第85話 巡りの日々
馬車が石畳を軋ませながら進む。ユアンは窓の外を眺めていた。エルナが隣で地図を広げルーチェが向かいで聖遺物の状態を確認している。フィアはユアンの膝の上で丸くなって寝ていた。
「次の村はロアンヌから北へ三十里。温泉があるらしいにゃ」
「起きてたのか」
「寝てないにゃ。目を閉じてただけにゃ」
フィアは尻尾をゆらりと動かした。エルナが地図を指さす。
「この村は聖教会の影響が強かった場所よ。治療院が閉鎖されてから村民が困ってるって噂だわ」
「なら急ごう。ルーチェ。聖属性の反応は」
「はい。この先の村から微弱な聖属性の残滓を感じます。おそらく閉鎖された治療院のものかと。でも異常はないようです」
「わかった。みんな準備を頼む」
馬車が村に着くと驚くほど静かだった。人がいないわけではない。畑を耕す者洗濯をする者子供が走り回る者。生活の音はある。だがどこか沈んでいる。ユアンは馬車を降りた瞬間その空気を感じ取った。
「……重いな」
「ええ。聖教会に頼りきっていた村はどこもこうよ。治療院が閉じてから薬も買えない。医者もいない。祈るしかなかった」
「祈りだけでは傷は治らない。俺たちが来た意味はある」
村長の家を訪ねると白髪の老人が震える手でユアンを迎えた。
「ユアン様。本当に来てくださった。村の者は皆あなたを待っていました」
「村長。治療が必要な人はどれくらいいる」
「半数以上です。畑仕事で腰を痛めた者。子供の熱が下がらぬ者。年寄りは皆何かしら抱えております。聖魔法が使えなくなってからは痛み止めの薬草を煎じて誤魔化すだけ。それももう尽きて……」
ユアンは村長の肩に手を置いた。
「もう大丈夫です。今日で全部治します」
「全部。そんなことが」
「できます。俺が来たのはそのためですから」
ユアンは村の広場に臨時の診療所を開いた。エルナが氷魔法で清潔な水を作りルーチェが聖属性で患者の症状を迅速に見極める。フィアは村の子供たちを集めて診療の順番を楽しく整理した。テオバルトは村の古老たちの話し相手になり彼らの不安を静かに取り除いていく。
「――《領域修復》」
ユアンの銀色の光が広場全体を包み込んだ。畑仕事で腰を痛めた男が立ち上がり長年の持病に悩む老婆が涙を流し熱に魘されていた子供が笑顔を取り戻す。百人を超える村人たちが次々と癒やされていった。
「痛みが……消えた……」「身体が軽い」「あんたが本物のユアン様だ」
「はい。本物です」
ユアンは笑いながら一人ひとりに声をかけた。その光景をエルナは少し離れた場所から見ていた。彼女は自分の役割を果たしながらユアンの背中を追っていた。あの雨の夜に追放された少年が今こんなにも多くの人を救っている。その事実がエルナの胸を熱くさせた。
「エルナさん。どうかしましたか」
「ううん。なんでもない。それよりルーチェ。あっちの子供たちの診察をお願い」
「はい」
ルーチェは聖属性の感知を広げて子供たちの症状を確かめていく。彼女の手際はもう見事なものだった。かつて毒沼で泣いていた聖女見習いとはまるで別人だ。ユアンが彼女の頭に手を置いた。
「ルーチェ。お前の感知は正確だな。助かる」
「先生のおかげです。私は先生に教わったことをやっているだけですから」
「それをお前の力って言うんだ。自信を持て」
「……はい。ありがとうございます先生」
ルーチェは照れくさそうに笑った。その笑顔はユアンの胸の奥に温かく響いた。
診療が一段落した昼過ぎ村人たちが次々とユアンのもとへお礼を言いに来た。中には卵や野菜を持ってくる者もいた。
「ユアン様。これうちの卵です。よかったら」
「いや気持ちだけで」
「受け取ってください。私たちにできるお礼はこれくらいしかないんです」
「……じゃあありがたく」
ユアンは村人たちの気持ちを受け取った。その中には小さな子供が描いた似顔絵もあった。ユアンはそれを大切に鞄にしまった。
