001 三人のギャル
「ごめんね、若ちゃん」
「――っ!?」
少女が一言謝った。その直後、柊の顔面に衝撃が走る。
訳が分からない。突然の衝撃に思考が明滅する。
混乱の最中、鼻に痛みを覚える。
殴られた。それも、クラスメイトの少女に。
「ぁ……っ」
痛みを感じていると、鼻から何やら熱いものが流れ出る。それが鼻血である事に、どこか冷静な思考が気付かせる。
「はぁ……っ」
少女は鼻血を見て頬を上気させる。
どこか困惑したような、けれど、興奮したような様子で少女は柊を見る。
「ごめんね、若ちゃん」
少女はもう一度謝る。それが柊を殴った事に対してなのか、それともまた別の意味なのか、今の柊には分からなかった。ただ一つ分かる事と言えば、柊はまた面倒ごとに首を突っ込んでしまったという事だ。
〇 〇 〇
麗の騒動から早くも一週間が過ぎた。
最初は困惑の色があった麗のメイクも、今ではすっかり馴染みの光景になった。ただ、以前にも増して男子の視線が麗に向くようにはなった。
元々綺麗だった麗が更に綺麗になったのだ。思春期真っ盛りの男子が麗を意識してしまうのも仕方のない事だろう。
それに、麗は以前にも増して良く笑うようになった。それも、人の目を惹き付ける要因だ。魅力的な笑顔は、ついつい目で追ってしまうものだ。
「王子、今日も良い笑顔ね」
「ええ。可愛く、麗しく、格好良い。もう最高ね」
窓際で女子二人がうふふと微笑みながら麗を鑑賞している。
「王子、今までも十分綺麗だったのに、メイクするともっと綺麗だよねぇ」
「そうね。まぁ、今までがちょっとおかしかったのよ。年頃の女の子、それも王子みたいな人気者がメイクもしないなんて、ね」
「どことなく親目線なのウケる」
「ま、中学から知ってっし。なんだかんだクラスもずっと一緒だったし」
「そういえばそうだったねぇ」
「確かに。朱里だけクラス同じね」
「あ、そうだ! 若ちゃんってどこ中? 王子って若ちゃんの中学でも人気だった?」
唐突に、話の矛先を向けられる柊。
我関せずと座っていた柊だったが、どうやらそういう訳にはいかないらしかった。何せ、彼女達が話しているのは柊の席なのだから。
麗がメイクをして登校してから少しして、何故だか陽キャ女子三人組は柊の席でお昼を過ごし始めていた。
突然の事にびっくりして離席するタイミングを逃してしまったけれど、三人は特段柊を気にした様子も無くお昼ご飯を食べたりお喋りをしたりしているので、柊は三人を無視する事にしたのだ。無視と言うと態度が悪いかもしれないけれど、そもそも彼女達は柊にあまり声をかけたりしない。
つまり、無視と言うより気にしないようにしているだけなのだ。
が、何故か今日に限って一番喧しい女子が柊に声をかけてきた。
柊はスマホから一瞬視線を外して喧しい女子を見るけれど、直ぐに視線をスマホに戻す。
「内緒」
「え~なんで~?」
「言いたく無いから」
「ぶぅ~! けちんぼだぁ~!」
頬を膨らませて眉尻を吊り上げる喧しい女子。
「……ていうか、なんでお前等ここで食べてんの? 自分の席空いてるだろ」
三人の席はバラバラであるけれど、どの席も誰も座っていない。別段、柊の席で食べる理由が無い。
「分かって無いなぁ、若くんは」
「そーそ。窓際って日が当たるから温かいんだよ。私達の席は廊下側だから日が当たらなくてちょっと肌寒いのさ」
「ああ、そう……」
五月に入ったとはいえ、まだ少し肌寒い日もある。ようは、彼女達はただ暖を取るためにこの席を使っているだけなのだ。
「いや、それならここじゃなくて良くないか?」
「私達、窓際で仲良いの若ちゃんだけなんだよね」
「は?」
無表情ぎみの女子に仲が良いと言われ、思わず素で聞き返してしまう柊。
「え?」
驚いた様子で声を上げた柊を見て、三人はきょとんとした顔をする。
「……」
