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男爵令嬢は屈しない  作者: 珈琲(こひ)
19/26

19 また、噂

 指導部の尋問を受けてからも、モイゼスは変わりなく学園に通っていた。

 あくまで問題を起こしたのは取り巻きの二人、それも彼らの独断と主張している。

 その二人はあれ以来登校していない。

 

 変わったことといえば彼らがピオニアに悪さを仕掛けてこなくなったということだ。

 さすがに立場が悪くなることはわかっているらしい。

 今までの嫌がらせも全て、休んでいる二人の仕業にするつもりなのかもしれない。

 ひとまず、このまま行けばもうピオニアを標的にしてくることはなくなるだろう。

 今までよりは落ち着いた学園生活が送れる……そう思っていた矢先に、飛び込んできた噂だった。


「おはようピオニア!『モンタンド家がピオニアの実家に慰謝料を払う予定らしい』っていう話を登校してから何度も聞くんだけど、本当?」


教室に入った途端クラスメイト達に聞かれ、ピオニアは意味が飲み込めず「……はえぇ?」と間抜けな声で聞き返した。

 その反応で察したらしく、全員が安堵と呆れが混ざったため息をついた。


「どういうことだ?」


 サリムの問いにクラス一噂好きの生徒がすぐ返した。


「どういうと言われても、そのまんまなのよ。歩いてるとあちこちでヒソヒソ……より、聞き取れるくらいの大きさの声で。ピオニアのお家への事以外も色々」

「そうそう。二人はここに来るまで何も聞かなかったか?」


 聞き返されて、ピオニアとサリムは馬車を降りてから教室までの道のりを思い返した。

 そして夕べ見た思春期青少年相応の夢に悶々と気を取られて、周りの噂話など聞く余裕がなかった事に気がついた。


「え……や…、色々考え事してて、聞く余裕、なかった」


 サリムが慌ててモソモソ答えた。が、普段から割とこういう喋り方のため、誰も彼の焦りに気づかない。

 最初に答えたクラスメイトの言葉がピオニアに引っかかった。


「私の家以外のことって?」


 本当に何も聞かないでここまで来たのか、とクラスメイト達は朝から聞こえてくる噂を口々に上げ始めた。



『ピオニア・バンガッセを襲った二人は、嫉妬に狂ったエメリエラ・ノルテカッタに懇願され凶行に及んだ』


『ずっと不登校になっているその二人は、自宅に出向いてきた指導部の調査員に「成功したら夜の相手をしてやるとエメリエラから約束された」と話したそうだ』


『同じ手口でエメリエラ嬢はモイゼス・モンタンドの学友達を複数人誘惑して失敗したらしい』


『モイゼスはエメリエラ嬢の犯した罪に気付き、己の不行き届きとして指導部に罰を軽減するよう願い出たらしい』


『エメリエラ・ノルテカッタへの罰が決まったらモイゼス・モンタンドがかわりにそれを受けると申し出ているらしい。「未来の妻の浅はかな愚行は彼女の寂しさに気づけなかった私の罪」だとか』


