019 さようなら平穏
突然の佐倉家への訪問から一夜明けた。
翌日も普通に学校はあって、いつも通り柊は登校した。
しかし、非常に行きたくなかった。
理由としては麗と会うのが気まずかったからだ。
麗がリビングを後にした後、柊は柊の言いたい事を言った。言わなければいけないと思った事を言った。けれど、それが余計なお世話だったのでは? と帰ってから思った。
返って麗の父親の反感を買って、麗が今以上に窮屈になるのではと急に不安になった。
明日、明らかに落ち込んだ様子で麗が登校して来たら柊は申し訳なさで押し潰されてしまう事だろう。
そう思うと、麗と顔を合わせるのが恐ろしかった。
また、余計な事をしたのではないかと、不安になったのだ。
いつもは適当に過ごしているホームルーム前の時間も、ただただスマホの画面を眺めるだけの時間になっている。指を動かして画面をスクロールさせるも、情報はまったく頭の中に入ってこない。
まんじりとしない時間を過ごしていると、不意に廊下側が騒がしい事に気付いた。
「え、嘘……」
「そんな、まさか……」
なんて、声が幾つも聞こえてくる。
何かあったのだろうかと気になりはしたけれど、今の柊には麗の事の方が気になっているので、特に見に行くなどと言った事はしなかった。そもそも、麗の事が無くても見に行ったりはしないけれど。
視線を廊下側から戻して、スマホの画面に視線を戻す。
「お、おはよう……」
が、丁度その時、待ち望んでいた声が耳に入った。
反射的に柊は教室のドアの方を見る。
そこには、案の定麗が立っていた。
普段であれば、皆麗に返事をするだろう。けれど、今日だけは違った。麗を見て、皆は言葉を失っていた。
そしてそれは柊も同じだった。
麗のたたずまいは変わらない。いや、いつもよりも自信なさげではあるものの、凛とした立ち姿に変わりはない。
変わっているのは、その顔だ。
一目見ただけで分かる。麗がメイクをしている事に。
ナチュラルメイクではあるけれど、いつもの麗と違うという事は皆分かった。
それが柊にとっての答えだった。麗が示す答えでもあった。
だから、柊は麗から視線を外した。心底、安堵しながら。
良かった……。
スマホの画面に視線を戻す。
話が進むにつれて薄々分かっていた事ではあるけれど、麗の王子様という姿は一つの承認欲求の結果だ。
可愛い服を着れない。可愛い物を持てない。
けれど、そんな麗でも周りの人は求めてくれている。周りの人にとって麗に可愛い物なんて必要が無かった。
だから、麗も必要無いと思おうとした。その結果が完全無欠の王子様だ。
王子様には可愛い物は必要無い。王子様でいる自分が認められるという事は、そのままの麗でいて良いと言う証なのだ。
皆の期待に応えたい。それはイコール今の自分が正しい事を自分に言い聞かせたいという事。
しかし、麗はメイクをした。それはつまり、皆の王子様でいる事を辞めるという事だ。
もう王子様でいる必要が無くなったという事だ。
それも含めて、良かったと思う。
これで本当に終わりだ。
麗のメイクに驚いてはいるけれど、周囲の反応は好意的なものだ。今も麗を囲んでやいのやいのと騒いでいる。
恥ずかしそうにしながらも、麗は嬉しそうに女子達と会話を楽しんでいる。そこには王子様然としたいつもの姿は無い。はたから見れば、彼女達は楽しそうにはしゃいでいる女子グループだ。
だから、もう柊は必要無い。
麗が柊に絡む事も無ければ、柊の家に来る事も無い。これからは、柊よりも頼れる人達が傍に居るのだから。
寂しくはない。あるべき形に戻っただけなのだから。
柊はまた平穏な日々を送るだろう。麗はまた楽しい日々を送るだろう。
その先に苦難があったとしても、それに柊が絡む事は無い。その先に柊はいない。
なにせ、もう必要が無いのだから。
戻って来た平穏に万歳。
肩の荷が下りたような感覚。
ああ、お帰り、平穏な日々。
「で、なんでお前が俺の家にいる訳?」
土曜日。惰眠を貪れる素晴らしい休日だ。
お昼まで盛大に寝こけて、欠伸混じりにリビングに降りてきたら楽しそうにお喋りをしている麗の姿が目に入った。
「ああ、若麻績。おはよう……って、そんな時間でも無いか。こんにちは」
