10 常に狂う歯車
どうしてこう上手くゆかないのか。
テーブルにつきモイゼスは一口水を飲んだ。
平静を装っているが内心では激しく苛立っていた。
取り巻きの二人に命じた内容がモイゼスの計画通りにいかなかったらしいと分かったのは、今朝のことだ。
登校して教室に入ると、取り巻きの数人が駆け寄ってきた。
「あいつが髪を切って男の格好してるんです。……しかも顔にすんごい痣作って。いくら俺たちでも、流石に女の子にあんな、あんな事……なんか……何があったんでしょうね」
そう報告した彼らは、その指示がモイゼスから出されたことなど全く知らずに、動揺した面持ちでうつむいた。
彼らの心境を知ることもなく、モイゼスは聞かされた事実に固まった。
二人の男に身を汚されてとても人前になど出てこれないだろうと思っていたのに、堂々と登校してきたのだ。
しかも何かあったと一目でわかる姿をして。ピオニアの口からは何も言っていないらしいが、今まで多少ちょっかいをかけていたから自分たちに疑いの目が向けられるであろうことは流石に分かっている。
モイゼスのその様子を見て、取り巻きたちもボスが自分たちと同じショックを受けていると思い込んだ。
「モイゼス様、もうアイツを弄るのは……」
「ああ。いくらなんでも……」
口々に言っているが、モイゼスの耳には入っていない。
あの二人は何をやってるんだ。どんなヘマをしたんだ。
それだけに思考を割いていた。
「あ、あと」
また、ほかの取り巻きが口を開く。
「エイマルとジョヒム、今日は欠席らしいです。エイマルはただ頭痛とか腹痛とかって言ってたから、またズル休みだと思うんですが。ジョヒムは昨日の夜医者を呼んだらしいです。昨日うちの祖母が熱を出したので、医者を呼びにやったら、医院でジョヒムの所に呼び出されたと言われて。うちの馬車でジョヒムの屋敷まで直接迎えに行ったんですよ。誰が患者かはわかりませんが、今日休んでいるということは……」
ジョヒムの状態については、それ以上は分からなかった。
―――いや、しかし計画そのものに大きな狂いは無い。そして今回のことは俺には関係ない。
モイゼスは自分の中でそう繰り返した。
繰り返し自分に言い聞かせるうち、血が上っていた頭は幾らか冷静になってくる。
ピオニアを傷物にしろという命令は取り巻きのエイマルとその子分のジョヒムにしか言っていない。
口外しないよう命じたので、ほかの者たちは知らない話だ。
今後の展開で二人がどう騒ごうが、自分は全く知らないで通せば良いのだ。
モンタンド家の名を使えば造作もなく揉み消せるだろう。
――そう、ノルテカッタ家でなくとも。
グラスを持つ手にぐっと力がこもる。
「悪運の強い女め」
他の生徒に聞こえないよう呟いた。
悔しかった。
何をやっても、エメリエラより優位に立てない。
だから、罪を着せてでもあの鼻っ柱を折らねばならない。
エメリエラとの婚約は子供の頃に決まったことだった。
彼の家では両親の意識はほとんど跡継ぎの兄に向けられている。
屋敷の使用人達も本当は兄を贔屓して弟の自分を後回しにしている、と幼いモイゼスは漠然と考えていた。
そんな不満が溜まっていた頃だ。
兄のオマケで与えられるでもないお下がりでもないモノ、自分だけのための、それも人間が用意されたのだ。
会ってみると、エメリエラというその女の子は兄の婚約者より可愛い顔で、モイゼスは初めて兄より優れた物を手に入れた喜びでいっぱいになった。
だが、その嬉しい気持ちも成長とともに知る事情を知ってから消え失せた。
数年経ち、子供ながらに爵位というものを理解したとき。
モンタンド家は政治的な面で王のごく側に仕える貴族、ノルテカッタ家は王家に次ぐ権力を持った世が世なら現王家と立場が逆であったかもしれない家柄だと知った。
エメリエラの家の方が上で王家に近いと分かった時の、腹の底に湧いた不快感。それは初めてはっきりと感じた嫉妬と劣等感だった。
主人になる自分より偉い家柄というのが不愉快だったし、このままではエメリエラに侮られると焦った。
またおしゃべりな使用人達から、縁組に係わる深い事情を吹き込まれ、彼のプライドは更にねじくれていった。
その頃にモイゼスは、生まれつき魔法を持つ者がいることも知る。
幼心にその特別感に憧れたが、モイゼスが天授魔法を持っていないことはすでに分かっていた。
彼にとってせめてもの救いだったのは、エメリエラも天授魔法持ちではなかったことだろう。
家庭教師のもとで共に勉強を始めると、今度はエメリエラの成績が気に食わなかった。
