202 2026年5月31日(日)_04 会議の真似事04
闇。
廃墟のようでいて、廃墟ではない場所。
時間が崩れ、
空間が歪み、
過去と未来が同じ場所に沈殿している。
コロコロ。
何かが転がる。
いや。
空間そのものが愉快そうに震えていた。
奈良透。
あるいは――
ナイアルラトホテップ。
彼は上機嫌だった。
「さぁ」
楽しそうに両手を広げる。
「みんなが愉快にやられてる間に、新人をスカウトしてきたよ」
返事はない。
エイホート。
グラーキ。
そしてシャウルス。
三柱とも露骨に不満そうだった。
奈良は肩を竦める。
「そんな顔をしないでおくれよ」
そしてシャウルスへ向き直る。
「特に君だ」
にこりと笑う。
「今回スカウトしてきたのは君と同年代だ」
一拍。
「1999年生まれ」
さらに一拍。
「おっと、失礼」
奈良はわざとらしく口元を押さえた。
「傷ついた神格が回復しやすいよう、本来の発音で呼んであげようか」
愉快そうに。
「――Xau'los」
シャウルスの周囲の空間がわずかに軋んだ。
奈良は満足そうに頷く。
その横では、
アトラック=ナチャがゲーム機を二台同時に操作していた。
左右の手で別々のゲームを遊んでいる。
興味はなさそうだった。
「新人君の名前はヴァル=ゴス」
奈良は嬉しそうに続ける。
「なんでも他の世界の出身らしい」
「いいねぇ」
「実に今風だ」
「死んだら異世界転生したんだって」
その言葉に反応したのはツァトゥグァだった。
コストコで買い込んだ大量の食料を咀嚼しながら答える。
「面白いね」
もぐもぐ。
「今度そっちも食べに行こう」
奈良は無視した。
「彼の最大の権能は《傀儡使い》」
指を一本立てる。
「自分の力を他者へ貸し与えられる」
二本目。
「しかも距離制限が異常に長い」
三本目。
「そして何より――」
奈良は楽しそうに笑う。
「彼自身が、この厄介な位相遮断領域の外にいる」
沈黙。
今度はゲームをしていたアトラック=ナチャが、一瞬だけ視線を上げた。
奈良はその反応を見逃さない。
むしろ嬉しそうになる。
「そんな彼は、自身の権能を宿したスペースデブリを目標へ投げ込むんだそうだ」
「位相遮断領域の外から、ね」
その場の空気がわずかに変わる。
奈良は満足そうに頷く。
「つまり――」
指を鳴らす。
「彼の傀儡もまた、位相遮断領域の影響を受けにくい」
一拍。
「もっとも、自由意志がかなり強いらしいけど」
肩を竦める。
「そこはご愛敬だね」
誰も笑わない。
奈良だけが笑っている。
「実に上手い」
「実に賢い」
「実に嫌らしい」
そして。
「だから好きだなぁ、こういうの」
ナイアルラトホテップは心底楽しそうだった。
やがて暗闇の向こうへ視線を向ける。
そこには誰もいない。
だが。
彼には見えていた。
山形。
文翔館地下。
そして。
戦鬼、浮雲平輔。
奈良は軽く会釈した。
まるで舞台の開幕を告げる司会者のように。
「さて――」
口元が歪む。
「浮雲平輔」
愉快そうに。
どこまでも愉快そうに。
「君は、どう出るのかな?」
闇が笑った。
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2026年5月25日、夕方。
山形駅西口から東口の繁華街へ続く地下道。
植田弦は苛立っていた。
痩せこけた身体。
黒いパーカーの隙間から覗く不健康な肌。
脱色を繰り返し、痛みきった頭髪。
どこを取っても、まともな生活を送っている人間には見えなかった。
金がない。
借りる当てもない。
ヒモになろうにも、目ぼしい女からはすでに吸い尽くせるだけ吸い尽くしていた。
財布の中には千円札が一枚と小銭が少し。
植田はそれを見つめながら、仙台の繁華街へ流れるべきか考えていた。
これ以上山形で派手にやれば、“怖い人たち”に目を付けられる。
かといって警察へ行けば、身に覚えがありすぎる何かで、しばらく娯楽とも縁が切れるだろう。
手製の巻き煙草を深く吸う。
何が入っているのかは本人しか知らない。
肺の奥まで煙を落とし込むと、少しだけ気分が落ち着いた。
その時だった。
地下道の階段の上に、男が二人立っていることに気づく。
一人は愛想の良い、どこにでもいそうなスーツ姿の男。
もう一人は長い銀髪を持つ細身の男。
高身長。
人形のように表情が動かない。
スーツの男が笑顔で口を開いた。
「丁度良いところで会いましたね」
柔らかな声。
「早速ですが――力、いりませんか?」
「……は?」
次の瞬間。
植田の視界が二重になる。
いや。
三重。
四重。
無数。
地下道の壁が透ける。
壁の裏の配線が見える。
階段の上の雑踏の鼓動が聞こえる。
遠く離れた誰かの怒鳴り声。
笑い声。
泣き声。
知らない街。
知らない空。
知らない死体。
情報が流れ込む。
植田は思わず膝をついた。
吐きそうだった。
だが。
同時に理解してしまった。
自分がもう、元には戻れないことを。
そして。
目の前の二人が、自分などでは決して逆らえない上位者であることも理解してしまった。
「おや」
スーツの男が嬉しそうに笑う。
「筋が良いようですよ? ヴァル=ゴスさん」
銀髪の男は植田を見下ろした。
数秒。
沈黙。
感情はない。
顔の筋肉が動いた形跡もない
まるで道端の石を見るような視線だった。
「では早速ですが」
スーツの男は微笑んだまま続ける。
「その子に会ってきてください」
男が植田の右手を指差す。
気がつけば、いつの間にか一枚の写真が握られていた。
女子高生。
制服姿。
「会うだけですか?」
「ええ」
男は頷く。
「その後どうするかは、あなたが決めてください」
「すみません……どういう意味でしょうか?」
「なんでも構いません」
男は笑う。
「あなたの好きにしてください」
植田はニヤリと嗤った。
「殺しても……いいんですか?」
スーツの男は一瞬だけ目を細めた。
そして。
「なるほど」
愉快そうに笑った。
「君はそう使うんだね」
その言葉を聞いた瞬間。
二人の姿は消えていた。
まるで最初から存在しなかったかのように。
植田はしばらく階段を見上げていたが、やがて肩を震わせながら笑い始めた。
「えへへへへ……」
写真をポケットへ押し込む。
「まずは金を手に入れて飲まねぇとな」
「まずはそれからだ」
そう呟きながら地下道を歩き出す。
その背中を見送る者はいない。
ただ。
遥か彼方。
位相遮断領域の外側で。
一柱の邪神だけが、興味なさそうにその姿を見つめていた。




