勇者の微笑み
診療所を出たアッシュは、いつも通りの静かな表情に戻っていた。
記録帳を手に持ちながらも、呼吸は落ち着いている。
カリムが横に並ぶ。
「戻りましょう。ポル殿とレーネ殿が心配しています」
アッシュは短く頷いた。
「……ああ。行こう」
その瞬間、空気が震えた。
アッシュが反射的に振り返る。
「……この魔力……」
闇の中から、光が歩いてくる。
白銀の鎧を纏い、光を纏った男が現れた。
二十年前に魔王を倒した勇者レオン=アルセイド。
その背後には、帝国軍の精鋭が整列している。
レオンは柔らかく微笑んだ。
まるで民衆に向ける“英雄の微笑み”そのもの。
「やあ、アッシュ。いや対象17。
回収が遅れてすまなかったね」
その声は優しい。
だが“人に向ける優しさ”ではない。
“壊れ物を扱う時の丁寧さ”だった。
アッシュの目が細くなる。
「……勇者レオン」
カリムが前に出ようとした瞬間、
レオンの視線が一度だけ向けられた。
それだけで、カリムの身体が硬直する。
(……魔力圧……! 動けない……)
レオンは軽く手を上げた。
「安心して。君は不要だ。
僕が必要としているのは……“対象17”だけだから」
アッシュの眉がわずかに動く。
「……俺は人間だ。番号で呼ぶな」
レオンは微笑んだまま、首を傾けた。
「人間?
アッシュ、それは違うよ。
君は“帝国が作った生体兵器”だ」
その言い方は、
まるで“壊れた道具を見つけた”かのようだった。
レオンはアッシュの手にある記録帳を指差す。
「それ、院長からもらったんだろ?
その記録は僕も読んだよ。
最後のページを読んでみなよ。
君たちの“使用履歴”が書いてある」
アッシュの胸がざわつく。
「......君たち?……使用……?」
レオンは優しく微笑む。
「君とエリシアの最終稼働記録だよ」
アッシュの手が震えた。
ゆっくりと記録帳を開き、最後のページをめくる。
対象:孤児 No.17
名:アッシュ=ヴァーン
召喚獣:炎獣イグナ=レクス
特性:黒炎
侵食率:高
備考:対象18との親和性が極めて高い
対象:孤児 No.18
名:エリシア=シャイン
宿魂:光翼ルミナ=セラフ
特性:治癒・浄化
侵食率:高
備考:対象17との親和性が極めて高い
アッシュの視界が揺れた。
ページの下には、短い文章が残されていた。
対象17(アッシュ)と対象18(エリシア)は
魔王四天王グラキエスと戦闘
対象17(アッシュ)を庇い、
対象18(エリシア)は消滅。
対象17(アッシュ)は氷漬けになり死亡。
意味を理解した瞬間、
世界がゆっくりと歪んだ。
「……俺を……庇って……?」
胸の奥が、締めつけられる。
アッシュの胸の中でエリシアの声が響く。
(──アッシュ。あなたは、生きて)
視界が揺れる。
「……エリ……シア……?」
記憶は完全には戻らない。
だが、確かに“知っている”感覚だけが胸を締めつける。
アッシュは頭を押さえ、膝をついた。
「……やめろ……
やめろ……レオン……!」
レオンは優しく、しかし物を扱うように言った。
「混乱しているね。
大丈夫。兵器が壊れかけた時、
持ち主が回収して整備するものだよ」
レオンが手をかざす。
「《光縛》」
光の鎖が空中に生まれ、
アッシュの四肢に絡みつく。
アッシュは抵抗しようとするが、
光の鎖の影響で魔力の制御を奪う。
レオンはアッシュの顎を指先で持ち上げ、
“物の状態を確認するように”覗き込んだ。
「壊れないようにしっかり整備しないとね」
アッシュは歯を食いしばる。
「……離せ……レオン……!」
レオンは微笑んだ。
「離すわけないだろう?
君は帝国の財産なんだから」
光の鎖がさらに強く締まる。
カリムは一瞬で状況を判断した。
(……今戦えば、アッシュ殿が“処分対象”になる)
(救出は……後だ)
レオンの視線がアッシュに集中している隙に、
カリムは影へ溶けるように姿を消した。
「……必ず助けます」
その言葉だけを残し、
ポルとレーネの元へ走り出した。
アッシュは光の鎖に縛られたまま、
帝国軍に連行されていく。
レオンは満足げに言った。
「さあ、帰ろう。
“対象17”」
夜の帝都に、光だけが残った。




