018 女の子として
「私が可愛い服を着たり、ぬいぐるみを買う事を許してください」
率直に、実直に、麗は言った。
ぎゅっと、柊の腕を掴んだ手に力が入る。
「ダメだ」
「――っ。どうして?!」
「麗には必要無いからだ」
冷たく、麗の父親は言い放つ。けれど、そこに突き放すような冷たさは無く、あくまで自分の意見を変えないという確固とした意志を示す冷たさだった。
譲れない。言葉に出さなくとも、声音だけでそれは伝わる。
しかし、だからこそ柊はそこに違和感を覚えた。
「必要だよ! じゃなきゃ二人に黙ってこんな事しなかった!」
「いや、必要無い。麗、今までだって苦労はしなかっただろう? 可愛い服を着なくて何か不便があったか? ぬいぐるみが無くて不便だったか?」
「そ、れは……」
「無いだろう? 麗は可愛い服以外も似合ってる。ぬいぐるみだってただ飾るだけだろう? なら、あっても無くても同じだ」
不便が無いから必要が無い。確かに、それは正論だ。事実、麗も可愛い服やぬいぐるみが無くても生きていけた。特に不自由はしてこなかった。
「……そうだな。だが、私も行きすぎていた。ドラマや漫画は解禁しよう。流石に、友達と話が合わないのは不便だろうしな」
「違っ、私は可愛い服とかが――」
「それが私に出来る最大限の譲歩だ。麗、もう一度言う。麗にはそういうものは必要無い」
譲る気が無い、強い眼差しに麗は怯む。
柊の腕を掴んでいる手に更に力が籠る。
「なんで……? なんでダメなの? 必要だよ。必要だからこうして頼んでるんだよ!」
「ダメなものはダメだ。麗、あまり私を困らせないでくれ」
「じゃあ理由を説明してよ! いつもそうやってはぐらかして……もうそれじゃ納得できないよ!!」
ぎゅっと力いっぱい柊の腕を握る。
痛い痛い痛い痛い――
痛みに耐えながら、柊は話しの行く末を見守る。
早く終わってくれ、俺の腕が折れる前に……!!
しかし、柊の願いとは裏腹に、麗の言葉に父親は言いよどむような様子を見せる。その視線は、麗ではなく柊を見据えている。
それで柊は理解する。恐らくは、身内には話せても部外者である柊には話せない内容なのだろう。
麗が可愛い物を所持できない理由で話しづらい事と言えば完全に親馬鹿な理由なのだろうとあたりを付けながら、柊はすっと握られていない方の手を上げる。
「あの、俺は席を外しましょうか?」
「ダメ。隣にいる約束」
柊は麗の父親を見て提案をしたけれど、麗の父親ではなく麗の方から却下の言葉が入る。
「さいですか……」
柊のポジションは麗サイド。父親の肩を持つ事は許されないらしい。
柊としては一刻も早くこの気まずい空間から逃げ出したいのだけれど、どうやらまだ逃げられないらしい。
青白くなってきた手を眺めながら、手は無事に解放されるのかが心配になってくる柊。
「他人が居たら話せない? そんなに大層な理由なの?」
珍しく攻撃的な麗の言葉。
現状を変えたいのであれば、多少の親子喧嘩に発展する事は覚悟の上なのだろう。
それほどまでに、麗は現状に耐えかねているのだ。
「……君は、口は堅い方か?」
「は――」
「若麻績は私以外の友達いないから誰にも話す事は無いよ」
柊が返事をする前に麗が答える。失礼な上に事実を改変されている。柊の友達はただ一人だけであり、それは麗の事では無い。
ていうか、随分な物言いだな本当に……。
間違いを指摘してしまえば話は進まなくなる。
気を取り直して、柊はこくりと頷く。
それで覚悟を決めたのだろう。麗の父親は一つ息を吐いてから語り出した。
「身内の恥をさらす話だ。出来れば、家族以外の前ではしたくなかったが……致し方あるまい。麗、私に姉がいる事は知っているな?」
「うん。会った事は無いけど……」
