018 2026年4月21日(火)_08 交戦、文翔館前交差点
怪物の咆哮が、街路に反響する。
音は建物の壁面で跳ね返り、七日町通りの奥へ転がっていった。
山形ロボは、動かない。
踏ん張るでも、構えるでもない。
ただ、そこに立っている。
それだけで、空気が押し返されているのが分かった。
風が正門の外側へ流れを変える。
一葉は尻もちをついたまま、その光景を見上げていた。
——箱だ。
本当に、ただの箱みたいな体。
最低限の形。
角張った胴体。
太くて無骨な四肢。
なのに。
球状のツインカメラが、ゆっくりとこちらを向いた。
その瞬間。
一葉は、なぜか“見られた”と思った。
監視カメラに映った、じゃない。
視線を、向けられた。
「……え?」
胸の奥が、きゅっと縮む。
観光客の父親が一葉の肩を引く。
「Come on! Run!」
足が、動かない。
怪物が山形ロボの腕に歯を立てる。
金属がきしむ音。
だが装甲はびくともしない。
逆に、ロボの表面を淡い光が走った。
——ヒヒイロカネ。
報告書でチラッとしか見たことのない単語が、なぜか頭に浮かぶ。
「……なに、これ……」
山形ロボが、ほんの少しだけ前に出る。
それだけで、アスファルトにひびが入った。
怪物が初めて、たじろぐ。
腕を放して、距離を取る。
そのとき。
一葉のスマホがポケットの中で震えた。
無意識に取り出してしまう。
画面には通知。
★Nara Tohru Ch★
《今日は“現場”だね。見てるよ》
「……は?」
背中がぞわっと粟立つ。
おかしい。
さっきまでスマホは持っていなかった。
事務所に置いてきている。
なのに、手の中にある。
——見てる?
次の瞬間。
声が、頭の内側から響いた。
> いやあ。
> 思ったより早く“縁”ができちゃったね。
一葉は耳を塞ぐ。
「なに……誰……?」
> 大丈夫大丈夫。
> 名乗るほどのものじゃないよ。
> 君は、まだ“ただの一般人”でいたいでしょ?
視界の端で、山形ロボがこちらを向いたまま動かない。
> でもね。
> あれ、君のこと見ちゃった。
> “かばった”でしょ? 理由もなく。
心臓が、どくん、と鳴る。
思考がまとまらない。
考えが誘導されて行く。
「……当たり前じゃないですか」
> そう。
> それが、一番厄介なんだ。
怪物が再び動き出す。
山形ロボの拳が打ち出された。
——衝撃波。
音が遅れてくる。
街路樹が根元から揺れる。
看板が倒れる。
ガラスが鳴る。
それでも、人には当たらない。
まるで避けている。
一葉は息を呑んだ。
「……守ってる……?」
> 正確にはね。
声が楽しそうに笑う。
> “選んでる”んだよ。
> 守るモノとそうでないモノを選別している。
その瞬間。
山形ロボの胸部コックピットハッチが
27年ぶりに解放された
---
地下。
文翔館・指令室。
警報が鳴り響く。
低い電子音が、部屋の空気を震わせる。
モニターに文字が流れ始めた。
《搭乗適合反応:検出》
一瞬。
《搭乗者:敵性怪異と遭遇 生命活動が脅かされています》
《自動操縦:オート》
《目標座標:38°15'21.7"N 140°20'27.1"E》
《山形市旅籠町交差点》
《無人状態での最大速度で移動》
次の瞬間。
《移動完了》
《時速62,000km》
《衝撃波:結晶化処理 上空へ廃棄》
画面がわずかに明滅する。
《敵性存在:一時的に排除》
《搭乗者:危険》
《コックピットハッチ:解放》
《霊子観測:適合》
最後の表示が、ゆっくりと浮かび上がる。
《搭乗適合反応:適正》
《同期率:66.344%》
若林が、椅子を押しのけるように立ち上がった。
「……冗談でしょ」
画面から目を離さない。
「二十七年間よ?」
唇が震える。
「二十七年間、動かなかったのよ?」
児島は、モニターを睨んだまま、低く言った。
「……適合」
部屋の誰も、声を出さない。
ただ、機械の低い駆動音だけが響いている。
若林が、ゆっくり息を吐いた。
「……石原さんたちの勘」
苦く笑う。
「当たっちゃった」
小さく、名前を呼ぶ。
「……綾」
モニターの中央。
