第86話 孤児院の子供たち
湖の村に着いたのは昼過ぎだった。
村の外れ、湖を見下ろす丘の上に古い建物があった。石造りの壁はところどころ崩れ、屋根には苔が生えている。門の看板には「聖マリア孤児院」と書かれているが文字は半分消えかけていた。
「これが孤児院……」
エルナが息を呑んだ。建物は大きいが明らかに手入れが行き届いていない。窓ガラスは数枚割れたまま。庭の遊具は錆びついて動かない。
「にゃー。なんか寂しいにゃ」
フィアの猫耳が垂れた。ルーチェは聖属性感知を広げて何かを感じ取っている。
「先生。中に子供たちがいます。数は……二十人以上。それと大人が二人。でもみんな魔力が弱っています。栄養状態が良くないのかもしれません」
「わかった。入ろう」
ユアンは門をくぐった。建物の中は薄暗くかび臭かった。床板はきしみ、壁には雨染みが広がっている。廊下の奥からひょこりと子供が顔を出した。
「だれ?」
「はじめまして。俺はユアン。君たちに会いに来たんだ」
「ユアン……? あの、ユアン様?」
子供の目が輝いた。その声を聞きつけて奥から次々と子供たちが現れる。年齢は三歳から十二歳くらいまで。みんな痩せていて服は継ぎ接ぎだらけだ。でもその目は好奇とにじんだ希望で輝いていた。
「ユアン様だ!」「本当に来た!」「お母さんが言ってた。ユアン様はすごいって」
「お母さん?」
ユアンが首をかしげると奥から老婦人が歩いてきた。白髪を後ろにまとめ、擦り切れたエプロンをつけている。院長のマーガレットだった。
「ユアン様。よく来てくださいました。子供たちがずっと待っていたんです」
「院長。話を聞かせてください」
マーガレットはうなずき、ユアンたちを食堂へ案内した。テーブルは古いが丁寧に拭かれている。椅子は足りないのかベンチも混ざっていた。
「この孤児院は聖教会が運営していました。ですが聖魔法が弱まり教会が撤退してからは寄付も途絶えました。今は私と調理師の二人で細々とやっております」
「子供たちの親は」
「様々です。戦争で親を失った子。捨てられた子。奴隷商人から逃げ出した子。聖教会が保護した子もいましたが教会が機能しなくなってからはどこも受け入れてくれません」
「ひどい」
ルーチェが唇を噛んだ。マーガレットは静かに続ける。
「食事は一日二回。パンとスープが中心です。薬もありません。子供が熱を出せば祈るだけ。それでもみんな生きています。たくましい子たちです」
「でもこのままでは」
「ええ。いつ崩れるかわかりません。私ももう七十です。いつまで続けられるか」
ユアンは拳を握った。ここにも聖教会の穴があった。いや聖教会が担っていたものが崩れたことで生まれた穴。それは孤児たちの命を削っている。
「院長。まず子供たちを診させてください」
「ぜひお願いします。あなたの噂は聞いています。本物の癒やし手だと」
ユアンは庭に子供たちを集めた。二十三人の子供たちがぎゅっと固まって立っている。ユアンは一人ひとりの前にしゃがみ手を取った。
「名前は」
「……ミア」
「ミア。どこか痛いところはある」
「あし。小さい時から曲がってて走れないの」
「わかった。治すよ」
ユアンはミアの足に手をかざし《全快癒光》を発動させた。光が足を包み込む。ミアの足の骨が正しい位置に戻り筋肉が再生されていく。
「……あ。痛くない」
「立ってみて」
ミアは恐る恐る立ち上がった。そして一歩踏み出した。よろめきながらも二歩三歩と歩く。子供たちから歓声が上がった。
「歩けた! ミアが歩いた!」
「すごい! ユアン様すごい!」
ミアは涙を流しながらユアンに抱きついた。
「ありがとう。ありがとうユアン様」
「どういたしまして」
ユアンは次々と子供たちを治していった。栄養失調で弱った身体に活力を与え古い傷を癒やし病気を消し去る。エルナは氷魔法で清潔な水を作りルーチェは聖属性で子供たちの心の傷を和らげた。フィアは子供たちと鬼ごっこをして遊んだ。テオバルトはマーガレットと共に建物の修繕箇所を確認した。
「――《領域修復》」
ユアンの光が孤児院全体を包み込んだ。壁のひび割れが塞がり割れた窓ガラスが元に戻り錆びついた遊具が動くようになる。古い建物が息を吹き返した。
「まあ……まるで新築のよう」
マーガレットが目を丸くした。
「これで子供たちも安心して暮らせます」
「ユアン様。あなたは本当に」
