第98話 はるまと本物の恐怖
「ブフォッ!ゴホ!ゴホ!」
俺は水を吐き出しながら目を覚ます。
「ガハッ!ガハッ!」
見ると少女は手のひらから、ゆうなちゃんの口に水を流し込んでいた。
「何してるの!」
少女がびくりと肩を震わせる。
「あ、あの、あ」
いきなり呼吸を奪われて殺されるかと思ったが、
よく考えたら水を飲ませようとしてたのか?
いきなり怒ったら駄目だった…
「ごめん。驚いただけだよ」
「ごめ、ん…なさい」
「水を飲ませようとしてくれてたの?」
少女は黙ってうなずいた。
「ゴハッ!ウヘッ!エヘッ!
なにこれ!」
ゆうなちゃんも起きた。
まあ手のひらの水を入れたぐらいなら、特に問題ないだろう。
「なぜ?水を飲ませようと?」
「寝てると喉が渇くから…」
「何故俺達に?」
「たす…けて…くれた…から…」
「そうか。ありがとうね。
君は大丈夫なの?」
「私は…少し…大丈夫」
「よかった!話せるようになったんだね!」
「少し…」
ひとまず落ち着いた俺は周りを見渡すと、
こちらを伺う狼の群れを見つけた。
腹も減ってるし、とりあえず腹ごしらえをするか。
「よし!」
狙いを定めた俺は、一匹の狼に向かって一気に駆け出す。
狼が逃げ出すより早く剣を振ると、次の瞬間には一匹の狼が地面に倒れていた。
恐竜に泣き虫と言われてた頃の俺なら、数回は逃がしてただろうな。
「はるま君、どんどん凄くなるね~」
ゆうなちゃんにそう言われて俺は嬉しくなった。
火を起こし、肉を剥ぐ。
焼け具合を確かめようとした瞬間、
ゆうなちゃんが先に別の肉をかじった。
「まだ良いって言ってないのに…」
「大丈夫大丈夫!
パパが肉はちょっと生の方がおいしいって言ってたし」
「ゆうなちゃんが父さんの真似したら、腹壊すって母さんにいつも怒られてたろ」
「はるま君が肉が固くて嚙み切れないって泣いてた頃の話ね」
「もう良いよ!」
そんな話をしてる間も、少女はじっと焼ける肉を見ていた。
「食べる?」
差し出された肉を、少女はおびえながら受け取る。
一口食べると、夢中で食べ始めたが、
いのししに噛り付いていた時の狂気は感じなかった。
腹は減ってるけど、食わないといけないじゃなくて、食いたいから食ってる感じだ。
起きてから少女はゆうなちゃんの横にピッタリくっついてる。
ゆうなちゃんが懐かれたのか…良い雰囲気だ。
「さて、どうしようかな」
肉を食い終わると、本当の問題に直面する。
情報をくれる人もいない、考えて方向を示してくれる人もいない。
感覚で走るゆうなちゃんじゃなくて、俺が考える場面だ。
「おうちはどこなの?」
「あっち」
ゆうなちゃんに聞かれて、少女が森を指さす。
いや、違う。
俺が考えないとって決意を…決意を…
「家族はいるの?」
「家族?」
「お父さんとかお母さんとか」
「おとうさん…おかあさん…わからない」
親がどこにいるかわからないって意味なのか、
親という概念がわからないのか…
生まれた瞬間から家族ではなく、個人になる種族とかなのかもしれない。
「なら、家には誰かいるの?」
「いる…」
「何人ぐらいいるの?」
「たくさん」
そう言いながら少女は両手を出す。
十本指の十なのか、沢山の意味で手を広げてるだけなのか…
ここまで話してた感じだと、言葉が全然通じないって感じじゃない。
「とりあえず、君の家に行ってみたいな」
「わかった」
「ちょっと待って!その前に名前は?私はゆうなって言うの」
ああ、そういえば名前なんて気にしてなかったな。
「俺ははるま!」
「名前…無い」
名前が…無い?
元々親がいないか名前を付ける前に捨てられた?