『また婚約者と彼女に唆された学友たちに代わって、モンタンド家がピオニア・バンガッセに対して男爵家にしては多すぎるほどの慰謝料を実家に払う予定らしい』


「そういう噂をね、校内のあちこちで聞くの」

「上級生も同級生も話してる。私が見たのは特にモンタンド様に近い人達という感じではなくて。普通の生徒」

「そうそう。内容が内容だから、モンタンド様の仲間が流しているのかと思ったのですけれど、そうでもない雰囲気なんですよね」

「登校可能な時間から今までで一時間くらいだろ。その間にこれだけの話が出回ってる」

「先週までは何も聞かなかったでしょう。休日だった昨日のうちに何があったのかって」


 ピオニアが教室の外へ駆けだそうとしたのを、サリムが止める。

 昨日エメリエラの人となりを見たピオニアにとって、その噂話の中の彼女はあまりに薄っぺらだった。

 ピオニアがじかに見て感じ取った魅力的な人間ではない、まるで物語の……いや、一部男性のナルシシズムを満足させるためだけの極めて都合が悦い人形ではないか。


「馬鹿馬鹿しすぎます!こんな絶対……!」


 そもそもリッカードとの婚約を結びなおす方向で動いているエメリエラがそんな事をする訳がない。

 ピオニアの激昂にサリムも同意する。


「どう考えてもカメムシが流した嘘だ。でも、あいつの所に怒鳴り込むのは、いい方法じゃない」


カメムシ?誰?とクラスメイト達が首をかしげるが、意味を共有しているピオニアとサリムは気がつかない。


「でもどうすれば。嘘にしても規模が大きいです。きっとなにか証拠になるものを捏造しているのかも……」

「いや、どうだろう」


 ピオニアが呟いて唇をかむと、クラスの男子生徒が言いづらそうに口を開いた。


「悪意ある噂、特に女の子へのものは、証拠なんかなくても話を広げるだけでそれらしく浸透してゆくことが多い気がするよ。ピオニア、君に起こったことがそうだっただろ」


 言われて、ピオニアの脳裏に入学してから今までのことが一気に思い出される。

 そうだ。違うと言ってもやめてと訴えても、意地の悪い人達からは面白おかしく茶化され続けた。

 あの理不尽に今度はエメリエラが放り込まれるというのか。

 そう思うとピオニアの胸の奥が潰れそうに苦しくなった。悔しすぎた。


「昨日エメリエラ様と話したの。優しくて、すごく可愛らしい方で。なのにこんな悪意を向けられるなんて、私は許さない」


 怒りで震える声を抑えながらきっと瞼を開く。


「奴らから私を助けてくださったエメリエラ様を、今度は私が助けなきゃ」


 その日の休み時間。

 サリムはエメリエラの教室を訪ねていった。

 ピオニアも一緒に行きたかったのだが、余計変な噂が立つ可能性があるので我慢した。


「エメ姉はいつも通りだった。同じ教室の人達も、気にしてない雰囲気だった。無関係な奴らが騒いでいる感じかな」


 戻ってきたサリムは、ピオニアや噂が気になるクラスメイト達にそう報告した。

 ピオニアの状況と同じく、彼女の人柄を知る周りの者達は噂など信じていない様子だったらしい。


「学園の中では俺もただの下級生だから、じっくり話ができなかったけど。帰ったら色々聞く。今は、心配しすぎないどこう」


 サリムから皆に提案するのは珍しいことだった。

 彼も内心不安なのだろう。

 ひとまず帰宅したら、念のために確認の手紙を家に出そうとピオニアは考えた。

 金に物を言わせて全て有耶無耶にするというのは、父のイットイオ・バンガッセが一番嫌うものだ。

 片方が泣き寝入りする事案等など尚更である。

 本当に噂通りの交渉があったなら『侯爵家からの圧力を突っぱねたから平民になる覚悟をしておけ』くらいの手紙がすでに届いている気がする。

 もしそんな手紙が届いたらピオニアもすぐ了承の返事を出すだろう。




「サリム様。私、このあと少し調べ物があるのです。ですので今日は私に構わずお帰りください。どうかお早くエメリエラ様の所に」


 放課後。

 ピオニアはそう言って、エッという顔になったサリムへ手を振り早足に教室を出た。

 朝、悪質な噂の数々に憤慨してから今日一日ずっと、ぐつぐつと怒りを保ったままろくに授業も聞かないで考えていたことがある。

 詳しく事情を話せばサリムはついてくるだろう。

 一緒に行動しても全く構わないのだが、今日のサリムはなるべく早くエメリエラの元に行ったほうが良いとピオニアは思ったのだ。


 生徒が少なくなる放課後のほうが良い。

 でもあまり遅くならないほうが良い。

 急いで一気にやろうとしてはいけない。

 気が急いても冷静に。

 そう頭の中で何度も繰り返しながら、ピオニアは中庭に向かった。


 中庭にいくつか設置されているガゼボの、一番奥まったところにある物。

 そこはいつからか暗黙の了解でモイゼス専用になっている。

 暖かい季節は常にそのガゼボをモイゼス達が陣取り、休み時間や放課後を過ごしていた。

 雪の季節になった今は、ここで彼らの姿を見ることは少ない。

 空も都合よく曇天で、放課後の中庭に出る生徒自体あまりいなかった。

 ピオニアはガゼボの中に入り、そこから周りを眺めた。

 植木が適度に遮り、中庭の通路は半分ほどしか見えない。半個室のような状態だった。

 この小さな『城』の中で彼らが毎日悪趣味な話題に興じていた思うと、ガゼボの下の空気だけひどく汚らしい気がした。

 こんな嫌な空間早く出よう。

 そう思って手早く目的を済ませ、立ち去ろうとした時だった。


「これは驚いた。ピオニア嬢じゃないか」


 尊大な声に顔を上げれば、ガゼボの入り口にモイゼスが薄笑いを浮かべて立っていた。


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