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第92話 追いかけてくる声


ヴァルナを発って二日。一行は次の目的地である港町ミラへ向かっていた。


馬車は順調に進んでいた。エルナが地図を確認し、ルーチェが聖属性感知で周囲を警戒し、フィアが御者台で風を感じている。ユアンは荷台で書類を整理していた。リリスノアに送る報告書と、孤児院支援制度の素案、それに教育機関の設立計画。やることは山積みだ。


「ユアン。あと半日でミラよ」


「ああ。港町か。交易路の整備の参考になるといいけど」


「ミラは大陸でも有数の港よ。各国から船が来る。物流の要衝ね」


「そこで何か問題が起きてるのか」


「ベリルの指示では、港の警備が緩んでいるらしい。海賊の被害が出てるって」


「海賊か。それもリリスノアの問題になるな」


ユアンはため息をついた。医療、教育、物流、治安。国を創るというのは、次から次へと問題が出てくる。だがその一つひとつが誰かの痛みに繋がっている。ならば自分がやるべきことは、その痛みを癒やすことだ。


その時だった。


「――ユアン様! ユアン様ですか!」


後方から声がした。振り返ると、街道を走ってくる人影がある。若い男だ。息を切らし、必死に手を振っている。


「止まってくれ!」


御者が馬車を止めた。男は馬車に追いつくと膝に手をつき荒い息を整えた。


「はあ、はあ。よかった。追いついた」


「どうしたんですか」


「私は、ヴァルナの隣町、コルドの者です。あなたたちがヴァルナを救ったと聞いて、追いかけてきました」


「コルドで何か」


「はい。うちの町でも同じことが。水道が汚染されて、病人が増えています。でもヴァルナと違って、うちには治療院も医者もいない。このままでは町が滅びます。お願いです。助けてください」


男はそう言って頭を下げた。ユアンはエルナと顔を見合わせた。


「コルドはここからどれくらいだ」


「南へ半日です。馬を飛ばせばもっと早く」


「ユアン。ミラへの到着が遅れるわ」


「わかってる。でも放っておけない」


ユアンは男に水筒を渡し、馬車に乗せた。そして御者に指示を出す。


「進路を南に。コルドへ向かってくれ」


「かしこまりました」


馬車が方向を変える。男は安堵の息をついた。


「ありがとうございます。ユアン様」


「礼はいいです。それより詳しい話を聞かせてください」


男の名はトーマス。コルドの自警団の一人だった。彼の話によると、コルドでは三日前から井戸の水が濁り始め、それを飲んだ住民が次々と倒れているという。ヴァルナと同じ症状だった。


「ヴァルナの水道管破裂の影響が、地下水脈を通ってコルドまで及んだんだわ」


エルナが分析する。


「つまり、ヴァルナだけ直しても意味がなかったのか」


「ええ。地下水脈は広範囲に繋がっている。上流で汚染されれば下流も汚れる。私たちはヴァルナだけを直した。でもコルドはその下流にある」


「しまった。もっと広範囲に浄化すべきだった」


ユアンは唇を噛んだ。自分の見通しが甘かった。目先の問題を解決しただけで、根本を見ていなかった。


「ユアン。責めるのは後にしましょう。今はコルドを救うのが先よ」


「ああ。そうだな」


馬車は速度を上げた。フィアが御者台から声をかける。


「ユアン。コルドの方角から変な匂いがするにゃ。水が腐ったような匂いだにゃ」


「もうそこまで来てるのか」


「急ごう」


夕暮れ近く、コルドに到着した。小さな町だ。人口は三千人ほど。だがその町は、死の影に覆われていた。道端には病人が横たわり、井戸の周りには誰もいない。水を汲むことを恐れているのだ。


