12 君は誰だ
ピオニアの作戦が呆気なく見破られたことを知らず、サリムは首を傾げながら講師室を出た。
帰宅する生徒たちも一旦途絶えて静かになった廊下は、自分の足音だけが響いていた。
結局講師が集めたメモには何の意味があったのだろうと考えながら、講師室と職員室から離れた渡り廊下に差し掛かった時、サリムは自分の足音の他にもう一つ足音が増えていることに気が付いた。
素早く振り向くと、そこには一人の男子生徒がいた。
「何だ、お前」
お前、と言ってから制服のピンで相手が上級生であることに気がついたが、無礼な言葉は今更撤回できないので、サリムは気が付かないことにした。
相手は僅かに戸惑った様子で、サリムの言葉使いを気にした風でもない。
いや、口のきき方に機嫌を損ねる余裕がないと言うべきだろうか。
「――君、サリム・ノルテシュネーといったな。エメリエラ・ノルテカッタ様の親戚って」
見覚えがあった。
モイゼスの取り巻きの一人だ。
侯爵家の子息で、モイゼスとは殊更近い位置にいる者の一人とサリムは記憶していた。
自然と目に敵意が浮かぶ。
前髪で分かり辛いが。
「ええ。……それで何ですか」
サリムが名前も問わないのは、相手に欠片も興味がないからだった。
侯爵子息はサリムの無感情な声色に勝手に威圧され一歩下がったが、それでも勇気か何かを振り絞ったらしく、サリムをキッと見つめて言った。
「君は、本当は何者だ」
「何者?」
「モイゼス様に命じられて、調べた。確かにエメリエラ嬢の親戚として遠方の地にノルテシュネー伯爵家は存在するが、子供は三人。それも長男は十六で君と同い年だった。………それなのに四男だという君は」
侯爵子息は気味の悪いものを見るような目をサリムに向けた。
「君は何者だ」
振り向きかけの姿勢だったサリムは、前髪を書き上げながらゆっくりと彼に歩き寄る。
露わになった孔雀色の鋭い瞳が彼を射抜いた。
「それ」
言いながらサリムは彼の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
その素早い動きに公爵子息は驚いてヒッと声を上げる。
掴む手を振りほどこうとするが、驚いたことに彼より小さいはずのサリムはびくともしない。
「それ。小山の大将には言いつけたのか」
その小柄な体のどこから出ている、というような低い声だ。
「い、言ってない!それにモイゼス様は指導部に呼び出されていて。そのまま帰宅してしまったから……だから、知っているのは、俺だけ」
侯爵子息は微かに震える声で首を振る。
サリムはその深い深い孔雀色で相手をじっと凝視した。
その目の奥に得体のしれない殺意を感じ、彼の体は無意識にすくんだ。
「そんなら、調べたことは全部忘れたほうが良い気がしますよ。……あと、これは、忠告、とか取引?とかじゃ全然なくてですねえ、ただの独り言だけど。………今から三分以内くらいにモイゼス・モンタンドと縁を切った人は、少なくとも今回の件についてはそれほど痛い目を見ないで済むんじゃないかって、そんな予感がします。予感だけですけどね」
「――俺は、もう言うつもりは無いよ。うん。何も調べていない。……それに……友人にモンタンド家の者はいない。今も、昔も」
侯爵子息は掠れた声で呟き、サリムを見つめて頷いた。
サリムは「あ」と呟いて彼の胸ぐらをもっと締め上げた。
「エッえ゙っ?!何」
「あんたピオニアへの嫌がらせしてたクチか」
「や、見てただけ……!実行を命じられるのは大体子爵以下だから………み、見てただけも言い訳にはならないけど」
侯爵子息は締め上げられながら泣きそうな顔になった。
そして、
「信じてもらえないと思うけど、今言った通り、調べたことを報告するつもりはもう無いんだ。………ようやく分かったんだ、今日の彼女を見て頭が冷えて。モイゼスさ………あの人がピオニア・バンガッセ嬢へ嫌がらせしている時に感じてた居心地の悪さと、そう思いながら自分はなぜそれを流してたかってこと。………自分が安全な場所にいるためにその気持ち悪さに気が付かないふりをしていたんだって。………一人の女の子がひどい姿になったのを見て、俺は、そのことにようやく気がついたんだ」
と、溜めていたらしい自責の念を一気に吐き出した。
その場しのぎの嘘ではない様子だった。
もう一度モイゼスには何も言わないよう彼に念を押して、サリムは教室に戻る。
かきあげた前髪をくしゃくしゃと乱し、目をまたぼんやりと隠しながら。
――侯爵子息の自責をみるに、モイゼス周りの他の者たちも同じく怖じ気始めているのかもしれない。
ピオニアへの虐めに対しては好転の兆しだ。
だが安堵と同時に、サリムの中にはモヤッとした気持ちも生まれている。
今の侯爵子息が口にした「一人の女の子」という言葉に少し気が立った。
他の、しかも敵対していた男子生徒がピオニアを「女の子」と意識していることに対する不愉快だと、サリムは付がついていない。