「にゃー。ユアン似てないにゃ」
「うるさい。これはこれで味があるんだ」
「顔がまんまるにゃ」
「フィア。お前の方がまるいだろ」
「失礼にゃ。あたしは細いにゃ」
フィアがむくれてみせる。エルナがそのやりとりを聞きながら微笑んでいた。夕暮れが村を茜色に染め始めた頃ユアンたちは村の外れにある温泉へと向かった。村人たちがぜひにと案内してくれたのだ。
「すごいにゃ。あったかい。露天風呂にゃ」
「フィア。そんなに騒ぐと転ぶわよ」
「エルナも入るにゃ。ユアンも入るにゃ」
「俺は遠慮しておく。みんなで入ってこい」
「なんでにゃ。ユアンも一緒がいいにゃ」
「だからそれは」
「ユアン。私たちが疲れを癒やすの手伝ってくれるんでしょ。一緒に入ってどこが悪いの」
エルナがいたずらっぽく言う。ルーチェは真っ赤になってうつむいている。
「エルナさん。それはちょっと」
「ルーチェは純情ね。でもユアンはもう私たちの仲間なんだから別にいいじゃない」
「よくないです。先生は先生ですから」
「ふふ。冗談よ。さルーチェ行きましょう。フィアも」
「にゃー。ユアン後で絶対来るにゃ」
「来ないから」
ユアンは三人を温泉に残して外のベンチに座った。夕日が山の向こうに沈んでいく。空には星が一つまた一つと輝き始めていた。テオバルトが隣に座った。
「疲れたかユアン」
「いや。むしろ元気だ。今日もちゃんとみんなを治せた」
「お前はいつもそうだな。自分より他人だ」
「そういう性分なんだ。治せないと落ち着かない」
「それを昔の仲間は理解できなかった。だが今は違う。エルナもルーチェもフィアも。あの三人はお前を理解している」
「そうだな。ありがたいよ」
「ユアン。一つだけ聞いていいか」
「なんだ」
「あの三人の気持ちにどう応えるつもりだ」
テオバルトの問いはまっすぐだった。ユアンはしばらく答えられなかった。温泉からはフィアのはしゃぐ声とエルナの笑い声とルーチェの悲鳴のような声が聞こえてくる。
「……まだ答えは出せない。でも逃げない。ちゃんと向き合う。それが俺にできることだから」
「それでいい。逃げなければ道は開ける」
「テオバルトさんもそんなこと言うんだな」
「私もかつて誰かを選べなかった男だ。だからわかる。選ばないことは誰も幸せにしない」
「……そうだな」
ユアンは空を見上げた。星が静かに輝いている。温泉から出てきたエルナたちがユアンのもとへ歩いてきた。
「気持ちよかったわ。ユアンも入ればよかったのに」
「そうだにゃ。すごく温まったにゃ」
「先生。その。疲れているなら私が肩を揉みますよ」
「いや大丈夫だ。それより明日は隣村だ。早く寝よう」
「にゃー。ユアンまた逃げるにゃ」
「逃げてない」
ユアンは立ち上がって四人で宿へ戻った。村の人々が温かく迎えてくれた。夕食は質素だったが心のこもった料理だった。ユアンはそれを食べながら思った。この日常が続く限り自分は誰かを癒やし続ける。その中で三人との距離も少しずつ変わっていく。それでいい。急ぐ必要はない。一つずつ前に進めばいい。
翌朝ユアンたちは村を発った。村人たちが総出で見送ってくれた。
「ユアン様。また来てください」
「必ず来ます」
ユアンは手を振った。馬車に乗り込むとエルナがユアンの隣に座った。ルーチェとフィアは向かいに座っている。
「ねえユアン。次はどこ」
「北の湖の村だ。そこには病の孤児院があるらしい」
「孤児院」
「ああ。聖教会が運営していたけど閉鎖寸前だって。子供たちが待ってる」
「なら急ごう」
「そうだな」
馬車が動き出す。ユアンは窓の外を見ながら思った。世界にはまだ癒やしを必要とする人がたくさんいる。自分ができることは限られている。でもその限られた時間の中でできる限りのことをしたい。そして隣にいる三人と一緒にその道を歩んでいきたい。そう思った。




