第88話 枯れた薬草
薬草園は村の外れ、緩やかな丘の上にあった。
広さは魔王城の医療区画の薬草園の三倍はあるだろうか。整然と区画された畑に、様々な薬草が植えられている。だがユアンは馬車を降りた瞬間、その異変に気づいた。
「……なんだか、元気がないにゃ」
フィアが鼻をひくつかせて言う。ユアンもうなずいた。薬草の葉はどれも色が浅く、茎は細い。本来ならこの時期、最も瑞々しく育つはずの薬草が、まるで冬枯れのようにしおれている。
「ユアン様。よく来てくださいました」
園長のアルフレッドが歩み寄ってきた。五十代半ばの、日焼けした顔の男だ。その表情には、深い疲労が滲んでいる。
「アルフレッドさん。薬草の様子がおかしいですね」
「はい。三ヶ月ほど前からです。最初は一部の区画だけだったのですが、今では園全体に広がってしまって。収穫量は去年の半分以下です」
「原因は」
「わからないんです。土も水も変えていない。害虫もいない。天候も例年通り。なのに、なぜか薬草が育たない。聖属性の魔力が弱まってから、何かが変わったのかもしれませんが」
ユアンはしゃがみ込んで、手近な薬草の葉に触れた。指先に伝わる感触が、どこか冷たい。生きているのに、生命力が薄い。まるで、何かを吸い取られているような。
「エルナ。土の状態を調べてくれ。ルーチェは聖属性の反応を。フィアは周囲に何かいるか探ってくれ」
「わかった」「はい」「任せるにゃ」
三人が散開する。ユアンはアルフレッドと共に園内を歩きながら、さらに詳しく話を聞いた。
「この薬草園は、聖教会の治療院に薬草を卸していたのですが、治療院が閉鎖されてからは、周辺の村や町に出荷しています。それも、もう長くはないかもしれません」
「困っている人は」
「多いです。特に北方の村々は、この薬草園に頼りきっています。ここが駄目になれば、あの辺りでは薬が手に入らなくなります」
「……なんとかしないと」
そこへエルナが戻ってきた。その顔は険しい。
「ユアン。土がおかしいわ。魔力が抜けている。いや、抜かれている。土壌に残っているはずの微量な魔力が、何かに吸い取られているの」
「吸い取られている」
「ええ。それも、特定の方向へ。土壌の魔力が北西に向かって流れている。まるで、何かがそこから引っ張っているみたいに」
「北西」
ユアンは薬草園の北西を見た。そこには古い森が広がっている。ルーチェが駆け寄ってきた。
「先生。聖属性の感知でも、同じ反応があります。北西の森の奥に、何か強い魔力の塊が。でも、聖属性じゃない。もっと、土や自然に近い魔力。それが土壌から薬草の力を吸い上げているんです」
「森の奥に何かあるのか」
「あたしが行ってくるにゃ。足跡を追うにゃ」
「待てフィア。危険かもしれない。みんなで行こう」
ユアンたちは森へ向かった。森は深く、木々が密集している。だが、奥へ進むにつれて、木々の葉が異常に青々としていることにユアンは気づいた。
「……森の木だけが元気だな」
「ええ。土壌の魔力を吸い上げているのは、この森の木々よ。いや、木々だけじゃない。もっと大きな何かが」
さらに進むと、森の中心に巨大な古木があった。他の木々の倍以上の太さで、根は地面を這い、周囲の土壌から魔力を吸い上げている。その根元には、かすかに光るものが埋まっていた。
「あれは」
「聖遺物……!」
ルーチェが息を呑んだ。古木の根元に、小さな聖遺物が埋まっている。それは以前、ユアンが浄化したものよりも小さいが、確かに聖属性の力を放っていた。
「なぜ、こんなところに」
「おそらく、聖教会が撤退する時に、処分しきれなかった聖遺物を、ここに埋めたのよ。それが、この古木と共鳴して、土壌の魔力を吸い上げている」
