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男爵令嬢は屈しない  作者: 珈琲(こひ)
22/26

22 そして婚約破棄


 フロアにいる生徒達の視線を一身に集めながらゆっくりと前に進み出て、彼は大きな溜息を一つ吐き二階に立っている婚約者を見上げた。


「何の用かなエメリエラ。私は君の代わりに受けている罰則で、本来ならこのフロアに入れない事になっているのだよ」


ホールを満たす生徒達へ目をやりながら、モイゼスはわざとらしいほど穏やかな口調で言った。

 それでも不当な罰を受けた悔しさと、これを理由にエメリエラの弱みを掴めた優越感とが、歪んだ口元ににじみ出ている。


「まだ総練も終わっていないんじゃないのか?順序だてて物事を進められないなら、わざわざ呼び出してはいけないね。皆に迷惑がかかるだろう」


 係生徒達が控える二階の脇でその白々しい口上を聞き、ピオニアは危うく舌打ちしそうになった。

 総練習を遅らせエメリエラが無能であると生徒たちに見せつけるため、取り巻きを使って午前中に細工をしてきたのはモイゼスだ。

 リッカードから派遣された、物語でよく出る所謂『影』という仕事の人達がしっかり見ている。


「昼前に、モイゼス殿の後ろにいる少年が花瓶を。向かって左端の少年がステージと大階段の装飾に馬糞を」


二階の見えない場所に控えていた数人の影の一人が、エメリエラを補佐する係生徒とサリム、ピオニアへ静かに告げた。

 エメリエラはふんわりと微笑んだ。


「わたくし達、確信していましたの。当日に呼び出しのお知らせをしても、貴方がたがここへ来ることに」


 エメリエラの失態をこの場の者たちに周知させるため。

 そして自分の中の鬱憤を晴らすために、モイセスは必ず動くと。

 彼女は顔を上げ全生徒に伝えた。


「みなさま申し訳ありません。あと少々、これから始まる茶番にお付き合いくださいませ……ピオニア・バンガッセ男爵令嬢」


 ピオニアの心臓が大きく鳴った。

 背中がさあっと汗ばむ。

 その時、隣にいたサリムが心なしもう少しピオニアに体を寄せた。

 顔を上げると、柔らかそうな銀の前髪の奥の瞳が彼女を見つめて、そっと、だが力強く言った。


「大丈夫」


 サリムの声とそのひと言で、強張りかけていた体に指先まで熱が巡った気がした。

 ピオニアは頷いた。


「大丈夫」


そして大勢の視線の中、美しく立つ令嬢の元へと足を踏み出した。


 ――流行りの物語に執着していらっしゃるから、流行りの物語のように区切りをつけましょう。


 昨日、ピオニアはエメリエラからそう告げられた。

 それは、場合によってはエメリエラ様のほうがやり過ぎと捉えられてしまうのでは……と心配したのだが、今日の午前にモイゼス達が仕掛けてきた低俗な嫌がらせを見て、その考えは消え去った。


