分身
赤い空はもうない。どこまでも続く草原に咲き乱れる花、そして空を埋める十を超える虹。
「おお……なんという奇跡……!」
感動して震える兵士たちの中心で、虹の上に立つもう一人のエリイが両手を広げた。光が散り、花が舞う。無駄に演出が派手だった。
顔も背丈も本体とそっくりだが、髪だけが七色に輝いている。
「やり過ぎ、よね!」
自分と同じ顔が、満面の笑みでそう言った。
「なにい〜!」
これほど腹の立つこともそうはない。本体のエリイは震え上がった。
「ねえ、あんたいつも言ってるでしょ。"神話や伝承のギリギリまでなら人を幸福にしてもいい"って。なら、もっと大胆にやっていいってことでしょ?」
「よくない! それ絶対減点のやつ!」
「減点されてないもーん。まだ」
「"まだ"がこわいの!」
『二人とも戻れ。一つに戻れば全部なかったことにできる』
頭に響いたラオの思念に、虹エリイは「やーだ」と即答した。
「だって、二人のほうが楽しいじゃない。わたし、いるよ。あんたの味方」
「うっ……そ、それは少し嬉しいけど……」
『流されるな』
「流されてないもん!」
虹エリイが指を鳴らすと、足元の花が一斉に光の蝶に変わって空へ舞い上がった。
「舞い光る花の蝶……なんという慈悲……」
「慈悲じゃない! ただのやりすぎ!」
祈り始める老軍師を背に、エリイは慌てて両手を振り回した。
「とにかく全部元に――!」
反射的に"なかったことにする"力が弾ける。ぶわっ、と歌う花畑が消え――ついでに、何の関係もない丘ひとつ分の地形がまるごと消し飛んだ。
しん、とする草原。
「……あ」
『……今の。お前だろ』
「ち、ちがっ、これは勢いで!」
『花の蝶より、地形のまるごと消去のほうがでかい反則な』
虹エリイがぽかんと口を開ける。
「なにあんた。そっちのほうがよっぽど凄くない?」
「ほめないで!!」
止めるべき分身より、止めようとした本体のほうが派手にやらかす。ラオのいちばんの頭痛の種は、いつもこっちだった。
ラオの意識が本体に向いた隙に、虹エリイは鼻歌まじりで奇跡を重ねていく。
指を鳴らすたび、地平線に二つ目の太陽が昇り、兵士たちの古傷が塞がり、道端の石が宝石に変わる。兵士たちは号泣して天を拝んでいた。
「ちょっと! 止まって!」
『おい。片方を抑えてる間にもう片方が青天井だぞ。二人まとめて戻れば済む話なんだけどな』
「「やーだ♪」」
「やーだ♪、じゃないってば! なんでそこだけハモるの!」
完全に息が合っているのが腹立たしい。
「ねえ。ちまちましたのじゃなくてさ」
虹エリイが空を見上げる。その目がきらきらと輝いた。
「あれ、落とそう」
「……え」
「ただ落とすんじゃつまんないでしょ? 爆発を全部花火にするの。空いっぱいにキラキラの、カーニバルみたいな最高のお祭りに!」
悪気は一つもなかった。本当に楽しいことを提案する、純粋な笑顔だった。だからこそ、タチが悪かった。
「だ、ダメ! それ絶対ダメ! みんな死んじゃう!」
「死なせないよ? きれいにするだけだもん」
話が通じない。同じ顔をして、片方には祭りが見え、片方には破滅しか見えていない。
その時、空がふっと翳った。
遥か高みに、小さな赤い点が現れる。それは少しずつ大きくなり、やがて炎の尾を引き始めた。
大気が震え、低く地鳴りのような音が響き渡る。兵士たちの歓声が止まった。
「来た。わたしのお祭り」
虹エリイがうっとりと呟く。
「いやな予感しかしない……」
エリイの顔から完全に血の気が引いた。
『……おい。それは洒落にならないぞ。止めろ、今すぐ。お前の手で』
ラオの焦った声が響く。止め方なんて習っていない。
次の瞬間、空が完全に暗くなった。




