第83話 偽りの癒やし手
グランフォートを発って五日後。一行はイストリア王国の北東にある商業都市ロアンヌに到着した。
人口は五万を超えるこの街は各地から商人が集まり活気に満ちている。だがその活気の裏でユアンは何か引っかかるものを感じていた。
「ねえユアン。この街なんか変よ」
エルナが路地の露店を眺めながら言う。市場には活気がある。だがその活気がどこか焦りに満ちている。
「どういうことだ」
「見てあの店。薬草を売っているけど値段が異常に高い。それに向こうの店は回復魔法の巻物を売っている。あんなもの普通の店で売ってないわ」
「にゃー。それだけじゃないにゃ。街の人たちがみんなユアンの名前を噂してるにゃ」
フィアが猫耳を立てて言う。耳を澄ますと確かにあちこちでそんな会話が聞こえてくる。
「リリスノアのユアン様が来るらしいぞ」「本当か。あの世界を癒やしたという」「早く会いたい。母の病気を治してもらいたい」
「……なんで俺の名前がこんなに広まってるんだ」
「変ね。確かにあなたの名前は大陸中に知られているけど。この街に来ることはベリルがルートを組んだ時点で決まっていたはずよ。でもこんなに事前に広まるなんて」
エルナは首をかしげた。ユアンも違和感を覚えた。確かに自分は有名になった。だがこの街に来ることをこんなに多くの人が知っているはずがない。公式な巡回ルートはベリルしか知らないはずだ。
「とりあえず宿を取ろう。それから情報を集める」
一行は街の中心にある宿「白銀亭」に入った。だが宿の主人はユアンの顔を見るなり飛び上がった。
「あっあんたがユアン様か。ようこそお越しくださいました。すぐに部屋を用意します」
「あの。俺たちは普通の宿泊客だ。そんなに気を使わないでくれ」
「何をおっしゃいますか。あなたは世界を癒やしたお方。この街に来てくださるのを三日も前から待っていたんですよ」
「三日も前から?」
ユアンはエルナと顔を見合わせた。自分たちがこの街に来ると決めたのは五日ほど前。だがベリルがルートを確定したのはもっと後のはずだ。
「すみません。誰が俺の来訪を伝えたんですか」
「それは……ええと。街の広場に貼り紙が出ていたんです。『リリスノアのユアン様が来訪される。癒やしを求める者は広場に集まれ』と。それに街の診療所でも受付をしています」
「診療所?」
ユアンは宿の主人に場所を聞きすぐにエルナとフィアを連れて街の診療所へ向かった。ルーチェは残って宿の情報を集めテオバルトは周囲の警戒にあたった。
診療所は街の外れにあった。だがその前にできた長い行列を見てユアンは息を呑んだ。軽く百人を超える人々が並んでいる。全員が何かを待つように診療所の扉を見つめていた。
「これは……」
「ユアン。あそこを見て」
エルナが診療所の壁を指さした。そこには大きな貼り紙がある。『リリスノア特別顧問ユアン公認癒やしの間』『どんな病も癒やします』『料金はお気持ちで』
「なんだこれ」
「ユアンの名前を使った偽の診療所よ。誰かがあなたの名前を騙って金を儲けている」
ユアンの顔が険しくなった。自分は人を癒やすためにここまで来た。それを金儲けの道具にされるなど許されることではない。
「にゃー! ユアン許せないにゃ! あたしがぶっ飛ばしてくるにゃ!」
「待てフィア。まず中を確認しよう。誰がやっているのか」
ユアンは行列の横を通り診療所の裏手に回った。そして勝手口から中に入る。中は薄暗く薬草の匂いが充満していた。奥の部屋からは患者らしき男の声が聞こえる。
「先生。この薬を飲めば本当に治るんでしょうね」
「ああ。これはリリスノアのユアン様直伝の秘薬だ。これを飲めばどんな病も治る」
「そそれはすごい。ありがとうございます」
「ただしこの薬は高価だ。銀貨五十枚いただく」
「ごじゅうまい! そそんなに」
「嫌なら治らなくてもいいんだぞ」
ユアンは扉を静かに開けた。中には白衣を着た初老の男と若い患者がいた。男はユアンの顔を見てぎょっとしたように動きを止める。
「だ誰だ」
「リリスノア特別顧問ユアンだ。あんた誰だ」
男の顔色が変わった。患者の若者は状況が飲み込めず首をかしげている。
「ユアン様。この方はユアン様の代理をされていると」
「代理ではない。俺は誰にも代理を頼んでいない。この男は俺の名前を騙って金を取っている偽者だ」
「なっ偽者」
男は慌てて後ずさりした。だが逃げ道はない。フィアがすでに窓を塞ぎエルナが扉を閉めている。
