170 2026年5月23日(土)_08 反転する悪意
受肉した肉体ごと、
神格ごと、
因果ごと、
――“無かった”。
海は静まり返る。
誰もが、
それを
終わりだと思った。
そのとき。
声が落ちる。
「というのは困るんですよね」
空気が、
歪む。
そこに立っていた。
黒い翼。
仮面の、
黒い巨人。
その仮面の奥。
三つの眼が、
紅蓮のように燃えている。
「「「「え?」」」」
巨人は、
楽しそうに首を傾げる。
「――因果は“切断されなかった”。」
ゆっくりと、
手を上げる。
「エイホート、君の席は
“まだある”。」
指先が、
空間に触れる。
「眷属と迷宮は
世界に“蔓延る”。」
そして、
微笑む。
「君の参照先は――
“ここ”だ。」
世界が、
逆回転する。
巻き戻されるように。
消滅したはずの肉体が、
再構築される。
骨。
血。
皮膚。
形を取り戻したのは、
アフリカ系アメリカ人の青年の身体。
それは、
黒い巨人の掌の中に、
握られていた。
モニターの向こう。
浮雲が、
呆然とつぶやく。
「……え?」
次の瞬間。
巨人は動く。
山形ロボの前に、
もう立っていた。
その体格差。
大人と、
子供。
>一葉!逃げて!
>一葉!!
しかし。
一葉は加速の反動で意識が朦朧としていた。
視界が揺れる。
「あ……あ……
混沌……める……?」
息が漏れる。
「奈良……トオル……?」
巨人は、
愉快そうに笑う。
「へぇ。すごい。」
「その状況で
僕の在り様を認識できるんだ?」
ゆっくり、
拍手する。
「だとしたら――
片桐一葉さん。」
声が柔らかくなる。
「僕はね?」
「君の活躍に
心から感動した。」
「感涙した。」
「感銘を受けた。」
「感謝したい。」
ほんの少し、
間。
そして。
「でもね。」
紅い三眼が、
細くなる。
「君の狂気の正義は
ちょっと
目障りなんだ。」
軽く肩をすくめる。
「なので、
君にプレゼント。」
>まにあえ!
>局所位相固定再定義!
巨人は、
指を見つめる。
「本当はさ。」
「僕がこうするのって
ルール違反なんだよね。」
小さく笑う。
「フェアじゃない。」
「でもさ。」
ゆっくりと、
顔を上げる。
「ゲームマスターだって
円滑なゲーム進行のためなら
たまには
ズルしてもいいじゃない?」
「賽の目を
こっそり差し替えても
いいじゃない?」
そして。
優しく、
言う。
「だから。」
「お疲れ様。」
「片桐一葉。」
「狂った正義の味方さん。」
指が、鳴る。
―パチン。
その瞬間。
山形ロボの装甲に、
何かが現れる。
極薄の、刃。
四方八方から、
突き刺さる。
だが。
機構は避ける。
関節も、
炉も、
装甲も。
ただ一つ。
コックピットだけを
正確に
貫く。
悪意の刃。
通信回線が、
悲鳴で埋まる。
巨人は、
顔をしかめる。
「あー。」
「いやだいやだ。」
「本当に気分がよくない。」
「つまらない。」
「萎えるね。」
掌の中のエイホートを見下ろす。
「でもこれで……山形ロボは浮雲平輔しか動かせない。」
三つの紅い眼が、
ゆっくり細くなる。
「やっと
遊戯の本番だ。」
---
>道化よ。
>貴様の遊戯、これまでだ。
低く、重い声。
海域全体に拡声器を通して響き渡る。
“会議室”。
特級序列零位――
《虚》マスター・オブ・ケノーマ。
その声だった。
次の瞬間。
海域の空間が、
静かに歪む。
展開されるのは、
超高密度
多層位相制御フィールド。
世界各国に
オープンソースとして配布され、
無数に改変された結界術式。
その祖。
だが。
今、展開されているそれは――
芸術だった。
層。
層。
層。
幾何学的に重なる位相。
邪神すら欺き、
神格すら封じ込める。
完全隠蔽結界。
海域は、
世界から切り離される。
そして。
声が重なる。
「「「「虚空召喚」」」」
空間が裂ける。
黒い巨人を囲むように、
新たな戦鬼が現れる。
浮雲は
ドローン越しにそれを認識する。
思わず声が漏れる。
「……スヴァローグ!」
歩く城塞。
超重量級
砲撃機。
その装甲は、
都市防衛級。
次。
「ラ・ミラージュ!」
銀の軌跡。
精密な細工のような
細身のレイピア。
高速戦闘機体。
次。
「オグン!」
背中から展開する
四本のサブアーム。
合掌するような構え。
格闘特化機。
そして。
「アイゼンヘルツ!」
フレームが一部露出した
重装甲高機動白兵機。
重く、
静かに着地する。
浮雲と同じ存在。
ザ・ナイン。
二百万年。
幽世から人間世界を守る門番として
戦い続けてきた戦鬼たち。
オグンの召喚者。
ルーカス・ペレイラが言う。
「浮雲。待たせた。」
少し笑う。
「渡部さん経由でな。」
黒い巨人を見据える。
「ナイアルラトホテップ。
お前の動きに対するカウンターで二チーム合同だ。」
その横。
ラ・ミラージュの召喚者。
クレール・デュボワが
静かに続ける。
「私たちだけではございません。」
その時。
月光が消える。
海域の上空。
巨大な影。
現れたのは――
超弩級双胴飛行船。
“会議室本部”。
その船体に刻まれた
古代術式。
砲門が開く。
魔術を秘めた
巨大砲門。
すべてが、
黒い巨人へ照準される。
通信が入る。
>会議室円卓ナンバー1
>“伯爵”の命により
>ナイアルラトホテップ
>貴方に敵対いたします。
ほんの一瞬。
黒い巨人は、
沈黙する。
そして。
困ったように肩をすくめた。
「……C。」
小さく笑う。
「こういう手は」
「想像してなかったな。」
紅い三眼が細くなる。
「今日は、ここまでにしておくか。」
その身体が影へ溶ける。
消える。
完全に。
海域に、
静寂が戻る。
通信が飛ぶ。
>皆さん。
>山形機の回収を。
>パイロットの安否確認を!
浮雲は、
画面を見つめたまま動けなかった。