「聖遺物が、木を介して土壌を蝕んでいるのか」
「ええ。でも、悪意があるわけじゃない。ただ、聖遺物が苦しんでいるの。誰かに助けてほしいと、もがいているのよ」
「……わかった。俺が浄化する」
ユアンは古木の根元に歩み寄り、手をかざした。聖遺物がかすかに震える。まるで、ユアンの力を感じ取ったかのように。
「――《完全回復》」
銀色の光が古木を包み込んだ。聖遺物に絡みついた、長年の苦しみが、ゆっくりとほどけていく。光は根から幹へ、枝へと広がり、森全体を優しく照らした。やがて、聖遺物は静かに輝きを失い、ただの石のように眠った。
「……終わった」
ユアンが息をつくと、古木の葉が一斉に揺れた。風もないのに。まるで、礼を言うかのように。
「にゃー。木が喜んでるにゃ」
「ええ。土壌の魔力も、もう吸い上げられていないわ。これで薬草園も元に戻るはず」
「よかった……」
ルーチェが安堵の息をつく。ユアンは聖遺物を拾い上げ、丁寧に布で包んだ。これはリリスノアに持ち帰り、正式に安置しよう。
薬草園に戻ると、アルフレッドが信じられないものを見るように畑を見つめていた。
「ユアン様。薬草が。薬草が元気になっています」
「え」
ユアンも畑を見た。さっきまでしおれていた薬草の葉が、みるみるうちに瑞々しさを取り戻し、茎が太くなり、新しい芽が芽吹いている。土壌に魔力が戻り、薬草がそれを吸い上げているのだ。
「これが、ユアン様の力」
「俺の力だけじゃない。エルナが土の異変に気づいたから。ルーチェが聖遺物の反応を見つけたから。フィアが森への道を見つけたから。みんなの力だ」
「ユアン様……」
アルフレッドは涙をぬぐい、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。これで、また薬草を届けられます。北の村々も、助かります」
「アルフレッドさん。一つ提案があるんですが」
「なんでしょう」
「この薬草園、リリスノアの医療区画の直轄にしませんか。俺たちが技術と人を提供します。その代わり、収穫した薬草を、リリスノアの医療派遣制度で全国に届ける。そうすれば、この薬草園も安定的に運営できるし、もっと多くの人を救えます」
「そんなことができるのですか」
「できます。リリス様に掛け合ってみせます」
「ぜひお願いします。この薬草園を、これからも守っていきたいんです」
「一緒に守りましょう」
ユアンはアルフレッドと固い握手を交わした。その夜、一行は薬草園に泊めてもらった。アルフレッドの妻が作った夕食は、薬草をふんだんに使った料理で、身体の芯から温まった。
「ユアン。今日もいい仕事したわね」
「そうかな」
「そうよ。薬草園を救った。それだけじゃなく、北の村々の薬も守った。あなたは本当に」
「エルナがいたからだよ。お前が土の異変に気づかなければ、俺は原因を特定できなかった」
「またそう言う」
「本当のことだ」
エルナは微笑み、ユアンの手にそっと触れた。
「ねえユアン。これからもずっと、こんなふうに一緒に旅するのかしら」
「そうだな。しばらくは続くだろうな」
「大変だけど、楽しいわ」
「ああ。俺もそう思う」
フィアが後ろから抱きついてきた。
「ユアン。あたしもいるにゃ。ずっと一緒にいるにゃ」
「わかってるよ」
「先生。私もです。ずっと先生のそばにいます」
「ありがとう、ルーチェ」
夜空には星が瞬いている。薬草園の畑は月明かりに照らされ、新しい命が静かに息づいていた。ユアンは思った。この旅で出会うすべての問題は、誰かの痛みだ。そしてその痛みを癒やすのが自分の仕事。仲間と共に。それがこれからも続く。それが自分の生きる道なのだと。




