205【異世界編】王国歴130年双子の月下望月の日 終わらない後悔
山奥の名もなき村。
そこに、一人の露天商が暮らしていた。
丸眼鏡を掛け、
長い髪を後ろで束ねた男。
浮雲平助。
多くは語らず、
ただ季節ごとに村を巡り、
薬や日用品を売って生計を立てていた。
村人たちは彼の素性を知らない。
それでも。
穏やかな人柄の男を、いつしか家族のように受け入れていた。
そんなある日のことだった。
一人の少女が村へ駆け込んできた。
全身に傷を負い、
血に染まった衣服のまま、
何かに追われるように。
少女の名は――
シータ。
その背後から魔物が現れる。
村人たちは悲鳴を上げた。
露天商は静かに荷車の脇へ歩く。
そこには一本の刀。
「護身用ですよ」
いつもそう言って笑っていた刀だった。
男は、それを抜く。
一閃。
音だけが走る。
次の瞬間。
魔物は音もなく両断されていた。
村人たちは歓声を上げる。
誰も気づかない。
その出来事こそが、
全ての始まりだったことに。
少女――シータ。
その正体は、
かつて勇者一行によって討たれた魔王ヴァルゴスが改造した実験体。
ナンバーΘ。
そして。
彼女自身も知らない目的があった。
それは、大戦の英雄、
魔王の顔に最初に傷をつけた男。
サムライマスター・浮雲平助。
その居場所を見つけ出すことだった。
無事、平助に匿われたシータ。
彼女は知らない。
自分が見たもの、聞いたもの、その全てが。
魔王ヴァルゴスへ筒抜けになっていることを。
そして――
その日の夜。
村は消えた。
空を覆う無数のメタルゴーレム。
"人形使い"と恐れられた魔王配下の軍勢が、一斉に魔術砲撃を開始する。
炎。
爆炎。
悲鳴。
名もなき山村は、一夜にして焼き払われた。
平助は刀を抜く。
かつて大戦を終わらせた英雄。
サムライマスター・浮雲平助。
だが。
数年にわたる平穏は、その身体から戦場の勘を少しだけ奪っていた。
それでも。
体術と剣技だけを頼りに、無数のメタルゴーレムを斬り伏せていく。
しかし。
ほんの一瞬。
背後を取られた。
庇っていたシータの身体が、宙に舞う。
「……え?」
ヴァルゴスが笑う。
少女の胸を、何の躊躇もなく貫いた。
それが目的だった。
英雄を殺すことではない。
守れなかったという事実で、英雄の心を壊すこと。
「平助」
ヴァルゴスは愉快そうに嗤う。
「お前は守れなかった」
その言葉が。
最後の楔になった。
だが。
それこそが、ヴァルゴス最大の誤算だった。
浮雲平助は、この世界の人間ではない。
異世界より漂着した異物。
その右腕には鬼神が宿り。
鎖骨には邪眼が眠る。
絶望。
怒り。
後悔。
その全てが一つになった瞬間。
黒い翼が空を覆った。
「姫だけでなく、また、俺は守れなかったのか!」
血を吐くような咆哮。
炎。
水。
光。
三属性を重ね合わせた複合破壊魔法。
不可視の破壊光線が、点となって空間を埋め尽くす。
破壊魔法――《ラーク》。
世界が白く染まる。
三つの属性が完全に融合し、
無数の不可視の破壊光線となって空を埋め尽くした。
虹が一瞬輝く。
メタルゴーレム師団は、
跡形もなく消えていた。
そして。
魔王ヴァルゴスもまた、
肉体を完全に失う。
その姿は光の粒となり、
静かに世界から消えていった。
勝者は浮雲平助だった。
誰の目にもそう映った。
だが。
魔王ヴァルゴスだけは、
慟哭する平輔を見て、
最期まで嗤っていた。
静寂だけが残る。
平助は膝をつく。
腕の中には、
もう息をしていない少女。
誰も守れなかった。
その悔恨は、生涯消えることはなかった。
だからこそ。
平助は剣を置かなかった。
平穏な隠遁生活へ戻ることもなかった。
再び乱世を生まないために。
未来の誰かが、自分と同じ後悔を背負わぬように。
聖十字王国首都にて、
後進を育てることを固く誓った。
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王国歴149年麦穂の月糸月の日。
「お師様!」
金髪の少年が駆け寄ってくる。
カル・ヴィー・サージュ。
まだ幼さの残る顔を輝かせながら、老人へ頭を下げた。
「お師様!」
「皆伝、ありがとうございました!」
老人は穏やかに微笑む。
丸眼鏡を指先で押し上げた。
「ですが、一つだけ分からないことがあります」
「なんだい?」
「技の名前です」
カルは首を傾げる。
「どうして奥義に、お師様のお名前が付いているんですか?」
老人は一瞬だけ黙った。
そして遠くを見る。
その眼には、
英雄だけが知る後悔が宿っていた。
「カル」
静かな声だった。
「私の名前は、その技にあやかって名乗ったのですよ」
カルは目を丸くする。
「え?」
老人は小さく笑う。
「あれは親友と二人で磨いた流派の奥義です」
「魔王討伐の伝承には出てきません」
「だから誰も知らない」
カルはさらに身を乗り出す。
「その流派のお名前は?」
老人は空を見上げた。
どこか懐かしそうに。
そして少しだけ寂しそうに。
「私に右腕をくれた友がね」
「戯れに、私の本当の名前をもじって名付けたんです」
静かな風が吹く。
老人は微笑んだ。
「その名は、歴史には残しませんでした。
国王陛下も知らない。」
「――京八流。」
「それが、流派の名ですよ。」