同期率の数字が、まだわずかに揺れていた。
66.344%。
二十七年間、誰も届かなかった数値。
それを。
あの新人の経理職が、初搭乗で叩き出した。
地下深くで、
山形ロボの霊子炉が、ゆっくりと鼓動している。
---
正門前。
言葉に誘導されるまま、気が付くと一葉は“中”にいた。
鉄と光と静けさ。
狭い。
なのに、不思議と怖くない。
目の前には簡素なシート。
鼻を刺すような強烈な臭気。
年季の入った操作パネル。
どこか、古いゲーム筐体のようなレイアウトだった。
無数のブラウン管が、さまざまな情報を映している。
走査線。
数値。
波形。
見慣れない漢字混じりの警告文。
「うっ! くさっ!」
一葉は顔をしかめる。
「……なにこれ……なにこれ……」
手が、無意識にレバーへ伸びた。
触れる。
——ぴたり。
その瞬間。
世界が、噛み合った。
心臓の鼓動。
機体の低い振動。
それが、重なる。
外の音が遠くなる。
代わりに、別の感覚が流れ込んできた。
“重さ”。
街の重さ。
人の重さ。
さっきまで背後にいた、あの家族の存在。
そのすべてが、どこかで繋がっている。
> ほらね。
あの声だった。
頭の奥に響く。
> 座った瞬間、“防衛ロボの部品”になるって。
> 報告書に書いてあったでしょ?
一葉は叫ぶ。
「……知らないです、そんなの……!」
声が少し笑う。
> でも、もう知っちゃった。
モニターに怪物の影が映る。
走査線の揺れる画面。
山形ロボの拳が、わずかに持ち上がる。
> さて。新人さん。
少し間を置く。
> ここからは、“見てる側”じゃない。
> “立ってる側”だ。
一葉は震える息を吸い込んだ。
そして、思わず口にする。
「……定時、過ぎるんですけど!」
一瞬。
声が吹き出した気配がした。
> あはは。いいね。
> じゃあ、残業だ。
少しだけ声が遠ざかる。
> 彼が来るまでの時間稼ぎだ。
> 頑張ってくれたまえ、ベビーシッターさん。
そのとき。
山形ロボが、一歩踏み出した。
その瞬間、視界の端に情報が流れ始める。
数値。
波形。
意味の分からない漢字混じりの警告文。
だが、不思議と読めない感じはしなかった。
理解しているわけではない。
ただ、感覚で分かる。
機体が見ているものが、そのまま頭に入ってくる。
外部映像が拡大される。
正門前。七日町通り。
怪物の四肢がアスファルトをえぐる。
コンクリートが裂け、街灯が折れる。
その向こう。
――まだ人がいる。
喉が鳴る。
「……だめ」
声はかすれていた。
「そこ、オフィス街なんですけど……」
息を詰める。
「まだ帰宅ラッシュ前……人が……」
返事はない。
だが、機体がわずかに傾いた。
そのとき。
> いいよ。
頭の奥に、また声が響く。
どこか楽しそうな声。
> じゃあさ。
> “どうしたいか”だけ言ってみなよ。
一葉は唇を噛む。
頭に浮かぶのは、夕方の七日町。
仕事を終えかけているビジネスマン。
バス停で並ぶ高校生。
さっき写真を撮っていた家族。
息を吸う。
そして。
「——ここから、出さないで。」
次の瞬間。
山形ロボの足元から、円が広がった。
見えない線。
街路をなぞるように、静かに境界が引かれる。
空気が変わる。
音が、吸われた。
怪物がその境界に触れた瞬間。
――弾かれた。
まるで、強化ガラスにぶつかったように。
一葉は目を見開く。
「……え?」
頭の奥で、声が笑う。
> はは。
少し感心したような響き。
> 初手音声入力で“局所位相固定”。
一拍。
> しかも半径指定。
そして、楽しそうに続ける。
> 君、ほんと厄介だね。
---
正門前。
石原は息を切らしながら、その光景を見ていた。
山形ロボが、動いた。
いや――動いていない。
機体は、その場から一歩も動いていないのに。
空間だけが、変わっていた。
怪物が、見えない壁に阻まれている。
境界に触れるたび、強化ガラスに叩きつけられたように弾かれる。
石原の喉が震えた。
「……張った、のか……」
局所位相固定。
山形ロボに備えられた、対怪異用の防御術式。
だが――
