岩戸
少女は拳を握った。
「やるならやらねば!」
老軍師が首を傾げる。
「何をでございます?」
「宴会を!」
言い切った。老軍師は目を見開き、勝手に感動している。
「おお……この休息に、それほどの意味が……」
少女は勢いよく馬車を指差した。沈黙。爆裂団の男たちが顔を見合わせ、馬車の中を覗き込む。
「酒なんて積んでるはず……あった」
「あったな」
「あったわ」
誰も積んだ覚えはない。だが、確かに酒樽が存在している。
「これはセーフ!」
「は?」
「いや、なんでも」
やがて酒が配られる。最初は厳粛だった。兵士たちは震える手で杯を受け取り、誰も大声を出さない。全員が神聖な儀式だと思っていた。
五分後までは。
「美味い!」
誰かが叫んだ。
「いや、ありがたき幸せ……!」
「うむ。女神様の御神酒だ。一滴たりとも零すなよ」
隣の男が酒を飲む。
「……いや、これ普通に美味いな?」
「めちゃくちゃ美味いぞ! おかわり!」
堰を切ったように空気が変わる。爆裂団の男が樽を担ぎ上げた。
「ガハハハハ! 呑め呑め!」
歓声が上がる。歌う者、踊る者、泣く者、抱き合う者。宴会はあっという間に収拾がつかなくなった。少女は焚火の近くで小さくなっていた。
「おお、女神様!」
酔った兵士が近づいてくる。
「なんと麗しい! お髪は黄金の輝き!」
「お瞳は星の如し!」
少女は引きつった笑みを浮かべた。
「ううっ……セクハラ展開……」
『バカなの?』
頭の中に聞き慣れた声が響き、エリイはたまらず岩戸のなかに閉じこもった。
『それ順番逆だし』
岩の隙間に身を隠したエリイは、震える手でポケットを探った。
「あった……」
小さな缶をカラカラと振り、無理やり赤いキャンディを出す。口へ放り込み、ころりと舌の上で転がした。甘い。
そして――世界が反転した。
ガラガラガラッ!! 岩陰が吹き飛ぶ。
周囲が一斉に振り向いた。そこに立っていたのは先ほどまでの少女ではない。長い黄金の髪、整いすぎた顔立ち。成熟した女性の姿。
ただ美しいだけではない、圧倒的な格の違いがあった。泥酔の爆裂団すら口を閉じる中、女は静かに周囲を見回して言った。
「時計の入ったオレンジは、おいしくないでしょう?」
「は?」
「……完全な楽園は、人を壊します」
「え? 真面目?」
「苦しみを消し去り、悩みを取り除き、失敗すら存在しない世界を作ることは可能です」
「可能なんだ……」
誰もがそっちに驚いた。女は小さく首を振る。
「ですが、それでは人は人でなくなる。作られた幸福は檻です」
静かな声だった。
「我々はどう生きるべきなのでしょう」
老軍師が震えながら口を開く。
「私もわかりません」
「私にも分かりません」
女は遠い目をして、二度答えた。
その時だった。ゴゴゴゴゴゴゴ……!! 大地が震えた。女の顔が引きつる。
「あっ」
嫌な予感しかしない声だった。
「ああっ来た!」
空から弾む声が響き渡る。
『そんなことぉ……やってみ、なけりゃ分っかんなぃいいい~っ!!』
次の瞬間、空が美しすぎる程に真っ青に広まった。赤い空も黒雲も荒野も消え、草原が広がり、花が咲き、川が流れる。
虹が架かる。一本。二本。三本。
「待って」
増える。
「やめて!」
さらに増える。虹は十本を超えた。兵士たちはまた感動していた。
「おお……!」「奇跡だ……!」「美しい……!」
エリイだけが顔面蒼白だった。いつの間にか少女の姿に戻っている。虹の先端がこちらへ向かってどんどん近づいてくる。
そして虹の向こうから、何かが走ってきた。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
現われたのは、エリイと瓜二つの少女だった。




