。
肩書きだけは、すでに三つも四つもある男だった。
「奈良さんでも、食事なさるんですね」
軽口のつもりだろう。
だが、その言葉の裏には、
——あなたは人間なのか?
という、探るような視線が混じっている。
奈良は、にこやかに微笑んだ。
「人の真似事くらいは、好きでね。
それに、味覚ってのは、意外と面白い。
“高い”とか“希少”とか、そういう概念まで、ちゃんと味に混ざる」
男は笑った。
自分の話を始める合図だと思ったのだろう。
投資の話。
海外の人脈。
“自分がいかに時代の先を読んでいるか”という長い自慢話。
奈良は、相槌を打ちながら、
その言葉の裏側にあるものを眺めていた。
——欲。
——承認。
——恐怖。
人類はずっと、変わらない。
やがて、料理が下げられ、デザートとコーヒーが運ばれる。
男は、ふと視線をUSBに落とした。
「それ……例の“山形のやつ”ですよね」
奈良の指が、止まる。
「噂になってますよ。
ローカルで一瞬だけ映ったとか、
消されたデータがあるとか。
僕、そういう“消えたもの”を、集めるのが好きで」
奈良は、カップを置いた。
「それで?」
男は、身を乗り出す。
「買いますよ。
いくらでも出す。
歴史の裏側って、金になるんです」
その瞬間。
空気が、ほんのわずか、重くなった。
奈良の笑顔は、変わらない。
だが、その奥にある“何か”が、
男の中で、警報のように鳴った。
「君はね」
奈良は、やさしい声で言った。
「値札を付けていいものと、
付けた瞬間に、こちらを見返してくるものの区別が、ついていない」
男の喉が、鳴る。
「……冗談ですよね?」
奈良は、USBを、そっとテーブルに置いた。
「冗談に見えるなら、君はまだ、運がいい」
その瞬間。
男の視界が、暗転する。
高級レストランの風景は消え、
代わりに、果てのない廊下が広がる。
壁には、無数の扉。
どれも、彼自身の顔をしている。
開けるたびに、
成功した自分。
破滅した自分。
裏切られた自分。
誰にも覚えられなかった自分。
未来と過去が、同時に、押し寄せる。
「やめ……ろ……!」
声は、廊下に吸われる。
奈良の声だけが、どこからともなく響く。
これは罰じゃない。
ただの“見学”だよ。
君が売ろうとした世界の、裏側の。
次の瞬間。
男は、レストランの椅子に、崩れ落ちた。
高級そうな絨毯にコーヒーの染みが広がる。
店員が駆け寄る。
医者を呼ぶ声。
救急車のサイレン。
後日、ニュースはこう報じる。
——若手実業家、会食中に急性の精神錯乱を発症。
現在、療養中。資産の大半は凍結。
奈良は、もうそこにはいなかった。
夜風に当たりながら、ビルの屋上に立つ。
東京の灯りが、星のように瞬く。
奈良は、ポケットの中の、もう一つのUSBを指でなぞった。
本物は、こちらだ。
「この世界にはさ」
誰にともなく、つぶやく。
「大黄金時代にして大暗黒時代にして大混乱時代の街の機械仕掛けの神も、
時間を越え、一にして全に徒手で挑むオカルト探偵も、
多元宇宙の壁を越え人類を守護する厄介な光の巨人たちも、いない」
夜景の向こう、遥か北。
「……でもね」
「あの箱と、
あの課が、まだ残ってる」
口元が、楽しそうに歪む。
「それだけで、十分だ」
「最高に、遊べる」
風が、ビルの縁をなぞる。
奈良の姿は、影の中に、溶けるように消えた。