「……」
「……俺が、お前達と仲良し?」
少しの間を置いて柊がそう訊ねれば、三人は互いに顔を見合わせる。
「違うの?」
「いや、違うだろ……」
小首を傾げる喧しい女子に、柊は呆れた様子でそう答える。
「えぇ? 仲良しだよぉ。だってしろうーとくろうー取ってくれたし」
「あれは集られたから仕方なく取ったんだ」
「お喋りだってしたじゃんかぁ」
「最低限のな。俺はうんとかああとかしか言ってない気がする」
ゲームセンターに行ったあの日、基本的に喋っていたのはこの三人だ。声をかけられればうんとかああとか答えたけれど、自分から声をかけたりはしなかった。
それに、麗が落ち込んでいる時に三人に呼び出された時は少しだけ怖かった。あれで仲が良いとか言われても、柊的にはちょっと困る。
「このしろうーとくろうーは友情の証だと私は思ってるよ、若ちゃん」
「安い友情だな」
クレーンゲームで取った数千円のストラップを友情の証と言われても、正直ぴんと来ない。
「そもそも、俺はお前達の名前すら知らない」
「え!?」
「は!?」
「ま?」
声を上げて驚く二人と対照的に、無表情気味の少女はただ一言で確認を取ってくる。
「ま」
それに、柊もたった一言で返す。
「まじかぁ」
「え、もう一ヶ月も経ってるよ!? なのに憶えてないの!?」
「ああ」
「そんなしっかり頷かなくても!!」
「はぁ……ショック。私と若ちゃんの友情ってその程度だったのね……」
「そもそもまともに会話すらしてないだろ俺達……」
よよよと芝居がかった口調で言われても、まともに会話すらしていないのにお友達だなんて柊は思えない。そもそも、柊は高校生活で友人を必要としていない。麗というイレギュラーはあったけれど、それは友人関係というよりはただ利害が一致しているだけの関係に他ならない。
麗は可愛い物を着たいから柊の部屋を借りて、柊は麗の家庭教師としての力を当てにしている。少しの問題はあったものの、二人はただそれだけの関係なのだ。
未だに、柊に友人はいない。これからも作る予定も無い。
「じゃあじゃあ! 自己紹介! アタシは宇月咲綾! 改めてよろしくー!」
「私は倉持朱里ね。よろしく、若くん」
「久々利璃音」
喧しい女子が宇月咲綾。
常識人っぽい女子が倉持朱里。
無表情気味の少女が久々利璃音。
流石に自己紹介をされたにも関わらず憶えないのは相手にとって印象が悪いので、名前くらいは憶える事にする。
「……」
「……」
「……」
ジッと柊を見つめる三人。
「…………俺も一応言った方が良い?」
「もち」
嫌々ながらに訊ねれば、璃音が頷く。
「……若麻績柊」
「へぇ、若ちゃん下の名前柊って言うんだー。じゃあ若ちゃんじゃなくてしゅーちゃんって呼んで良い?」
「心の底から止めてくれ」
何が嬉しくてそんな可愛らしい名前で呼ばれなくちゃいけないんだ。若ちゃんでもだいぶ妥協をしているのだ。これ以上変な渾名で呼ばれたくはない。
「えー? 可愛いのにー」
「それが俺に合わないから嫌なんだよ……」
「そう? 若くん、可愛い顔してると思うけど」
「前髪が邪魔で顔なんて分からないだろうが」
ギャルゲーの主人公並みに前髪が長い。目元は完全に覆われているので、顔の全貌を見る事は難しい。たまにちらりと目が見えるけれど、それだけだ。
「顔面にボール当たった時に見えた」
「ぐっ……」
朱里の思いがけない一言に、思わず呻いてしまう。
あれはとても情けない姿だ。陽キャの皆様は顔面ボールって渾名を柊に付けているに違いないくらいには、情けない。
それに、その後に麗にお姫様抱っこされたのも苦い思い出だ。
できれば早急に忘れたいし、早急に皆の記憶から抹消したい。
「鼻血」
璃音がきゅっと自分の鼻を摘まむ。
「あれ痛そうだったよねぇ。でもでも! 麗様にお姫様抱っこしてもらったんだから、ぷらまいぜろって感じ?」