「すでに実家とも絶縁状態だ。まぁ、当然と言えば当然なのだがな……」
懐古するように、麗の父親は一度目を閉じる。
「姉は奔放な性格だった。女子らしくおしゃれをして、女子らしく男子と付き合ったりもしていた。とにかく明るくて、ひたすらに適当な人だった。だから、高校生の姉に子供が出来たと聞いても、私は妙に納得したよ」
声に侮蔑の色は無い。ただ昔を懐かしんで、ただ思いを馳せている。
表情に険も無ければ、堅さも無い。
「適当で奔放な人だったが、責任感は人一倍強かった。姉なりに、ルールがあったのだろうと今になれば分かるが、当時中学生だった私には意地を張っているようにしか見えなかった。姉は中絶はせずに、子供を産むと言った。そして、自分で育てると……まだ高校生の子供が、そう言ったんだ。むろん、周りは反対した。けれど、姉は頑なだった」
ちらりと麗を見やれば、先程までの勢いはなりを潜め、今はただ困惑したような表情を浮かべていた。
ああ、ダメだな、こりゃ。
素直に、そう思った。
「姉は子供を産んで家を出て行った。高校も中退。相手の男はそこまでの覚悟が無かったから、姉についていく事はしなかった。当然だ。まだ高校生だ。結婚なんて考える年でも無いし、ましてや子供を産んで親になるなんて考える訳が無い。その重責に逃げたくなるのも当然だ」
ここまで話しを聞けば、柊にだって結末は分かる。
どうして麗の父親がここまで頑ななのか。それが分からない程、察しは悪く無い。
「女手一人で子供を育てるのは大変だ。ましてや中卒であり未成年だ。その苦労は……今は語るべきではないな。ただ、お前が思っている以上に大変なものだった。姉にとっても、両親にとってもな。私は、そんな苦労を間近で見てきた」
麗の父親の表情は柔らかい。
それは、ただ娘を案じる父親の表情だ。
「だからな。私は麗にそんな苦労をしてほしくない。遠ざけたいと思うのは私のエゴだ。それを麗は許さなくて良い。理解だってしなくて良い。けど、私も譲れない。大人になるまで、麗が一人立ち出来るまで、それは我慢してくれ。頼む」
言って、麗の父親は頭を下げた。
今まで麗にとって不透明だったルールを、麗は今直視する事になった。
麗にとってはあまりにも理不尽で、けれど、麗の父親にとっては子供を護りたい一心で作られたルール。
姉の二の舞になってほしくない。だからこそ、そういう事から少しでも遠ざける。
柊は親の気持ちは分からない。何せ、子供が居ないから。
けれど、麗の父親がただ麗を押さえつけたいがためにそんな事を強いている訳ではない事はちゃんと理解できた。
柊が理解できたのだ。麗が理解できない訳がない。
隣に座る麗を見やれば、麗はなんとも言えない顔をしていた。
「……わ、私は……父さんのお姉さんじゃないよ……」
「分かってる。だから私のエゴなんだ」
「彼氏だって居ないし、男の友達だって若麻績だけだよ……」
「それも分かってる」
「…………それでも、ダメなの……?」
「ああ」
静かに、けれど、確かに頷く。
麗の父親は怖いのだ。姉と同じような苦労を麗にしてほしくない。その苦労を見てきたからこそ、同じような道に進んでほしくないのだ。
「そ、れじゃあ……私は……どうしたら良いの……?」
気付けば、麗は涙を流していた。
麗の父親の苦労を知った。その心労も知った。
知ったからこそ、父親を思えばこそ、もう強く出る事は出来なかった。
親の許しを得るという目的が、いつの間にか親から許しを得るという目的に変わってしまっていた。
その時点で、麗はもうこの話し合いに負けている。
嗚咽をこぼしながら、麗は立ち上がる。
そして、ふらふらとした足取りでリビングを後にした。