「ユアン様。こちらです」


トーマスに案内され、町の中心へ向かう。広場には簡易のベッドが並べられ、病人が寝かされていた。数は二百人を超える。その全員が、水を介した感染症に苦しんでいる。


「ひどい」


ルーチェが口元を押さえた。


「まず水を浄化しないと。でもヴァルナの時よりも広範囲よ」


「エルナ。できるか」


「やってみる。でも時間がかかるわ。それにこの町の地下水脈全部を浄化するには、ヴァルナの何倍もの魔力が必要」


「なら俺が魔力を供給する。エルナ、お前は浄化に集中してくれ」


「ユアン」


「《修復術式拡張・魔力回路最適化》」


ユアンはエルナの肩に手を置き、彼女の魔力回路を最適化した。エルナの体内を流れる魔力が倍増し、精度も上がる。彼女は深く息を吸い、両手を地面に当てた。


「――《氷結浄化・全域展開》」


エルナの氷魔法が地下水脈全体に広がっていく。冷気が地中を駆け巡り、汚染された水を凍らせ、不純物を分離し、浄化された水だけを融かして流す。広範囲に及ぶ大魔法。エルナの顔から汗が噴き出す。


「エルナさん!」


「大丈夫。まだ、いける」


ユアンはエルナの背中に手を当て、魔力を送り続けた。フィアが周囲の警戒に当たり、ルーチェは病人たちの診療を始めた。


「――《慈愛の聖光》」


ルーチェの金色の光が病人たちを包む。一人ひとりを丁寧に癒やしていく。彼女の聖属性医療は、効率的ではない。だが確実に、命を救っていた。


「ルーチェ。そっちは任せる」


「はい、先生。エルナさんのことはお願いします」


三十分後、エルナの浄化が完了した。地下水脈全体から汚染が消え、清らかな水が再び流れ始める。同時にルーチェも、二百人を超える病人全員の治療を終えた。


「……終わった」


エルナが地面に膝をつく。ユアンがすぐに彼女を支えた。


「よくやった、エルナ」


「あなたの魔力があったからよ。一人じゃ無理だった」


「お前の力だ。誇っていい」


「ふふ。ありがとう」


ルーチェもへたり込んでいた。ユアンは彼女にも手をかざし、《全快癒光》で疲労を癒やした。


「ルーチェ。お前もよくやった」


「先生。私、二百人を診ました。でも一人も死なせなかった。それが嬉しいです」


「ああ。お前の力だ」


フィアが駆け寄ってきた。


「ユアン。町の人たちが集まってきたにゃ。みんな、感謝してるにゃ」


振り返ると、町の人々が広場に集まり、ユアンたちを見つめていた。その目には涙が光っている。


「ユアン様。ありがとうございます」


「俺じゃない。この三人が。エルナが水を浄化し、ルーチェが病人を治した。フィアが警戒してくれた」


「でもあなたが彼女たちを導いた。あなたが追いかけてきた私たちを受け入れてくれた。あなたがすべての中心にいる」


トーマスがそう言った。ユアンは何も言えなかった。ただ、四人で立っていた。それが答えだった。


その夜、コルドの町は感謝の宴に包まれた。ユアンたちは町の人々に囲まれ、温かい料理と酒を振る舞われた。フィアは町の子供たちと遊び、エルナは浄化装置の設計図を町の職人に教え、ルーチェは診療所のスタッフに聖属性医療の基礎を伝えた。ユアンは町長と話し合い、リリスノアの医療派遣制度をコルドでも適用することを約束した。


「これでこの町も安泰だな」


「ええ。でもユアン。また同じことが起きるかもしれない」


「ああ。だから制度が必要なんだ。一つの町を救っても、次の町で同じ問題が起きる。根本を断たないと」


「根本ね。地下水脈の汚染は、聖教会の撤退で管理が行き届かなくなったのが原因よ。国全体で水を管理する仕組みが必要ね」


「リリスノアで始める。地下水脈の管理。水道の整備。それができれば、もう誰も汚染された水で苦しまない」


「できるかしら」


「やってみせる。仲間がいるから」


ユアンは三人を見た。エルナは設計図を広げ、ルーチェは子供たちに聖光を見せ、フィアは町の猫と遊んでいる。それぞれがそれぞれの場所で、自分の力を発揮している。


(これからも、こんなふうに旅が続くんだろうな。追いかけてくる声がある限り、俺たちは止まれない。でもそれでいい。それが、俺たちの生きる道だから)


夜空に星が輝いている。コルドの町に、久しぶりの安堵が訪れていた。ユアンは静かに目を閉じた。明日もまた、誰かが助けを求めている。その声に応えるために、自分たちは進み続ける。それが、リリスノアの癒やし手の使命だから。


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