「待て。話せばわかる。私はただこの街の貧しい人々を助けたかっただけだ」
「薬草を売りつけて銀貨五十枚か。それのどこが貧しい人を助けているんだ」
「ちがう。本当に効く薬もある。でも数が足りなくて」
「足りないから金を取るのか。そして足りない薬を高値で売る。それで人を助けていると言うのか」
男は黙り込んだ。ユアンは患者の若者に手をかざし《全快癒光》を発動させた。
「痛みは引いたか」
「ははい。すごい。本当にあんたがユアン様なのか」
「ああ。俺が本物だ。この男は偽者だ」
若者は男を睨みつけ診療所を出ていった。男は床に膝をつき頭を抱えている。ユアンはその前にしゃがみ込んだ。
「あんた名前は」
「……マルセルだ。元はこの街の薬師だった」
「なぜこんなことを」
「聖教会の治療院が閉鎖されてこの街では手の届く治療がなくなった。俺は薬師として何とかしたかった。でも薬草は足りない。金もない。だからせめてユアン様の名前を借りれば人々が集まると思って」
「それで偽の診療所を開いたのか」
「最初は本当に治療をしていた。でも途中から薬草が足りなくなって。金を取るようになった。そうしないと続けられなかったんだ」
ユアンは男の話を聞きながら考えた。この男は悪人ではない。ただ追い詰められていただけだ。聖教会の衰退が生んだ歪み。それはこの街だけの問題ではない。きっと大陸中のどこでも起きている。
「マルセル。あんたの気持ちはわかる。でもな。俺の名前を騙るのはやめてほしい」
「すまない。すぐに貼り紙を剥がして店を畳む」
「待て。畳めとは言ってない。俺が言いたいのは偽物としてではなく本物として働いてほしいということだ」
「なに」
マルセルは顔を上げた。ユアンは続ける。
「あんたは薬師だろ。薬草の知識があるならそれを使えばいい。俺が薬草を提供する。あんたが調合して患者に渡す。そうすれば貧しい人でも手の届く薬が作れる。どうだ」
「そんな。できるわけが」
「できる。俺はリリスノアの特別顧問だ。医療区画の責任者だ。あんたを正式な協力者として雇う」
「本気か」
「本気だ。ただし条件がある。これからは正直に働け。金を取るにしても適正な値段で。そして俺の名前は使うな。あんた自身の名前でやれ」
マルセルはしばらくユアンを見つめていた。やがて涙を流しながら深く頭を下げた。
「……ありがとう。ありがとうございます」
「礼はいい。まずは貼り紙を剥がして行列を解いてくれ。それから本当に治療が必要な人に優先的に薬を渡すんだ」
「わかった。すぐに」
マルセルは立ち上がり診療所の外へ出ていった。ユアンはエルナとフィアを振り返る。
「これで一件落着かしら」
「そうだな。でもこの街だけの問題じゃない。同じことがどこでも起きているはずだ。聖教会が治療を担えなくなった穴を誰かが埋めなければならない。でもその誰かが間違った方向に行かないように見守るのも俺たちの仕事だ」
「にゃー。ユアンは本当に優しいにゃ。偽者まで助けるなんて」
「偽者でも元は人を助けたかったんだ。そこを間違えただけだ。だったら正しい道を教えればいい」
「それがあなたのやり方ね」
エルナが笑った。ユアンはその笑顔に少し照れながら診療所を後にした。空はまだ青い。巡回の旅はまだ続く。でもユアンは思った。どんな場所でも誰かが誰かを助けたいと願っている。その気持ちを正しい方向に向けること。それが自分の役割なのだと。
宿に戻るとルーチェが待っていた。
「先生。聞きました。偽の診療所があったそうですね」
「ああ。でももう解決した。それよりルーチェ。この街のことを調べてくれたか」
「はい。この街だけでなく周辺の村でも似たようなことが起きているみたいです。ユアン先生の名前を使った偽の治療院や偽の薬草販売が。それもすべて聖教会が撤退した地域で」
「やはりな。聖教会の穴を埋めるように俺の名前が使われている。でもそれは俺一人でできることじゃない」
「どうするんですか」
「リリスノアに戻ったらベリルと相談しよう。正式な医療派遣制度を作る。俺の名前を騙る者が出ないように俺たち自身が正しい形で癒やしを届ける仕組みを」
「素敵です。先生らしい」
ルーチェが微笑んだ。その夜ユアンは宿の窓からロアンヌの街を眺めた。街の灯りは温かく揺れている。その中にはきっと今夜も誰かが誰かを癒やしている。ユアンはその一つ一つを思った。自分が目指す世界はまだ遠い。でも一歩ずつ近づいている。そう信じたかった。




