第17話 母と手紙
夫が倒れ起きなくなってから1年半が経った。
子供と三人の暮らしには慣れてきたけど、
起きた時も食事をする時も、
寝る時も一日中何かがぽっかり足りないような気がしている。
ゆうなも、はるまも、
ふたりとも健気に頑張ってくれている。
良い子過ぎるぐらいに。
二人でこそこそ話すようになったのは気になったけど、仲が良いってことだろう。
聞こうと思えば聞ける。
でも聞かない。
父親がいなくなってから、
二人だけの秘密が少し増えた気がしていた。
姉弟で支え合わなければならないこともある。
親が知らなくても良いことだってあるだろう。
父親が居ない今、二人の仲が良いのはとても安心出来る。
「二人とも起きなさ~い」
「ん~」
気になるのは朝かな。
ふたりとも寝起きが悪い。
凄い疲れてるみたいで、深夜まで残業していた翌朝の夫を思い出す。
まったく、そんなところ似なくていいのに。
「早く起きないと遅刻するわよ~」
「ん~」
布団を引き剥がして無理やり起こす。
二人がとぼとぼとリビングに顔を出す。
「お、シチューかー」
なぜか最近二人が朝食の固形物を嫌がる。
喉に流し込みやすいようにシチューにしてみた。
出来るだけやわらかくなるようにしっかり煮込んだ。
「いただきま~す」
「おいしい。おいしい」
満足してくれたようでうれしい。
ゆうながふいにおかしなことを言う。
「次のエイガクいつかな~。げ、まだ一週間あるのか」
昨日の夜、見たばかりだ。
そりゃ一週間後になるでしょ。
でも、妙に本気で残念そうだった。
本当にこの子は寝ぼけたことばかり言う。
「今日は忘れ物しないようにね~。
昨日もふでばこ忘れたんでしょ。
また先生に言われたわよ」
「ゆうなちゃんは忘れ物多いからね」
「うるさいな~はるま君もでしょ」
「はいはい、そろそろ学校に行く時間よ」
二人はランドセルを背負うとパパの寝室へ。
「パパ、いってきま~す」
もちろん返事はない。
それでも毎日欠かさない二人の姿が、嬉しい。
二人を玄関で見送ってふと玄関の写真立てに目がいく。
小さな二人を両手に抱える夫。
二人ともこの頃は泣いてばかりで手がかかったのに、
今は全然泣き言も言わなくなった。
無理させてるんじゃないかと胸が痛くなる。
掃除や洗濯を終えたら、夫の身体を拭く。
とても不思議なのだが、夫の身体はいつもきれいだ。
毎日お風呂に入っているようにきれいなのに、
それでも拭いてあげる。
そうしていると、少しだけ安心出来るから。
「ゆうなちゃんね。
また漢字のテストで100点取ったわよ」
「そういえば昨日ね。
はるま君、自分で洗濯物たたんでたのよ。
昔はぐしゃぐしゃにして私に怒られてたのにね」
「最近ね。
二人の会話についていけないことがたくさんあるの。
少し寂しいけど、それが成長なのよね。
あなたが起きても、もう全然話が合わないかもよ?」
最初の頃は返事が無いことで毎日泣いてしまっていた。
今も返事はないことはわかっている。
それでも不思議と、
ちゃんと聞いてくれている気がする。
ピンポーン。
チャイムが鳴る。
インターフォンを見ると、
「あら、あきさん。入って入って」
玄関の開錠ボタンを押す。
子供たちが「おねえさん」と呼ぶ、今家族が一番信頼している人だ。
昔からうちのことばかりで、
彼女の私生活は全然想像出来ない。
「あ、そうそうあきさんって一階の会社の鍵持ってるわよね?」
「あ、はい。すいません。お返しした方が良いですよね」
「いいのよ。ただ、家の鍵も持っててもらおうかと思って」
と言ってカードキーを差し出しあきさんのカードキーを受け取る。
「何かあった時のためにね。子供達のこともあるし…」
あきさんは腰を下ろしながら、申し訳なさそうに口を開く。
「実は、まりさんに言っていなかったことがありまして…」
何か重大なことだろうか。
「ええ、なんでも言って?」
「一年ほど前のことなのですが…」
「ある仮説を検証するために、
彼の口の中にメモを入れたんです」
「仮説?」
あきさんは説明してくれたが、よくわからない。
「とにかく、メモがどうなるか知りたかったのね?それで?」
「まずは勝手にそんなことをしたお詫びを…」
「おわび?なんの?」
「いや、勝手に彼の口に」
「ん?
ああ、それが悪いことってこと?
人体実験したわけじゃないんでしょ?
血を抜くより全然良いじゃない」
「そ、そう言って頂けたらよかったです」
言ってくれた方が良かったんだろうけど、こういう状況だ。
「でも、言わない理由があったんでしょ。なら良いわよ」
「それで、ですね」
「口の中に入れたメモが、次の日に来させてもらった時にはもう無かったんです」
「誰かが出したってこと?」
「ご家族ではないですよね?ならやっぱり…」
「前にお話ししたと思うのですが、
彼の身体は別の空間につながっている。
そう考えた場合、口に入れたメモがどこか別の空間で取り除かれた。
そう考えられるんですよ」
「でも、誰かが取ったって考えた方が現実的でしょ?」
「彼の身体が現実的じゃないんです」
はっとする。
そうだおかしなことだったんだ。
いつの間にか、
夫が起きないことだけが異常だと思っていた。
「でも、それなら体に縫い付けるとかした方が確実に検証出来るわよね?」
「まさか!彼の体に傷を付けるような」
「ちょっと縫うぐらいなら何も言わないわよ」
「そうですね。その発想はなかった…
何かもっと良い手段は無いか考えて見ますね」
「彼のことは大切よ?あきさんが大切に思ってくれてるのも知ってるし嬉しい」
「でもね。思うの。この状態になってる彼を守るために、
彼が帰ってくる可能性が減るなら本末転倒だってね」
「そうですね。やれることを全力で、
彼のことが少しでもわかるならやれることは全部やってみます」
「わかったわ。
あきさんが思っている現象があったとして、
何か出来ることはある?」
「まずは、ゆうなちゃんとはるま君にも確認したいと思っています」
「口の中のメモを知らないかってことね。
わかったわ。今日の晩御飯の時にでも聞いてみるわ」
二人なら何か知っているのだろうか。
そう考えた瞬間、
胸が少し痛んだ。
ただ、それで何がわかるのかまったくわからない。
「それでその次は?」
「もし彼の身体がどこかにつながっているのだとしたら、
そちら側とコンタクトを取れる可能性が生まれるってことなんです」
「メモが消えたってことはあちら側にメモがわたったということだから、
もしかしたら返事が来るとかそういう可能性があるってことね?」
「そうです。
もしそうなら、今までわからなかった異常を解決する糸口があるかもしれません」
希望なのかもしれない。
でも、知らない方が良かったと後悔するかもしれない。
その話を子供たちにするのは、
なぜか怖かった。
あきさんが帰った後、
私はそわそわして夫の口を大きく開けて見てみたりした。
何もなかった。
それから部屋の前を通るたびに、
口の中を見てしまう。
馬鹿みたいだと思う。
でも、もしかしたらと思ってしまう。
ドキドキする。




