埋まらない距離、揺れる心
ミズナギ宿の夜は静かだった。
水路の音だけが、ゆっくりと流れている。
ポルは一人、部屋の窓辺に座っていた。
灯りを落とし、外の光だけでぼんやりと世界樹の影を眺めている。
その時──
控えめなノックが響いた。
ポルは眉をひそめる。
こんな時間に訪ねてくる者など、心当たりはない。
扉を開けると、そこに立っていたのは──ポポだった。
昼間と違い、ローブは脱ぎ、軽装のまま。
だが、その目だけは昼間以上に揺れていた。
ポポは小さく頭を下げた。
「……夜分にすまない。どうしても……話したくて」
ポルは淡々と答えた。
「……入れよ」
ポポは部屋に入り、扉を静かに閉めた。
二人の間に、三十年分の沈黙が落ちる。
ポポはしばらく言葉を探していたが、
やがて絞り出すように口を開いた。
「……ポル。
僕は……ずっと、君に謝りたかった」
ポルは視線を外したまま言う。
「謝る必要なんてない。命令だったんだろ」
ポポは首を振った。
「命令でも……僕は逃げたんだ。
君たちを置いて……逃げたんだよ」
ポルは淡々と返す。
「お前は魔法部隊だ。守る価値があった。
俺たちは……使い捨てだった」
ポポの肩が震えた。
「違う……!
僕は……君を守りたかった……!
すぐにでも後を追いたかった......!
でも......エルフェリアは許可してくれなかった......
その後も……僕は……勇者パーティに選ばれて……
魔王を倒して……
“英雄”なんて呼ばれて……!」
ポルは静かに言った。
「……そうだな。お前は英雄だ」
ポポは涙をこぼした。
「英雄なんかじゃない……!
僕は……君を見捨てた臆病者だ……!」
ポルはしばらく黙っていた。
その沈黙が、ポポには何より苦しかった。
やがて、ポルはゆっくりと口を開いた。
「……ポポ。
俺は、お前を恨んでいたわけじゃない」
ポポは顔を上げる。
「……じゃあ、どうして……」
ポルは窓の外を見た。
世界樹の光が、淡く部屋を照らしている。
「ただ……お前と俺は、違う場所に行ったんだ。
お前は英雄になり……
俺は、使い捨ての兵士にだった」
ポポは唇を噛んだ。
ポルは続けた。
「その差を……どう埋めていいのか、わからなかった。それだけだ」
ポポは震える声で言う。
「……それでも……僕は……君に会いたかった。
ずっと……ずっと……!」
ポルは目を閉じた。
その声は、昔のポポのままだった。
ポルは短く息を吐いた。
「……ポポ。
今すぐ答えを出すつもりはない」
ポポは涙を拭い、必死に頷いた。
「……わかってる。
でも……また話させてくれ。
僕は……逃げたくないんだ。今度こそ」
ポルは少しだけ笑った。
「……お前は昔から、しつこいからな」
ポポの目が潤んだまま、嬉しそうに揺れた。
「……ありがとう、ポル」
ポルは窓の外を見た。
世界樹の葉が、夜風に揺れている。
「……今日はもう寝ろ」
ポポは深く頭を下げ、部屋を出ていった。
扉が閉まると、
ポルは静かに呟いた。
「……英雄か。
俺とは、違う世界の住人だな……」
その声は、どこか寂しげだった。




