王子に託す希望
森の奥深く。
アッシュはまだ目を覚まさず、静かに横たわっていた。
呼吸は安定しているものの、意識の気配はどこにもない。
ポルは復活したばかりの身体を支えながら、アッシュのそばに座り込む。
その静寂を破るように、カリムは深く息をつき、ザラフとポポのほうを向いた。
「お二人とも、本当にありがとうございます。
お二人がいなければアッシュ殿を止める事は出来ませんでした」
カリムの声には疲労と安堵が入り混じっていた。
ザラフは肩をすくめ――だが、その視線はポポにだけは向けなかった。
「当たり前だ。アッシュの処刑を聞いて俺が放っておくわけがない」
短くそう言い切る声音には、どこか棘が残っている。
ポポはその様子に気づき、小さく息を呑んだあと、静かに頭を下げた。
「……ポルのためにも、手を貸さずにはいられなかった。
それに……その……」
言葉が途切れる。
ザラフの指先が、わずかに強く握られた。
「今さらだな」
低く、押し殺した声だった。
空気が、わずかに張り詰める。
「……俺の国が魔王軍に襲われてたこと。
お前らは知っていた」
ザラフは視線を逸らしたまま、吐き捨てるように言った。
ポポは目を伏せ、かすかに頷く。
「……知ってた。
そこに帝国の思惑が動いていたのを知ったのはかなり後だけど。
君のために……言えなかった」
その声は震えていた。
「君が知れば……戦いどころじゃなくなると思った。
仲間として……それが正しいって……」
ザラフは一瞬だけ目を閉じる。
怒りとも、諦めともつかない感情が、その表情に浮かんだ。
「……勝手に決めるな」
吐き出された言葉は強くはなかった。だが、重かった。
沈黙が落ちる。
ポルが、ゆっくりと口を開く。
「……今こうして、ザラフ族長もポポも来てくれてる。
それが全部じゃないのか」
その言葉に、ザラフはわずかに目を細めた。
ポポは顔を上げることができないまま、ただ小さく言う。
「……ごめん」
しばらくの沈黙のあと。
ザラフは小さく息を吐いた。
「……借りは返してもらうぞ」
それは許しではない。だが、拒絶でもなかった。
ポポはわずかに目を見開き、そして小さく頷いた。
ポルはそのやり取りを見て、静かに息を吐く。
「……二人がいてくれたから、ここまで何とか……助かった。ありがとう」
森の静けさの中で、仲間たちの絆は――まだ完全ではないまでも、確かに繋ぎ直されていた。
誰もがしばしの安堵を得ていた。
そんな中、レーネは震える指先でアッシュの額に触れ、かすかに眉を寄せた。
「……アッシュ殿……どうか……」
返事はない。
黒炎の暴走の余韻は深く、アッシュの内側はまだ闇に沈んでいるようだった。
ザラフが周囲を警戒しながら言う。
「ここに長くはいられない。帝国の追手が来る」
カリムは頷き、アッシュを背負う準備を整える。
その動きは静かで、しかし迷いがなかった。
レーネはしばらく沈黙した後、決意を込めて口を開いた。
「……イシュヴェルへ向かいましょう」
全員が彼女を見る。
「イシュヴェルなら……支援を約束してくれているシグル王子が、アッシュ殿を匿ってくださるはずです。
イシュヴェルはアッシュ殿に賭けたのですから」
ザラフが静かに答える。
「他に安全な場所はないな。
ドワルガンとエルフェリアは帝国と親密だ。
ゼル=アラドは国力に差がありすぎる」
ポポも頷き、短く言った。
「シグル王子なら信用できるね。あの国は帝国と一定の距離を置いてるし」
ポルはゆっくりと立ち上がり、アッシュの隣に膝をついた。
「……アッシュ。
お前が目を覚ますまで……俺たちが守る。
だから……もう少しだけ、休んでてくれ」
レーネは深く息を吸い、仲間たちを見渡した。
「行きましょう。
アッシュ殿を……イシュヴェルへ」
一行は荷物をまとめ、アッシュを慎重に担ぎ上げる。
森の闇の中へと足を踏み出し、帝国から遠ざかるように進んでいく。
夜風が木々を揺らし、遠くで帝国の警鐘が微かに響いた。
アッシュはまだ眠ったまま。
しかしその胸の奥には、かすかな光が残っていた。