「院長。一つ聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
「この孤児院。これからどうするつもりですか」
マーガレットはしばらく沈黙した。
「……正直に言えばわかりません。私の代で終わりにするつもりでした。子供たちをどこかの村に託して」
「それはだめです」
ユアンはきっぱりと言った。
「子供たちにはここで育つ権利があります。それに院長。あなたが一人で背負う必要もない」
「ですがユアン様。寄付は集まりません。聖教会も頼れません」
「ならリリスノアが引き受けます」
マーガレットは目を見開いた。
「リリスノアが……?」
「はい。俺はリリスノアの特別顧問です。医療区画の責任者でもあります。孤児院の運営をリリスノアの管轄に移してください。予算も人も出します」
「そんな。そんなことができるのですか」
「できます。リリス様もベリルも私の仲間です。彼らに掛け合ってみせます」
ユアンはエルナたちを振り返った。
「お前たちも協力してくれるか」
「もちろんよ」
「当然です先生」
「にゃー! 子供たちを放っておけないにゃ!」
テオバルトが静かに口を開いた。
「ユアン。それだけでは足りないぞ」
「どういうことですか」
「孤児を救うのは大切だ。だが孤児が生まれ続ければ追いつかない。そもそもなぜ孤児が生まれるのか。戦争。貧困。差別。奴隷制度。それらをなくさなければ」
「……テオバルトさんの言う通りだ」
ユアンは考え込んだ。自分は最高権力者の一人だ。リリスの直属の部下として発言力がある。それなら目先の孤児を救うだけでなく孤児が生まれない社会を作ることもできるはずだ。
「リリスノアに戻ったらベリルとゲンマと相談しよう。孤児院の支援制度を作る。それと同時に孤児が生まれる原因を一つずつ潰していく。戦争の防止。貧困対策。差別の撤廃。奴隷制度の根絶。やるべきことは山ほどある」
「それができるのはお前だけだユアン。お前の癒やしの力と人望があれば」
「一人じゃできない。みんながいるからできる」
ユアンは子供たちを見た。ミアがフィアと一緒に遊んでいる。他の子供たちも笑顔だ。さっきまであんなに暗い顔をしていたのに。
「エルナ。ルーチェ。フィア。テオバルトさん。そして院長。俺、決めました」
「何を」
「リリスノアに孤児支援の専門部署を作る。俺が先頭に立って。それから各国に働きかけて孤児が生まれない仕組みを作る。時間はかかるかもしれない。でもやらなきゃいけない」
「ユアン」
エルナがユアンの手を握った。
「私も手伝うわ」
「私もです」
「あたしもにゃ」
「私も老骨に鞭打って協力しよう」
「ありがとうみんな」
マーガレットが涙をぬぐいながら言った。
「ユアン様。あなたは本物の救世主です。子供たちがあなたに会えたこと。それが何よりの救いです」
「院長。これからも大変だと思います。でももう一人じゃありません。俺たちがいます」
「はい。信じます」
その夜ユアンたちは孤児院に泊まった。子供たちは興奮してなかなか寝なかった。フィアが猫の姿で添い寝をしルーチェが子守唄を歌いエルナが氷で涼しい部屋を作った。ユアンはマーガレットと夜遅くまで話し合った。これからのこと。子供たちの将来。リリスノアでできること。
「ユアン様。あなたは政治家ですか。それとも癒やし手ですか」
「両方です。いやどちらでもあります。俺は回復術師です。傷を癒やすことしかできない。でもその傷が生まれないようにするのも俺の仕事だと思っています」
「立派な心がけです」
「院長こそ。こんなに長く子供たちを守ってきて」
「私はただの老婆です。でも子供たちの笑顔のためなら何でもしてきました」
「その気持ちが何より尊いです」
ユアンは夜空を見上げた。星が湖に映ってきらきらと揺れている。隣ではエルナが静かに寄り添っていた。
「ユアン。今日はすごくいい仕事をしたわね」
「そうかな」
「そうよ。孤児院を救った。それだけでなくこれからの仕組みまで考えた。あなたは本当にすごい人になった」
「エルナたちがいたからだよ」
「またそんなこと言う」
「本当のことだ。一人じゃ何もできなかった」
「……そうね。私もあなたと一緒にいられてよかった」
エルナはユアンの肩にそっと頭を預けた。その温もりがユアンの心を満たした。明日もまた旅は続く。でも今夜だけはこの温もりを感じていたかった。