「名前が無いの?へん」
「ゆうなちゃん駄目!どんな事情があるかもわからないのに」
「そ、そうだね。ごめん」
「へん?」
「そんなことないよ!ごめん!」
ゆうなちゃんは人一倍優しいくせに、こういう配慮が無い時がある。
父さんや母さんが一番心配してた部分だった。
「まあ、とりあえず腹も膨れたし行こうか。
君の家に案内してくれるかい?」
少女は何も言わずに、ゆうなちゃんの手を引いて歩き出した。
本当にゆうなちゃんに懐いたんだな。
森の前にたどり着いた俺は、異様な気配に冷や汗が噴き出す。
「なんだ…これ」
この感じ、アリシアさんと初めて会ったあの森だ。
何かいる…アリシアさんレベルの奴だ。
「入りたくない…」
ゆうなちゃんがつぶやく。
アリシアさんすら恐れない、能天気なゆうなちゃんが恐れてる。
「何がいるんだ…」
アリシアさんが敵だったらと思うだけで背筋が凍る。
初めて会ったあの時の圧が、記憶が蘇る。
シグルズの剣技もある。
マーリンの魔法技術もある。
色んな世界を渡り歩いて俺自身も強くなった。
でも…絶対に届かない圧倒的な恐怖。
少女が不思議そうな顔で、
立ち止まるゆうなちゃんを見てる。
この子はこのプレッシャーが感じないんだろうか。
きっと最初の頃の俺だったら、普通に森に入れただろう。
それはきっと、俺がアリシアさんの本当の強さを感じられないほど弱かったからだ。
父さんの言葉が耳に響いた。
「熟練者にならないと、本物の技はわからないよ。
だから何かをしたいなら本物がわかるようになるまでやりぬきなさい。」
たぶん強者にしか強者の強さはわからないってことだったんだ。
強くなった分、自分が弱くなったとさえ感じる。
父さん、やりぬいたせいで俺は一歩が踏み出せなくなったよ。
弱いままの方が良かったと今ほど感じたことはない。
涙が零れて膝が泣く…逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい。
「行こう!」
無理だとばかり嘆く俺を尻目に、ゆうなちゃんが一歩踏み出した。
何をやってるんだ俺は!
ゆうなちゃんに先陣斬らせてたまるか。
「ああああ!もう!」
震える足を押さえて、俺は一歩を踏み出した。
汗が止まらない。
木をかき分け少女の示すとおりに俺が前を進む。
視界が開ける度に、アリシアさんの姿が見える気がした。
ガサガサッ
草をかき分ける音がする。
何かが来る…
「シッ!」
二人に声を出さないように指示する。
冷や汗が落ちる音が聞こえた気がした。
枝が揺れ、ガサっと音を立てて木々の隙間から人影が見える。
少女と同じような背格好の男の子が顔を見せる。
安堵のため息をつく。
でも次の瞬間、その安堵が浅はかだったと思い知らされた。
男の子がこちらを確認した瞬間に襲い掛かってきた。
「ちょっと待って!」
俺が叫ぶが早いか、男の子の歯が俺の腕に食らいつく。
「痛って~!痛いって!」
振りほどくと、今度はゆうなちゃんへ飛び掛かった。
俺は再び手を伸ばし、ゆうなちゃんとの間に割って入る。
「がああ!痛って~!」
俺は、また噛まれた。
必死で耐えるが、何故だろう…
少女と同じ状態だからだろうか、この男の子を傷付ける気になれない。
力づくで引き離すが、凄い力だ。
「スリープ!」
ゆうなちゃんの眠りの魔術で、男の子はその場で眠りだした。
「そんな便利な魔法があるなら…」
俺のボヤキにゆうなちゃんが笑いながら返す。
「忘れてた」
眠る男の子をその場に寝かし、俺達は再び周囲を警戒する。
その瞬間、辺り一帯が凍り付いたような感覚に襲われる。
来た!
俺は瞬間的にそう確信した。
何かに捕らわれた感覚。
既に捕縛され、逃げられない。




