第96話 聖女の証明
北へ向かう道は険しかった。
山岳地帯に入って三日。馬車は通れない道が続き、一行は徒歩で峠を越えていた。フィアが先導し、エルナが足場を固め、ユアンが荷物を担ぐ。ルーチェは最後尾で、聖属性感知を広げながら、周囲の安全を確認していた。
「ルーチェ。疲れてないか」
「はい、大丈夫です。それより先生。この先に何かあります。聖属性の反応が強い。それも、一つじゃない。たくさんの、悲しみのようなものが」
「悲しみ」
「はい。聖遺物とは違う。もっと、人の心に近い何か。……でも、はっきりとはわかりません」
「わかった。みんな、警戒を強めてくれ」
峠を越えた先に、小さな村があった。だが、村の入り口には誰もいない。家々の扉は固く閉ざされ、窓には板が打ち付けられている。
「誰もいないのか」
「いや、いるにゃ。匂いがするにゃ。それも、たくさん。家の中に隠れてるにゃ」
フィアが猫耳を立てて言う。ルーチェが村の中央へ歩み出た。
「先生。この村、聖属性の瘴気に包まれています。誰かが、意図的に聖遺物を暴走させているみたい。そのせいで、村人たちは外に出られないんです」
「聖遺物を、意図的に」
「はい。それも、かなり強い力で。このままでは、村人たちの心が壊れてしまいます」
ユアンはルーチェを見た。彼女の目は、真剣だった。かつての、おどおどした聖女見習いの面影はない。一人の癒やし手としての、確かな覚悟が宿っている。
「ルーチェ。お前、一人でできるか」
「先生」
「俺たちが援護する。でも、聖遺物の暴走を鎮めるには、お前の聖属性医療が最適だ。お前の『慈愛の聖光』は、心の傷を癒やす力だからな」
「……はい。やります。私が、この村を救います」
ルーチェは深く息を吸い、村の中央へ歩み出した。ユアンたちは、その背後で警戒に当たる。エルナが氷の盾を展開し、フィアが影から周囲を探り、ユアンがいつでも回復できるよう構えている。
「――《慈愛の聖光》」
ルーチェの金色の光が、村全体を包み込んだ。光は家々の壁を透し、閉ざされた扉の向こうにいる村人たちの心に、静かに届いていく。
「……あたたかい」
一軒の家から、老婆が姿を現した。その目には涙が浮かんでいる。
「ああ。この光。聖女様の光だ。私たちは、ずっと、この光を待っていた」
「おばあさん。村で何があったんですか」
ルーチェが優しく尋ねた。老婆は震える声で語り始めた。
「一ヶ月前、教会の司祭が来て、聖遺物を村の教会に安置したんです。でも、その聖遺物が、急に光り出して。それから、村人たちが、次々と倒れて。悪夢を見るようになって。誰も、外に出られなくなったんです」
「その司祭は、今どこに」
「教会の地下に。聖遺物と一緒に。私たちを、閉じ込めようとしているんです」
ルーチェは振り返り、ユアンを見た。ユアンは頷いた。
「行け、ルーチェ。俺たちも行く」
村の教会は、村の外れにあった。古い石造りの建物だが、中から異様な光が漏れている。ルーチェが扉を開けると、中には、ぼろぼろの法衣をまとった司祭が、祭壇の前に立っていた。その手には、黒く変色した聖遺物が握られている。
「来るな。この聖遺物は、私のものだ。誰にも渡さない」
「司祭様。なぜ、こんなことを」
「なぜだと? この聖遺物があれば、私は聖女になれる。世界を救える。誰もが、私を崇める。この村の連中も、私を蔑むことはできない」
司祭の目は、狂気に染まっていた。聖遺物の力に、飲み込まれているのだ。
「司祭様。その聖遺物は、あなたを苦しめています。手放してください」
「うるさい。近づくな。近づけば、この村の連中を皆殺しにするぞ」
ルーチェは一歩、前に進んだ。
「私は、あなたを止めます。聖女として。いや、一人の癒やし手として」
「なに」
「――《慈愛の聖光》」
ルーチェの光が、司祭を包み込んだ。司祭は悲鳴を上げ、聖遺物を振り回す。だが、光は彼の心の奥底まで届き、長い間、彼を蝕んでいた孤独と嫉妬を、静かにほどいていく。
「……あ。ああ。私は、何を。なぜ、こんなことを」
「司祭様。あなたは、誰かに認めてほしかっただけなんですね」
ルーチェの声は、優しかった。司祭は、その場に崩れ落ち、泣き始めた。
「私は、ずっと、認められなかった。聖女になれないと、教会に言われ続けて。……この聖遺物に、手を出してしまった。愚かだった。本当に、愚かだった」
「もう、いいんです。あなたは、ここで、やり直せばいい。私も、そうしました。聖女の再来と言われて、でも、本当の聖女にはなれなくて。それでも、ユアン先生に救われて、今、ここにいます」
ルーチェは司祭の肩に、そっと手を置いた。司祭は、ルーチェの顔を見上げ、涙を流した。
「あなたは、本物の聖女だ。私が、偽物だった」
「いいえ。あなたも、これから、本物になればいい」
ルーチェは、司祭の手から聖遺物を受け取り、ユアンに差し出した。
「先生。この聖遺物、お願いします」
「ああ。よくやった、ルーチェ」
ユアンは聖遺物を受け取り、《完全回復》で浄化した。黒く変色した聖遺物が、元の白い輝きを取り戻していく。村を包んでいた瘴気も、消え去った。
村人たちが、次々と家から出てきた。皆、涙を流し、ルーチェに感謝の言葉を述べている。
「聖女様。ありがとうございます」
「私たちを、救ってくれて」
「聖女様」
ルーチェは、その言葉に、少しだけ照れくさそうに笑った。
「私は、聖女じゃありません。ただの、癒やし手です。ユアン先生の、弟子です」
「でも、あなたが私たちを救ってくれた」
「そうですね。……私が、救ったんです。私の力で」
ルーチェは、自分の手を見つめた。その手は、もう震えていなかった。
「ルーチェ」
ユアンが、そっと声をかけた。
「先生」
「お前、本当に強くなったな」
「先生のおかげです」
「違う。お前自身の力だ。お前が、自分で掴んだんだ」
「……はい。そうですね。私が、掴んだんです」
ルーチェは、ユアンの胸に、そっと顔をうずめた。その温もりが、彼女の心を、確かに満たしていた。
その夜、一行は村人たちのもてなしを受けた。ルーチェは、村の子供たちに聖光を見せ、老人たちの話を聞き、司祭と静かに語り合った。司祭は、これからこの村で、本当の癒やし手になるために、やり直すと誓った。
「ユアン。ルーチェ、すごく成長したわね」
「ああ。聖女見習いだった頃が、嘘みたいだ」
「にゃ。ルーチェ、かっこよかったにゃ」
「二人とも。ルーチェに聞こえたら、照れるだろ」
「いいじゃない。褒めてるんだから」
エルナが笑った。フィアも、尻尾を振っている。
「ねえ、ユアン。私、思ったんだけど」
「なんだ」
「ルーチェも、エルナも、フィアも。みんな、ユアンのおかげで強くなったのよ。ユアンが、みんなを導いたの。……だから、ユアンも、もっと自分を誇っていいのよ」
「……そうかな」
「そうよ。あなたは、私たちの自慢のリーダーなんだから」
エルナの言葉に、ユアンは、少しだけ照れくさそうに笑った。その夜、ルーチェは、ユアンの隣で、静かに眠った。その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。




