第98話 旅の終わりと始まり
ノルドハイムを発ってから、さらに十日が過ぎた。
巡回の旅は、最終盤に差し掛かっていた。ベリルが組んだルートの最後の目的地は、イストリア王国の南西に位置する小さな村、エルダーン。人口は三百人ほどの、静かな農村だ。
「最後の村にゃ」
フィアが馬車の窓から身を乗り出して言った。麦畑が広がり、遠くに風車が見える。のどかな風景だ。だが、ユアンは油断しなかった。これまでの旅で、どんなに小さな村にも、誰かの痛みがあることを学んできた。
「エルナ。この村の情報は」
「ベリルの報告によると、特に大きな問題はないみたい。強いて言えば、若い者が街に出て行って、高齢者ばかりになっていることかしら」
「過疎か。それも、一つの痛みだな」
「そうね。でも、私たちにできることは限られているわ。まずは、村の人たちに会ってみましょう」
村に着くと、すぐに村長の家を訪ねた。村長は七十を超えた老人で、孫娘と二人で暮らしているという。
「ユアン様。よく来てくださいました。ですが、この村には、あなたに治してもらうような重い病の者はおりませんよ」
「それでも、何か困っていることはありませんか」
「困っていること。そうですね。強いて言えば、若い者がいないことです。この村で生まれた子供たちは、みんな街に出て行ってしまう。それは、この村の宿命のようなものです」
「寂しい、ですか」
「寂しい、ですか。そうですね。寂しい、かもしれません」
村長は、少しだけ寂しそうに笑った。ユアンは、その笑顔を見て、思った。この村には、治すべき傷がある。それは、身体の傷ではなく、心の傷だ。
「村長さん。俺たち、しばらくこの村に滞在してもいいですか」
「え。ですが、あなた方のような方が、こんな小さな村に」
「俺たちは、癒やしを届けるために旅をしています。それは、病を治すことだけじゃない。誰かの寂しさに寄り添うことも、俺たちの仕事です」
村長は、しばらくユアンを見つめていた。そして、深く頷いた。
「……わかりました。たいしたもてなしはできませんが、どうぞ、ごゆっくり」
それから三日間、ユアンたちは村に滞在した。ユアンは村の古老たちの話し相手になり、エルナは風車の修繕を手伝い、ルーチェは子供たちに聖光を見せて遊び、フィアは村の猫たちと友達になった。
「ユアン。あたし、この村、好きにゃ」
「そうか」
「うん。静かで、あったかくて。ユアンも、そう思うにゃ」
「ああ。俺も、好きだよ。この村には、俺たちが癒やせるものが、たくさんある」
「でも、もうすぐ旅が終わるにゃ」
「そうだな」
ユアンは、少しだけ寂しそうに笑った。この旅で、たくさんの人を救ってきた。それは、間違いなく、自分の糧になっている。だが、旅が終われば、またリリスノアでの日常が待っている。それも、悪くはない。だが、この仲間との旅は、もっと続いていてほしいと思ってしまう自分がいた。
「ユアン。あたし、思うにゃ。旅が終わっても、あたしたちは一緒にゃ」
「フィア」
「だって、あたしたちは、リリスノアの仲間だにゃ。旅が終わっても、ずっと一緒にいられるにゃ」
「……そうだな。そうだよな」
ユアンは、フィアの頭を撫でた。フィアは、気持ちよさそうに目を細める。
「ねえ、ユアン。最後の夜にゃ。みんなで、何かしようにゃ」
「何か、って」
「星を見るにゃ。この村の丘の上から、星がきれいに見えるって、村の子供が教えてくれたにゃ」
「星か。いいな」
その夜、四人は村の丘に登った。テオバルトも一緒だ。丘の上からは、村の灯りが小さく見え、その向こうに、満天の星が広がっている。
「すごい……」
ルーチェが、息を呑んだ。
「こんなに星がきれいなのは、久しぶりです」
「ええ。リリスノアでも、ここまで綺麗には見えないわ」
「にゃー。星が、いっぱいにゃ」
四人は、並んで座った。ユアンが真ん中で、その左にエルナ、右にルーチェ、フィアはユアンの膝の上に頭を乗せている。
「なあ、みんな」
「なに」
「この旅、楽しかったな」
「ええ。本当に」
「はい。たくさんの人を癒やせました」
「あたし、いっぱい美味しいもの食べたにゃ」
「フィアは、そればっかりだな」
「にゃはは。でも、楽しかったにゃ。ユアンと一緒だと、いつも楽しいにゃ」
「……ありがとう。俺も、楽しかったよ。お前たちと一緒だと、どんな問題も乗り越えられる。そう思えた」
「ユアン。それ、私たちのセリフよ」
エルナが、くすっと笑った。
「あなたが、私たちを導いてくれたから、私たちはここまで来られたの。あなたが、諦めなかったから、私たちも、諦めずに済んだの」
「エルナの言う通りです。先生が、いつも前を向いてくれたから、私も、前を向けました」
「あたしもにゃ。ユアンが、あたしを信じてくれたから、あたしは、自分を信じられるようになったにゃ」
「みんな」
ユアンは、三人の顔を見た。エルナの青い瞳、ルーチェの潤んだ目、フィアの大きな瞳。そのどれもが、ユアンをまっすぐに見つめている。
「……俺も、お前たちがいなかったら、ここまで来られなかった。お前たちが、支えてくれたから、俺は、誰かを癒やし続けられた。本当に、ありがとう」
「お礼なんて、いいわ」
「そうだにゃ。あたしたちは、ユアンの仲間だにゃ」
「はい。それに、これからも一緒です」
「……ああ。これからも、よろしくな」
四人は、夜空を見上げた。星が、静かに輝いている。この旅は、終わる。でも、新しい旅は、これから始まる。それは、リリスノアでの日常であり、新しい国を創る日々であり、そして、この仲間との、終わらない物語。
「なあ、エルナ。ルーチェ。フィア」
「なに」
「これからも、たくさんの人を癒やそう。リリスノアで、この大陸で、どこまでも」
「もちろんよ」
「はい、先生」
「当たり前にゃ」
三人の声が、夜空に溶けていく。ユアンは、その声を、胸の奥に刻んだ。この瞬間を、忘れない。そう、思った。
翌朝、一行はエルダーンを発った。村長と村の人々が、総出で見送ってくれた。
「ユアン様。また来てください」
「必ず来ます。それまで、お元気で」
ユアンは、手を振った。馬車が動き出す。村が、遠ざかっていく。フィアが、窓から手を振り返している。エルナとルーチェも、静かに手を振った。
「さあ、リリスノアに帰るぞ」
「「「おー!」」」
馬車は、リリスノアへの道を進んだ。旅の終わり。そして、新しい始まり。ユアンの胸には、確かな充実感があった。自分は、この旅で、たくさんの人を癒やした。そして、仲間との絆を、さらに深めた。それは、何にも代えがたい宝物だった。