「こんにちはじゃないが? なんでいるのかって聞いてんだよ」
「こら柊、そんな言い方無いでしょ? せっかく来てくれたんだから」
「別に呼んでないし……」
叔母の言葉に、柊は面倒くさそうな顔を隠しもしない。
今日はこの後ゲーム三昧の時間を送るのだ。何人たりとも邪魔をしてほしくない。
「で、なんでいるの?」
「ああ。また君にお願いがあって……」
「断る。もう俺なんて必要無いだろ。帰れ。叔母さん、塩撒いて、塩」
「扱い酷くないかい?! それに、前回の話の続きなんだ!」
「続き? 終わったんじゃ無いのか?」
続きと言われれば耳を傾けざるをえない。なにせ、その話には柊も一枚噛んでいるのだから。
ようやっと話を聞く気になった柊に、麗は言う。
「終わった譲歩の幅が広がったってところかな。過度に装飾の付いた服で外出は出来ないし、メイクだってナチュラルメイクじゃなくちゃダメなんだ」
「あら、もったいない。でも、麗ちゃんは綺麗だからナチュラルメイクの方が良いかもね」
「叔母さんは黙ってて。今大事な話してるんだから」
「むぅ……はぁい……」
無邪気に会話に交ざってくる叔母に冷たく言えば、叔母はいじけたように頬を膨らませる。
そんな二人に苦笑しながら、麗は続ける。
「ただ、ある程度は自由にさせてもらえるようにはなったんだ。知っての通りメイクをして学校にも行けるし、今日だって、ほら!」
言って、麗は立ち上がる。
薄々気付いていたけれど、麗はスカートを履いていた。それも、ひらひらと可愛らしいデザインのスカートだ。
しかし、可愛らしいだけではなく、それがきちんとファッションとして成立している。
くるりと一回転してドヤ顔をする麗。
「かわいいー!」
くるりと回った麗に叔母が手をぱちぱちと叩いて褒め称える。
流石に照れ臭かったのか、麗は頬を赤くしてありがとうございますとお礼を言う。
「こうして、外でもこういう恰好をする事が出来るようになった」
「そいつは何よりで」
「本当はスカートとかももっと地味なのしかダメだったんだけど、母さんが父さんに口添えしてくれたみたいでね。こうして可愛いスカートを履くことが出来るようになったんだ」
「へぇ、そうなのか」
なんて言いながらもある程度は予想が出来ていた。
麗は家族と動物園や猫カフェに行ったと言っていた。
動物園であればまだ分かる。けれど、猫カフェともなれば麗の父親はおそらく許しはしないだろう。何せ、そういう女子が行きそうな場所だからだ。
そこに行ったという事は、麗の母親が気を利かせた可能性がある。
まあこれも憶測だ。しかし、あながち間違いではないだろうと思い、あの日最後の最後に駄目押しをしたのだ。
あの場には麗の母親もいたから、女の子としての身の護り方を教えた方が良いという提言には麗の父親よりも麗の母親の方が反応してくれそうだった。何せ、麗と同じ女性なのだから。その危うさは、同性ならば思い当たる節があるだろう。
麗の母親が麗の都合の良いように動いてくれるように、柊は言葉を残していった。
それが功を奏したのかは知らない。ともあれ、麗にとって都合の良いように転んだのであれば経過なんてどうでも良い。大事なのは、結果なのだから。
「まぁ、あんまり派手なのがダメなのは残念だけど……」
「外出する分にはそれで充分だろ」
「そうだけど、もっと可愛い服を着たいと言うか……」
「なら家で着れば良いだけだろ? その恰好で外に出られるんだから、家だけならそういう恰好も許してくれるんじゃないの?」
幾らか寛容になったのであれば、家だけであればゴスロリを着ていても許してくれそうなものだ。まぁ、麗の父親がどこまでを許可したのかは知らないけれど。
「ちっちっちっ! 分かって無いなぁ柊は」
得意げに言って、叔母は柊の肩に腕を回す。
「何が?」
得意げな叔母にイラっとしながらも、柊は叔母の意見を聞く。
「女の子はね、誰かに見て貰って可愛いって言ってもらいたい生き物なのだよ」
「かわいー。ほら言ってやったぞ。帰れ」
「そうじゃないだろ! このっ! お前はどーしてそんなにひねくれちまったんだい!」
呆れたように、怒ったように、叔母は柊の頭をわしわしと乱暴になでくりまわす。