女のくせに常に自分より良い点数を取るのだ。
学園にあがるとその歪んだ心に拍車がかかる。エメリエラは実は一年の時から全ての試験で首席だった。
自己判断でモンタンド家の名を使い、数人の教師を取り込み、モイゼスが首席になるよう試験結果を細工させた。
だが劣等感は余計に大きくなるばかりだ。
エメリエラが幼い昔のよう笑わずに口元だけを静かに笑ませるようになったのは、彼女の家で施される花嫁教育のせいだろうが、それもこちらを馬鹿にしているようで不愉快だった。
いっそ別の令嬢を妻にとふと思ったこともあったが、兄の婚約者より見目が優れているという点は、手放すには惜しすぎた。
同じ年頃で釣り合う家柄の娘はすでに婚約者がいたし、それにモイゼスの中では許しがたい女であっても世間的にエメリエラには何の落ち度もないので、向うの有責で婚約の解消は言い渡せない。
もちろん自分が至らないからという理由にするのは論外だ。モイゼスの汚点になってしまう。
だから彼は考えた。
エメリエラを少しばかり惨めな立場に引きずりおろして、自分が彼女を許し寛容に受け入れてやれば良いのだ、と。
そうすれば自分の苛立ちも解消され、エメリエラの質も落とせる。
そして次期一年の合格発表日にピンクブロンドの男爵令嬢を見つけて、利用することにした。
馬鹿そうなゆるふわピンク髪。きっと貴族男性に対してふしだらに媚びることしか頭にないであろう男爵家の娘。
流行の小説によく描写される愚かな令嬢が、本の外に飛び出してきたかのように見えた。
あの新入生が俺にまとわり付けば、いつも澄ましているエメリエラもさすがに嫉妬で穏やかではないだろう。あの生意気な顔でどれほど取り乱すか、考えただけで笑いがこぼれそうだった。
その後大勢の目の前でエメリエラ以外は愛さないと男爵令嬢をはねつけ叱り飛ばす。大勢……そうだ、粉雪祭が良いだろう。
(物語のように。いや物語では愚かな婚約者は男爵令嬢を選ぶが、俺はそんな愚は犯さない)
全生徒の目の前で、真実の愛を口にしエメリエラを選ぶのだ。
男爵令嬢など歯牙にもかけていなかったとエメリエラにわからせ、嫉妬を抱いた罪悪感を少しだけつついてやればいい。
俺への申し訳なさを頭の片隅に覚えさせてそれを寛容に許してやれば、たとえ家柄が良くてもエメリエラはもう俺の上には立てなくなる。
そう思って入学式の当日、モイゼスはピオニア・バンガッセの前に現れた。
式の会場となる講堂への廊下を先回りし彼女の歩く先に立ったり、さりげない風を装って横を何回か通り過ぎた。
自分でも滑稽だと思いはしたが、この先の長い人生でエメリエラの手綱をとるためにはやむを得ない。
容姿には自信があるので、これでピオニアも自分を記憶に残しただろう、とモイゼス確信していた。
だが後日、彼はピオニアから全く認識されていなかったことを知った。
『お前の気持ちは知っている』という態で接した時にピオニアから向けられた怪訝な表情は、思い出す度に苦々しい気分になる。
さらに腹立たしいことは、ピオニアは彼がかつて憧れた天授魔法持ちだということだった。
モイゼスはその日から、ピオニアに嫌がらせをするようになった。
『男の子は好きな女の子に意地悪をする』という俗説に沿えば、ピオニアに対してはそのように勘違いさせる事ができ、またモイゼスも腹いせに虐めて気を晴らすこともできると気がついたからだった。
他人からピオニアを好いているのかと聞かれたときは否定すれば良い。
だが、嫉妬にかられたエメリエラがピオニアではなく自分を牽制してくるとは思わなかった。
――普通は婚約者の気を引いた女を排除し、また魅力不足だった己を恥じるものだろう。それが常識だろう。
あれはやがて主人となる自分への態度ではなかった。
――まあ良い。
モイゼスは小さく鼻で笑った。
まあ良い。どうとでもなる。
短い髪、男子生徒の制服。
自分の外見から女を排除したあの様子から見るに、ひとまずピオニアの体はちゃんと汚されたのだろう……とモイゼスは決めつけた。
実行犯が休んでいるのは、実際に強姦に手を染めたショックで熱でも出したか、どこかを打って怪我でもしたか。
きっとそんなところだ。
仮に高等医院などで検査をされているとしても、あの娘の性器から出る子種はジョヒムとエイマルのもの。
どうとでもなる。
「モイゼス様」
取り巻きが緊張した様子で声をかけてくる。
顔を上げると、主に学園内で問題が起こると動く指導部の人間がこちらを見ていた。




