3 銀髪の公爵令嬢
入学から一カ月と数日たった日のこと。
放課後、旧校舎にある特別教室での片付け当番を終えての事だった。
廊下ですれ違った上級生達の一人に制服の上から胸をつかまれ、咄嗟にピオニアは「おやめください」とその手をはらった。
冷静に言おうとしたが、不快な感情が勝って少し大きく低い声になる。
見れば案の定、モイゼスを中心としている男子生徒達だった。
モイゼスは強めに反抗したピオニアのその声が気に障ったらしく、青い目の上にある眉を微かに動かした。
ピオニアを触ったのはこのグループの中でも下っ端の、子爵の三男ジョヒム・ボッソムだった。
「こっわ」
彼は半笑いで、自分が侍っているモイゼスの近くに寄った。
彼と一緒に歩いていた他の生徒が、すぐさま茶化しだした。
「おやめくださぁい。ただし上位貴族は別ぅ~♡」
その場の男子生徒達から笑いが起こる。
「彼の偶然手が当たっただけだろう。キミは毎度騒ぎ立てるが、あまり度が過ぎると下心があると勘ぐってしまうよ?」
モイゼスが仰々しく溜息をつきながら口の端を吊り上げ、ピオニアを見下ろした。
その言い方に頭に血がのぼりかけるが、ピオニアは一度拳を握って息を吐き出し、言った。
「故意に掴まれましたし、下心などありません」
「証拠は?」
モイゼスは取り巻きの男子生徒達を見まわした。
「みんな。ジョヒムは今、彼女に触ったか?」
「いいえ?」
「むしろすれ違った時に、このコが体を彼に推し当ててきたように見えましたが?なあ」
「はーあ、なるほど。こういう風に男に取り入るんだなあ!」
取り巻きたちは笑って口々に野次りだした。
悔しいことにこの時、廊下にはモイゼスとその仲間達、あとはピオニアしかいなかった。
仮に他に目撃者がいたとしても、この侯爵子息一派に不利なことを証言する者は無いだろうが。
「どうか現実と物語の区別をつけてください。私はそんな事はいたしません」
不快と怒りで震える指を押さえ今度は静かに言うが、それは彼らの嗜虐心をくすぐるだけだった。
「そんな事って?」
「へえ、どんな事?俺わかんない。教えて?」
「下位貴族レベルの女ちゃんが言う『そんな事』ってなにかな?」
ピオニアの胸を触ったジョヒムがニヤニヤしながらまた近づき問い詰めてくる。
多くの女の子は、恐怖や驚きて足がすくんでしまうかもしれない。
が、ピオニアは彼女たちよりほんの少しだけ肝が座っていた。
父親は領地管理の延長で自警団を幾つか組織しており、その中には所謂、元ならず者だった人間もいたのだ。
故郷でそういった者たちを近くに見ていたせいか、華奢な見た目に反してごろつきには少し耐性があった。
――次にどこか触ってきたら全力で股間を蹴ろう。
実家の環境に感謝しながらそう決心して、そっと片足を引いた時だった。
「触ったかどうかはともかく、集団で女子に嫌がらせをしているのは一目で分かる」
ピオニアの後ろ、廊下の角から一人の男子生徒が歩き出てきた。
制服の襟に一年のピンをつけている。
ピオニアと同じく天授魔法持ちで入学した、サリム・ノルテシュネーだった。
最近まで隣国に留学していた都合でいろいろ手続き等が遅れたらしく、約ひと月遅れの一昨日、ピオニアのクラスに編入してきた生徒だ。
「なんだ?口の利き方に気をつけろ。チビ」
取り巻きの一人がサリムに威圧をかけた。
確かにサリムの背は彼より少々低いが、身長を上げつらわれる程ではない。
女子の平均身長であるピオニアより少し高い彼は、言われても特に気にする様子はなかった。
少し癖のある銀髪は肩に付くくらいで、長い前髪の奥から鋭い形をした深い孔雀色の瞳がモイゼスをじっと観察している。
表情もほとんど髪に隠れて読めない。
もし今この取り巻きと喧嘩になったら多分サリムの方が有利だ、とピオニアは一目見て思った。
この観察力も自警団を見続けて培ったものだ。
一見普通に見えるが、ジャケット越しに浮かぶ肩周りや腕部分の形は、取り巻き達より整った厚みを持っている。
足の運び方もさりげないが無駄がない。
何かしら鍛えた経験がある人だ、と思った。
「君には関係無いだろう。余計な口を出すんじゃない」
モイゼスが居丈高に言うが、サリムはその問いに答えることなく、軽く首を傾げた。
それが気に触ったと見えて、モイゼスの顔にさっと赤みがさす。
「その態度は何だ。貴様どこの家の者だ?」
「わたくしの従弟ですわ。モイゼス様」
凛とした声が通った。
その場に満ちた悪意が一掃されたかのように、空気が変わった。
サリムの後ろから歩き出てきたのは、彼と同じ髪色の女子生徒だ。
まるで氷を連想するような佇まいの少女だった。
三年のエメリエラ・ノルテカッタ。
彼女はノルテカッタ公爵家の長女で、モイゼスの婚約者だ。
「長く隣国に留学していた母方の従弟ですの。先ほどその通路で久々に顔を合わせたものですから、歩きながら話し込んで。そうしたら、皆様の声が聞こえましたのよ」
言いながらエメリエラはスッとピオニアの前に出て、ジョヒムの目をまっすぐ見返した。
その目で圧倒され、ジョヒムをはじめ他の男子生徒達も黙り込む。
「いくら可愛らしい女の子が入学してきたからといって、皆様はしゃぎ過ぎではありませんか?好きな子にほど意地悪をしたいのが男の子の心理とよく聞きますけれど………そうなのかしら?モイゼス様」
と、穏やかな声で言いながら、取り巻き達を一人一人、そして最後に婚約者を見た。
彼らは薄く愛想い笑いを浮かべ目をそらし、最後に名を呼ばれたモイゼスも反射的に目を泳がせたが、すぐにエメリエラを見返し微笑みを浮かべた。
「――まさか。いや地方娘への躾が過ぎたかな。それだけだよエメリエラ」
「お心をわたくしに残してくださっていて安心いたしましたわ。………サリム。わたくしはモイゼス様と帰りますから、貴方はその子を寮まで送ってあげて頂戴」
モイゼスの答えに頷いてエメリエラは振り向き、従弟に告げた。
それからその涼やかな瞳でピオニアをじっと見つめたが、そのまま何も言わずモイゼス達を促して行ってしまった。