麗から離された手がじんじんと激しく脈打つ。痺れていて少し触れただけで形容しがたいくすぐったさに襲われる。
麗が出て行った後、麗の父親はゆっくりと頭を上げた。そして、申し訳なさそうな顔で柊を見る。
「若麻績君と言ったかな?」
「あ、はい」
「すまなかったね。聞きたくも無い家事情を話してしまって。それと、こんな事に巻き込んでしまって」
「いえ……」
「もう良い時間だ。家まで私が送って行こう」
「いえ。大丈夫です」
流石にクラスメイトの女子の父親に送ってもらうのは気まずい。それも、こんな事があった後では気まずさもひとしおだろう。
柊の役目は終わった。だから、柊がこのままここに留まる理由は無い。
それが分かっているのに、柊は立ち上がる事が出来ない。
少し前まであんなにも帰りたかったのに、今はまったく違った。
何せ、言う事が出来た。出来てしまった。これだけは、絶対に言わなければいけない。
「……一つ、良いですか?」
「なにかね?」
「お父さんの――」
「誰がお義父さんかね?」
ニュアンスが違うんだよ分かってくれよ。
「……佐倉さんのお姉さんは、女の子として間違えました。そういう事をする事を否定はしません。世のカップルがどれだけそういう事をしているのか知りませんが、一定以上は居るはずですから」
他人の愛しあいを否定をするつもりは無い。
愛し合う事をくだらないと思っている柊には否定する権利なんて無い。だって、価値観が違うのだから。それが柊にとってはくだらなくとも、他人にとってはくだらなくないことかもしれない。
だから、否定はしない。
けど、あんたのルールは否定してやる。
「佐倉さんのお姉さんは女の子として間違えました。まだ年を考えて、ちゃんと対策をするか、まだ待つべきだった。それは、誰がどう言おうと間違えです」
はっきりと、麗の父親の目を見て柊は言う。
「だからこそ、佐倉さんには女の子として正しい道を進ませるべきなんじゃ無いですか? 驚きましたよ。あんなに綺麗なのにメイクも知らないなんて。周りがメイクをしているだけに、佐倉さんがメイクをしていないのが意外で仕方が無かった」
女子全員がメイクをしている訳では無いだろう。そういうのに興味が無い人だって居る。
社会人になればマナーとしてメイクをするけれど、まだ高校生だ。しない人が居たっておかしくはない。
けど、メイクをしている人達の中でメイクをしていないと言う人が居るのはあまりにも違和感が在り過ぎる。
「どうか、佐倉さんから女の子である自分を遠ざけないでください。佐倉さん言ってました。一時で良いから普通の女の子になりたいって。女の子になりたいだなんて、娘さんに一番言わせちゃいけない言葉なんじゃ無いですか?」
「――っ!!」
そこまで言って、柊は立ち上がる。
驚いたような、そんな顔をしている麗の父親。
最後まで一言も発しなかった麗の母親。
言うべきことは言った。後は、彼女の行動に賭けるしかない。
……いや、少しダメ押しをしておこうか。
「そうそう。佐倉さん、今のままでも十分にお綺麗ですから、男子共が言い寄ってくるのも時間の問題だと思いますよ」
「なっ!?」
「なので、女の子としての身の護り方とか、教えた方が良いと思います。今の彼女、結構無防備ですから。それでは」
早口に言って、柊はすたこらさっさと佐倉家を後にする。
無防備かどうかは知らない。そこは適当に言った。けれど、男子が言い寄る云々はあながち間違いでも無いと思っている。
王子という仮面に惑わされがちだが、麗は顔の整った少女だ。そんな相手を青春に飢えた男子共が見逃すとは到底思えない。
女子としての身の護り方は知っておくべきだろう。なんて愚考してみた訳だ。
「後は野となれ山となれ……は、無責任だよな」
そうこぼして、柊は帰路を辿った。