「そんな訳あるか。痛いものは痛いし、恥ずかしいものは恥ずかしいんだ」
「やっぱり恥ずかしかったんだ?」
「当り前だろ。お姫様抱っこだけでも目立つって言うのに、それをしたのがあの王子様なんだからな」
言って、柊は麗にちらりと視線を向ける。
麗は女子達と楽しそうにお喋りをしている――と思っていたけれど、そこに麗の姿は無かった。
まぁトイレにでも行ったのだろうと思い視線を前に戻せば、三人の視線が自身の頭上に向いている事に気付く。
何かあるのかと思い振り返ろうとしたその時、ぽんっと両肩に手が置かれる。
「私がどうかしたかい?」
柊の耳の直ぐ横から、涼やかな声が聞こえてきた。
「うおっ!?」
驚いて思わず声の方から遠ざかろうと身を捩れば、そこには見知った顔があった。
涼やかな表情。綺麗に整った目鼻。その顔は恐ろしいほど整っており、物語の王子様を思わせる程に麗しい。
佐倉麗は柊の顔を覗き込みながら薄く笑う。
「呼んだだろう?」
「呼んでないです……」
嫌そうな顔をしながら、柊は麗の手を引き剥がす。
「王子様って聞こえたけど?」
「気のせいだろ。ていうか……」
「うん?」
湿度のこもった目で麗を見るけれど、麗は悪びれた様子も無く笑みを浮かべる。
柊と麗の間では幾つか約束事がある。その内の一つが学校では話しかけないという約束だ。
麗は人気者だけれど、男子とはある程度一線を引いている。そんな麗と話をしていれば、自然と目立ってしまう。それが嫌なので、学校では極力話しかけないようにと言っていたのだ。
その約束を、まさか麗が忘れている訳も無いだろう。
分かっていて、あえて無視をしている。あるいは、何か別の狙いがあるかだ。
が、深読みするだけ無駄だろう。何せ、麗が何を考えているのか、柊にはさっぱり分からないのだから。
一つ溜息を吐いてから、柊はスマホに視線を向ける。相手が約束を無視するのであれば、柊も相手に付き合ってやる義理は無い。
「王子と若くんって、やっぱり仲良し?」
「まぁ、悪くは無いよ」
朱里の言葉に、麗は曖昧に答える。
言いながら、麗は別のところから椅子を引っ張ってきて柊の隣に座る。
「いつ仲良くなったの?」
「少し話す機会があってね。そこから」
「へ~。やっぱ若ちゃんと麗様仲良ぴなんじゃーん」
じっとーとした目で訴えてくるけれど、無視をする。利害関係が一致しているだけで、別段仲良しという訳では無いのだから。
咲綾の言葉を無視していると、すっと極自然な動作でスマホを麗に奪われる。
「あ?」
反意を持って麗を見やれば、麗はにこっと笑みを浮かべて返す。
「お話し中はスマホしまおうか」
言って、麗は何故か自分のスカートのポケットに柊のスマホをしまった。
「いや返せ」
「ダメ。こうしないと君、ずっとスマホ見てるだろう?」
「当り前だろ。俺が入る話題でも無いし」
「今は君に話を振ってただろう? ならちゃんと答えるべきだと私は思うな。だから、スマホは没収。さ、続きを話そうか」
にこやかながらも譲らないといった意思を感じるその言葉に、柊は早々に諦めた。
無視をしたのは柊が悪いし、何より女子のスカートのポケットに入っているスマホを奪い返す事なんて柊には出来ない。
そして何より、抗う事に使う労力が無駄である事を柊は知っている。害が無いなら流された方が良いだろう。
適当に相槌を打って時間まで流そうと思ったその時。
「あ、居た居た! 若麻績君!」
知らない女子の声で自分の名前を呼ばれた。
明らかに自分を呼んでいる事は明白だ。柊だけではなく、他の四人も声の方を向いているのだから。
思い当たる節は無いけれど、柊もとりあえずは声の方を見る。
「やほ! ちょっと良いかな?」
にこっと明るい笑顔を浮かべる女子。当然ながら、その女子に見覚えなどまったく無かった。