「や、止めろって! ええい鬱陶しい!」
必死に叔母を引き剥がす柊。
二人のやり取りに苦笑しながら、麗は続ける。
「家でも着て良いって許可は出たよ。でも、やっぱり外でも着たいなって思って……」
「は、なしが……見えてこない! ちょっ、ま……! 簡潔に、頼む……!」
秋子と格闘をしながら言えば、麗は一度躊躇うような仕草を見せた後、意を決したように言う。
「また、君の部屋を借りたいんだ。君の部屋でならああいう服を着ても良いって、父さんから許可も貰った!」
「はぁ!? いや、はぁ!?!?」
驚きのあまり思わず麗を二度見してしまう。
「な、なんでそうなる!? 普通友達の家でならって話になるだろ!?」
「私もそう思ったんだが、よくよく考えたら私の友人はあの姿を知らない。それに、私はまだ王子様の皮を被っていたいんだ」
「はぁっ!? いや、じゃあなんで学校にメイクして行ったんだよ! あれじゃあ王子なんて出来ないだろ!?」
「友達は変わらず私を王子だと言ってくれているから、問題無いだろう。それに、メイクをしたら麗しさが増したと言ってくれた。つまり、可愛いから遠ざかっているわけだ」
「答えになってない! 王子を続けられそうだから続けるのか!? 可愛い服を公然と着たいから頑張ったんじゃ無かったのか!?」
「さすがに私が急にそういう方向に行ったら皆も困惑するだろう。私だって気恥ずかしいしな。だから、周囲にはゆっくりと慣らしていく事に決めたんだ。ゆっくりと、時間をかけて浸透させていこうと思う」
「だから、答えになって無いっての! それと王子を続けることの因果関係は!? それなら王子をやる必要なんて無いだろうが!」
「む、そ、それは……」
柊の言葉に、麗は困ったような表情で言い淀む。
が、むすっとした顔を浮かべて言う。
「お、乙女の秘密だ! 詮索不要! 王子を続けるったら続けるんだ! それに、王子を止めたいなんて私は今まで一言も言ってないからな!」
「なんっじゃそりゃぁ……」
逆ギレしながら言う麗に柊は思わず呆れてしまう。
メイクをして、可愛い服も着れて、王子だって止める理由が出来た。
それなのに、王子を止めないと麗は言う。
なんだそりゃとなっても不思議では無いけれど、確かに王子を止めたいとは一言も言っていない。王子という姿が承認欲求による結果だと柊が勝手に憶測を付けただけである。
「――! はっはーん、なるほどねぇ」
わけわかめ。なんて思っている柊とは対照的に、秋子はにやりといやらしい笑みを浮かべる。
にっひっひと笑ってぽんぽんっと麗の肩を叩く。
「叔母さんは麗ちゃんを応援するからね。何かあったら私に言いなさいな。協力してあげるからさ」
「――っ」
秋子に言われた途端、麗の顔は茹蛸のように真っ赤になった。
「な、な、な!」
「だいじょーぶだいじょーぶ! 私、口は堅いから! 誰にも言いふらしたりはしないよ!」
「ち、違っ、別にそんなんじゃ!」
「あー分かってる分かってる。みなまで言わないで。いやぁ、それにしても、ねぇ……」
「違いますから! ほ、本当に違いますから!」
「おほほほほっ! そうね、違うわねぇ」
何やら麗の何かを分かった様子の秋子。
しかし、柊は何のことやらさっぱり分からない。
わたわたと顔を真っ赤にして秋子に訴える麗と、それを年の功をばりばりに利用してのらりくらりと躱す秋子。
本当に、もう何が何やら……。
そうは思うけれど、一つだけはっきりしている事がある。
「柊の部屋なら存分に貸すわよ~! それはもうお好きなだけね~!」
「うぅ~~! わ、若麻績、助けてくれぇ……!」
涙目になりながら柊に助けを求める麗。楽しそうに高笑いをする秋子。
どうやら、麗との関係がまだまだ続きそうだという事は、はっきりと分かっていた。
「その人は俺の手に余るから、自分で何とかしてくれ」
だから、今だけはゆっくりしよう。秋子の矛先が麗に向いている内に。
「う、裏切者ぉ!」
麗の恨み言を背中に受けながら、柊は自室へと向かう。
どうやら、柊の平穏はもう終わりのようである。
「さよなら平穏。また会おうぜ……」
嘆きながら階段を上る。リビングからは、麗と秋子の声が絶え間なく聞こえてきていた。




