2. キンジ
「キンジ、聞きたいことがたくさんあるけど、この対話方法はちょっとキツい」
『どの辺が?』
「何かね、自分のなかの他の人格と会話してるみたいな? 多重人格的な」
このやり取り、頭がおかしくなりそう……。
『あー、そんな感じかもね。だってあなた、言葉が通じないんだもん』
「こうやって話してるじゃん……」
『あたしは意思を伝えてるだけ。あなたの脳みそががんばって翻訳してるの。それで別の人格との対話風になってるのかな』
「何とかならない?」
『できるかどうかで言えばできるかな』
「やって。お願い」
自分に話しかけて自分が答える。この奇妙な感覚にもう耐えられそうにない。
『ちょっと脳に負荷をかけるわよ』
頭のなかに猫の映像が現れた。白い子猫だ。
連想ゲームのように、動物、ペット、哺乳、小さい、ニャー、液体、和解。概念が現れては消えていく。
概念の奔流に圧倒される。
あ、これ、LLMのトークンみたいだ。学校で習った覚えがある。
キンジは僕の脳を使ってLLMを構築しようとしている?
今はディープラーニングの最中か。脳が焼けつくようにオーバーヒートしている感覚は妄想だろうか。
『あなたの体は仮想体みたいなものだから。もし焼けたとしてもそのまま稼働するから大丈夫。かな? きっと。たぶん』
キンジが滅茶苦茶なことを言っている。
しかし連想の連鎖で幾何級数的に膨れ上がる概念群を追っている今、文句を言う余裕すら無い。
ただただ耐えるのみだ。
どれほど時間が経っただろうか。連鎖が止まった。
「ふう。終わった?」
『あとは識閾下で勝手に進むわよ。あなたの知識を参考にしたけど適当すぎよ。あたしがきちんと修正しといたわ』
「はあ、それはどうも……」
『それと今後はアタラ大佐に変な質問をしないでね』
「うん、ごめん。何も考えないで質問してた。夢だと思っていたし」
『大佐も不審に感じたようだけど、壬皇の不安定さには定評があるから、今のところは大丈夫』
「それで、この『自己との対話』風インターフェースはいつまで続くの……」
『そろそろいけるかな。よっと』
キンジの掛け声とともに視界正面にウィンドウがポップした。
「おお」
これはまさにアジャイルクラフトの通信ウィンドウ。キンジが僕の記憶から引っ張ってきたのか。
『じゃーん。初めまして、フラッシュ・バーンズ』
唐突にデフォルメされたウナギの顔がウィンドウに表示される。
「ウナギ?」
『今日はウナギの気分だったから。美味しいよねウナギ』
これはアバターか……。
僕もレーシングカレッジネットのアバターが海老だったから何も言えない。
海老のアバターを選んだのも「今日は海老が食べたい気分だな……」だった気がする。
何はともあれ他人と会話ができるのはいい。さっきまでとは全然違う。
「ありがとう、キンジ。ずっと楽になった」
『それで、あたしに聞きたいことがあるんでしょ?』
「あんた何者なの? 僕はなんでここにいるの?」
『あたしの正体はあとで見せるわ。あなたはたぶん第七次元からの来訪者ね。つまりあなたが見ている夢がこの世界よ』
??? 意味不明すぎる。
「やっぱり夢か……」
『あなたには夢だけど、あたしたちには現実。それでいいじゃない。細かい男はモテないわよ』
「別にモテなくてもいいし……」
『もう……。ふてくされてないで外に出るわよ』
「ここからどうやって出るの。アタラ大佐は壁を通り抜けてたみたいに見えたけど」
『壁じゃないわよ。そうね、立体映像みたいな感じ?』
「なるほど。どっちに向かえばいい?」
『どっちでも。外に出たら分かるわ』
とりあえず床に降りるか。ふわふわと宙に浮かんでいるようだし。
おっ、これは楽だ。床に降りようと思ったら床に立っていた。
これはアレだな。アクションゲームの移動みたいなものか。
もう一度上昇、ゆっくりと水平に回転してみる。
思ったとおりに動くな。よし、アタラ大佐が立ち去った方向に向かうか。
ふよふよと宙を飛び、アタラ大佐が消えた壁にたどり着く。
壁に手を伸ばすと素通りした。
「なるほど……」
確かに何かに触れた感触は無い。通り抜けられそう。
ごく薄い白い壁を通り抜けると広場のような場所に出た。
宇宙エレベーター静止軌道ステーションの中央広場みたいな感じ。
後ろを振り返ると、ステーションではテザーを通す噴水池がある場所に四角い立方体が鎮座していた。
見上げると透明なドームに宇宙の星々が広がる。これもステーションと同じだ。
『こっちよ』
方向を指示する矢印が表示される。
これもアジャイルクラフトのバーチャル表示と同じ仕様だ。アビオニクスを再現したのかな。
指示される方向にふよふよと進む。人の気配は無い。
「ふーん、結構寂しいところなんだね」
『ここは中枢構造体セガンタよ。許可のある者以外は立ち入れないの』
「なるほど分からん」
『それにしても……。思索の間を出たらやっぱり揺らぐわね』
「揺らぐ?」
『思索の間は強力な次元障壁に守られてるの。そこを離れると第七次元からの影響が出るのよ。構築率七十パーセントだし』
「僕、そんなに揺らいでる?」
『揺れてる。超揺れてる。ウケるんですけど!』
そう言いながら僕の姿が映っている映像をウィンドウに流す。
確かに揺らいでいる。体の輪郭が曖昧というか波打つように形を変えている。
「これ、大丈夫なの?」
『平気平気、ゆらゆらしてるだけ。知らんけど……』
最後にボソっとつぶやいた言葉が気になる……。
他愛のない会話をしながら進んでいくと広場の終端が見えてきた。
立ち上がる壁に無数の幾何学的な穴が開いている。これはまるでタフォニだ。穴はかなり奥まで続いているようだ。
矢印が上を示す。指示に従って上昇する。
ちらりと僕の姿が映っているウィンドウを見ると羽ばたいていない。
この羽は飾りなんですね分かります。
上昇を続けると徐々に矢印が倒れていき、やがて正面を指す。
ほのかな壁面照明に照らされた穴を進んでいくと、白い両開きの扉の前に着いた。通路の終点だ。
「どうやって開けるの?」
『扉の前に立つと開くわよ』
指示どおり扉の前に降り立つ。扉がゆっくりと開き室内の様子が見えてくる。
思索の間よりは狭い立方体の部屋だ。壁も床も天井も真っ白。
部屋の中央に直方体の水槽?
ちゃぷんと水音が響き黒っぽい何かが水槽から現れる。
「フィー」と鳴いている。
一メートル半ほどのぬめぬめした質感の「何か」。
記録映像でしか見たことがない、オオサンショウウオそっくりの生き物がそこにいた。