本来それは、操縦席からの入力がなければ発動しない。
石原は歯を食いしばる。
——無人のはずだった。
操縦者はいない。
今日の出動だって完全なイレギュラー。
何故か青柳にある山形ロボが目の前、
旅籠町にいる。
メインの操縦者だって別にいる。
なのに。
石原は、はっきりと確信した。
誰かが、座った。
視線が、正門へ向く。
さっきまでそこにいたはずの新人。
片桐一葉。
その姿が、もう見えない。
胸の奥が、締め付けられた。
「……乗れちまった、……か」
石原は小さく呟く。
「あたらなきゃ良かったんだ……」
この部署に、彼女を呼んだのは自分だった。
本来は、経理だけのつもりだった。
整備班の書類処理。
予算の帳簿。
備品管理。
それだけの、事務方の仕事。
あくまで名前だけの予備パイロット。
形式上の登録。
体裁を整えるための人事だった。
サブの立場。
それだけのはずだった。
石原は、ゆっくりと拳を握る。
「……すまん」
誰にも届かない声だった。
---
地下・指令室。
モニターに新しいログが走る。
《局所位相固定:発動》
《結界形成:意思入力》
若林が声を失う。
「……嘘でしょ」
児島は立ち上がっていた。
湯呑が机の上で、かたん、と鳴る。
「……命令じゃない」
「これ……“意思”よ」
波形が揺れる。
二十六年前のログと、重なる。
「……浮雲の、平輔の、最初の同期率とほぼ同じよ……?」
若林が息を呑む。
児島は目を閉じた。
——もう戻れない。
——でも。
目を開く。
「……それでも」
「……あの娘も、この世界を守る側に来ちゃったのね」
小さく呟く。
「……ごめん、綾。」
遠く、ここ10年は会っていない嘗ての仲間に呟く。
---
正門前。
怪物が吠える。
結界に亀裂が走る。
一葉の身体が、ぐらりと揺れた。
「……っ!」
> 無理しなくていいよ。
声が、どこかから囁く。
> ここからは君の仕事じゃない。
> 今日はただのテストさ。
> 君はただのピンチヒッターなんだ。
> そろそろ“本当の打者”が来る頃だよ。
一葉は、歯を食いしばった。
「……でも……私……見ました……」
震える声で続ける。
「これは……私の仕事です。」
拳を握る。
「公務員なんで!」
「市民、守らないと!」
一瞬。
声が黙った。
そして、わずかに冷たい響きが混じる。
> ……そう。
> 好きじゃないな。
> その言い方。
> あの人たちと、同じだ。
拳が上がる。
一葉は息を吸い込んだ。
「——七日町!」
声を張り上げる。
「ここで止めないと、住宅街に入る……!
もうすぐ帰宅ラッシュです!」
そのとき。
別の“音”が割り込んだ。
声というより、強い意志。
先ほどの声が、どこか楽しそうに言う。
> じゃあね。
その気配が、ふっとフェードアウトする。
――バチン!
何かが切断されるような音が、頭の奥で弾けた。
それまでまとわりついていた気配が、きれいに消える。
代わりに、低く落ち着いた意志が響いた。
> 落ち着け。惑わされるな。
> 可能なら、低出力で押し戻せ。
一拍。
> “月山おろし”だ。
一葉は思わず叫んだ。
「……今さら助言してくるの誰!?」
さらに続ける。
「あと“手刀”とか!!
技名が昭和すぎません!? ペンチみたいな手で!!」
だが。
なぜか理解できた。
やり方が、分かる。
山形ロボの前腕。
装甲板が展開する。
内部タービンが露出し、金属音を立てて回転する。
低く、重い振動。
まるで、山が鳴っているような響き。
冷却ガスが白く噴き出した。
一葉は、腹を括る。
「やればいいんでしょ!」
一拍。
息を吸う。
そして。
「——月山おろし!」
上段からの一閃。
その瞬間。
空間が、凍った。
怪物の身体は悲鳴を上げる間もなく、内部から冷気に侵される。
音もなく。
崩れ落ちるように、砕けた。
——静寂。
気づくと。
頭の中に響いていた声は、消えていた。
目の前には。
夕日に照らされた街並み。
七日町のビル群。
その中央に。
二十メートルの箱。
山形ロボが。
何事もなかったかのように。
余波で舞う冷気をまといながら、静かに立っていた。