 エメリエラの横に立つと、一階にいる者たちの視線が一気にピオニアに向けられた。

 緊張した背中にエメリエラの手が触れる。


「大丈夫よ。わたくしたちが付いているわ」


 彼女か小さく囁いたすぐ後に、ピオニアは後ろに複数の足音を聞いた。

 振り向くと、数人の女子生徒が二人の後ろに進み出ていた。

 哀しみを浮かべた目、突き放した冷たい目、無感情な目。彼女たちの言葉を代弁した瞳はピオニアを通り越して階下の令息たちへ向けられている。

 取り巻き達の婚約者だ、とピオニアは気づいた。

 エメリエラは静かな、通る声で宣言した。


「モイゼス・モンタンド侯爵令息、並びにそのご学友の皆様方。わたくし達は、今この時をもって婚約を破棄いたします」


 ホール中がどよめいた。


「――何を言っているんだ?」

「婚約を破棄すると申し上げました。私の声が聞き取りずらかったら近くの生徒に教えてもらってくださいませ。ほかの皆様のお耳にはちゃんと聞こえていますわ」


 突然の展開に浮かべていた笑みを消し聞き返すモイゼスに、美しい公爵令嬢は微笑んだ。

 そして問われるままに婚約破棄の理由を上げ始める。


 一つ、流行の小説になぞらえてピオニアを悪役令嬢に仕立てる噂を流したこと、そしてエメリエラがピオニアに嫉妬し嫌がらせをしている噂も流したこと。

 二つ、取り巻きを使ってピオニアに嫌がらせをしたこと。

 三つ、ピオニアを取り巻きに襲わせエメリエラのせいにしようとしたこと。


 三つ目の所でピオニアの脳裏に襲われそうになった時のことが浮かぶ。

 怯みそうになった瞬間、エメリエラの指が支えるようにピオニアの背中をたたいた。

 反対側の隣にサリムも立つ。

 その目はピオニアが今まで見たことがない程鋭くモイゼスを睨んでいる。

 モイゼスは苛立ちを隠そうとせず怒鳴った。


「戯言にしても限度があるぞ。証拠は………」

「証拠は、私が。後程」


 ピオニアが手を上げる。

 エメリエラが驚いて小さく聞き返した。

 ピオニアはエメリエラへ「昨日まで集めていたのです。黙っていて申し訳ありません」と小さく囁いた。

 今週の初めから、ピオニアはある証拠を集めるために動いていた。

 モイゼスに唇を奪われそうになったガゼボでも、その証拠集めをしていたのだ。

 その日以降はサリムも一緒に動いていたが、彼にも簡単な説明しかしていない。

 モイゼスの取り巻き達が卑猥な言葉で茶化したが、それはピオニア達の後ろにいる婚約者の令嬢達が自らの判断は正しかったと確信する材料となった。


 四つ、自分達の悪事が大事にならぬように家の名を使って数人の教師たちを手なずけたこと。

 そして五つ、長年にわたるすべての試験の不正。


 ホール中が騒めくなか、モイゼスは呆然と立っていた。

 四つ目までの話は多少強引でも「証拠がない」で終わらせる自信があった。

 だが、五つ目の話は想定外だった。

 試験の関係で買収した教師達はみなモイゼスが金銭的に弱みを握っている。彼らが自分から話を漏らすはずがなかった。不正の存在自体その教師達と自分しか知らないはずだ。


「なぜ不正を知っているのかというお顔ですわね」


エメリエラの声にモイゼスは我に帰った。


「な、ぜ………。なぜも、なにも」


声を絞り出し、無理矢理微笑む。


「なぜも何も。今初めて聞いて、動揺したよ。それは本当なのか。だとしたらこれは許される事じゃないが……それは当時の担当の先生が記入の間違いをしたのではないのか?先生にだって誤りはあるだろう。情けない点数だったことは恥ずかしい限りだが、一方的に不正と言い切るのは感心できないな。……私は発表された順位を疑いもしていなかったし、家の名を使って点数を書き換えるなどとんでもない。もしその話が事実だとしても、断じて私の意思ではない!」


 ピオニアに関する噂については強気に証拠証拠と叫ぶのに、この件では急に弱腰な言い訳のみになってることに本人は気がついていない。

 その様子で、不正は本人も把握している事実だと周知しているようなものだった。

 

「わたくし自身は最初から何となく成績を操作されていると感じていましたの。あなたの面倒なプライドのことを考えると、被害者がわたくしだけの内は黙っていようと思っていましたわ。今回のこの茶番でも。ですが今年から被害者はわたくしだけではなくなりましたわね。あなたが順位を落とした分、本来は上の成績だった人間のうちわたくしを除いた十四人。こうなると見過ごせません。ですので指導部の方々にお願いいたしましたの。暴力事件の調査もありましたのに、こちらも同様に昼夜を分かたず調べてくださいましたわ」

「だから、私は何も知らないと!……その、試験のことは私からも調べさせよう。そしてもし、もし順位に誤りがあったのなら訂正を受け入れようじゃないか。……だがエメリエラ、それ以外の話については納得できないな。証拠がないじゃないか。私の知らぬところで行われていた試験結果の操作のみで婚約を解消するというのか?」


 モイゼスは無理矢理話の流れを変えようと仕掛けてきた。

 言い訳で何度も記入誤りと繰り返してたのに、最後に『試験結果の操作』って言っちゃってるなあ……とピオニアは思いながら手を上げた。


 集めていた証拠の出番だ。

 制服のポケットに入れていたものを掌に載せる。

 それは小石や木の欠片、ピンや焼き物の破片など、まるでゴミのような物ばかりだった。


 何を持ち出してくるのかと内心で少々不安を抱いていたモイゼスは、男爵令嬢が真面目な顔でゴミくずを取り出したのを見て安堵し、大きくため息をついて笑った。


「ピオニア嬢。そのゴミはいったい何だね?」


 まだ立場を逆転できると確信し、微笑を浮かべる余裕も出る。

 ピオニアは目を閉じ、神経を集中した。


「ピオニア?」


 エメリエラが心配そうに名前を呼ぶ。

 ピオニアは自分の感情を丁寧に揺さぶった。

 窮地を救ってくれたエメリエラ。サリムに出会わせてくれたエメリエラ。

 どれもがピオニアにとって嬉しい記憶だ。

 その大切な彼女の名誉をも汚そうとしたのが、今階下にいるモイゼス達。沸き上がるのは怒りだ。


 ――怒りを一気に爆発させてはいけない、空回る。


 そう自分に言いながら、彼女は少しずつ怒りの感情の蓋を開けてゆく。

 怒りの感情をそのまま頭に回さないで、胸で留め置いて、少しづつ指先に流す感覚を持つ。

 総練習の見守り役として階下にいた教師、講師達の中でピオニアが何をする気か気がついた者がいた。

 天授魔法担当の講師だ。

 いけない、止めなさい!

 そう叫んで二階に走り寄ろうとしたが、その時にはピオニアは自分の天授魔法を発動していた。

 

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